医者でもない俺が行ってどうする?とか
知らない男がいきなり現れちゃダメなんじゃないか?とか
 
そもそも・・・、なんで俺が焦って駆けつけてるんだ?
 
 
窓ガラスが震えるような 高音の引きつった音が邸内に響き渡り
多分それは彼女の叫び声
 
 
そう思った時には 部屋を飛び出していて
 
平常回路(?)の俺が戻ってきたのは 
 
急遽病室扱いになった離れの部屋の前までたどり着いたときのこと。
 
 
 
なにやってんだよ・・・・
 
 
 
挙動不審な自分に密かに凹んで 少し乱暴に壁に背を預け 目を瞑った。
 
 
 
部屋から漏れ聞こえるのは、落ち着いた女性のもので 
問いかけるような語尾が僅かに上がる声。
 
これは日本語? この声は、さっきの女医か?
 
 
 
聞き耳を立てているつもりは無いけれど 無意識に神経がそっちに集中してるらしく 
中の様子が、浮かび上がるようにして瞼の裏に映し出される錯覚を そのまま ジッと感じていた。
 
ただ、室内から聞こえるのは さっきから1人の女性( 多分、女医の )の声だけで
暫くすると、その声も聞こえなくなった。
 
 
「あなたのお名前は?」
「この言葉が判りますか?」
「どこか痛いところや普段と違うと感じるところはありますか?」
 
「何があったか ・・・覚えていますか?」
 
大体そんな感じの幾つかの問診の後、ゆっくり丁寧に彼女の体の状態を説明していたようだったけど
眠ってしまったのだろうか?と目を開けた俺の耳に、今度はさっきよりはっきりと女医の声が聞こえてきた。
 
 
「もう一度聞きます。 あなたのお名前を、『 言え 』 ますか?」
 
 
その質問に、なんとなく引っかかった俺は その言葉を何度か繰り返し呟いてみる。
「アナタノ オナマエ ヲ イエマスカ?」 「イエマスカ?」 「言えます、か?」
 
言う・・・話す・・・・。 言えますか? ・・・・・話せますか・・・?
 
「あなたの お名前を 『 話せ 』 ます・・・か??!!」
 
 
連想ゲームか 言葉遊びみたいな事をブツブツと繰り返して 辿り着いたかもしれない答え。
果たしてそれが正解だったならば・・・・予想以上に問題は山積してるってことかもしれない。
 
無意識に右手で自分の口許を覆いながら 少し前の記憶を再生してみる。
 
 
彼女は日本人で、女医は日本語で話しかけている。
モーガン氏の話しぶりからは、彼女が話せない というニュアンスは感じられなかった。
 
否。 彼女との会話の様子は 話の随所にあったはず。 ・・・だったよな?
 
 
 
気配を感じて視線をあげると、僅かばかり渋い表情をしたお爺様がドアの前に立っていて
俺と目が合うと一つ息を吐き出してから、「彼女は普通に話せるはずだ。」と見透かしたように言った。
 
 
 
「状況を考えると、心因性の失声かもしれんな。」
 
 
寄りかかっていた壁から背中を引き剥がすと、俺の目線はお爺様より10センチ以上高くなるから
お爺様は少し見上げるように視線をあげる。
 
もっとずっと大きい人だと思っていたのにな。と、ふと思った瞬間 記憶が逆流し始めた。
 
過去の子供の俺の記憶が、今の俺というフィルターを通して甦って来る。
 
 
 
この人を、首が痛くなるほど見上げないといけないくらい 俺が小さかった頃
今みたいな 『 痛々しいもの 』 を見るような 苦しげな目で見つめられるのが 嫌だった。
 
お爺様の目には俺と共有する痛みがあったから、そういう目をするお爺様が可哀想で
そんな目をさせる自分が酷くいけない事をしているようで、腹立たしくもあって
なんだか今思い返しても 『 複雑な気持ち 』 なんだから 子供の俺に消化できるはずもなく
ただ目を背けることしか出来なったんだ。
 
だから。 俺はいつも 自分の靴の先ばかり眺めていたんだった。
 
 
 
あの頃は幼すぎて、違い?っていうの?それとこれは別、ってやつが解らなかったけれど。
 
お爺様と、たしかカン室長だったよな?(今よりずっと若かったけれど) の2人以外の
大人たちが俺に向けていた表情は 『 可哀想な子 』 を見る顔で 
あれは、もう・・・。 今思い返しても鳥肌。 本当に大嫌いだった。
 
 
同情に 少しの好奇心を混ぜて 可哀想にって言いながら そんな自分の優しさに満足してる顔。
 
 
上手く言えないけれど・・・
 
例えば動物園とかテレビの画面の向こうに みすぼらしい毛並の死にかけのライオンがいたとして
「 可哀想に 」 って言いながら 食事したり笑ったり 出来ちゃう。 そんな感じ?
 
 
最初は 「行ってらっしゃい」 と、当たり前のように帰ってくることを疑いもせず見送った両親が
もう二度と笑いかけてくれることも 抱き上げてくれることも 涙をぬぐって抱きしめてくれることも無い
って突然突きつけられた現実がショックだったんだと思う。
 
でも、それは次第に 『 誰にも理解されない自分 』 『 好きになれない自分 』 とかが混ざってきて
混乱した俺は ひたすら心を閉ざしていくしかなくて 一本道を疑問も感じず進むように
それが当たり前のように 硬い殻の中に閉じこもって蹲った。ってことだったんだ。きっと。
 
自分が人と違う行動をしてるなんて、あの頃の、ガキすぎる俺にわかる筈もないから、
他人は理解できない異質物でしかなくて、無視する対象だった。
 
 
子供はもっとずっと単純だから、あいつらはそんな俺をお構いなしに引っ張り出して
それは不思議とそれ程嫌なものではなかったし、奴らとの時間の中には
『 理解されない自分 』 も 『 好きになれない自分 』 もいなくて、あいつらがいるって、それだけで。
 
『 他人=異質物=無視 』 『 理解できないから、最初から考えない 』 って方式は
俺の頭に根深くインプットされたままだったけど。
 
少なくても 俺の中で 『 無視しない人間 』 『一緒にいて嫌じゃない人間 』 が現れたわけで、
所謂 “ 心の病 ” みたいなものは、完治?克服?したっぽい。
 
 
なんかスッキリ。
 
 
多分ボーっとしてたんだろうに、急にウキウキしてテンションのあがった俺がにっこり笑うのを
お爺様はなんとなくヒキ気味に見ていたけれど。
 
「大丈夫。俺、なんか解ったみたい。 対処法? だから多分、安心して?」
 
 
どうせ今夜はこのドアの先に顔を出しちゃマズイだろうし、もう少しバイオリンを弾きたい気分だったから
ウキウキついでに自室に戻ることにした。
 
 
 
ヒラヒラと背中越しに手を振って 去っていく長身の孫を 溜め息一つで見送った老人が
 
「 ああ。 頼んだよ。 」 と呟いたのを、 確かに聞いて 頬が自然に綻んだ。