何だよ?何が起こってるんだよ?目の前の光景を脳が翻訳しない。
ただ、目に映る映像を録画する機械にでもなった気分だった。
 
さっきまで、此の世の物とも思えないほどの美しい舞を舞っていた天女が。
幸せそうに、ジフとワルツを踊っていた、花のような少女が。
 
今は目の前で、糸の切れた操り人形のように蹲っていて
それをジフが抱き締め、必死に話しかけている。
 
 
まるで、呪いで傀儡(クグツ)になってしまった少女の命を取り戻さんと
一片の欠片すらも取りこぼすまいとしているかのように。
 
 
蛇口から水が流れるように、ただ流れるに任せているだけの彼女の涙と
血を吐くように声を絞り出し、血を流すように涙を零すジフ。
 
その様を何故か、キレイだと。 場違いな事を思いながら、少し前の出来事を思い出していた。
 
 
 
俺達を見た彼女から、突然一切の表情が消え失せたかと思ったら
いきなり髪に挿していたピニョを・・・自分の喉に突き刺そうと・・・確かにしたはず。
 
ピニョが彼女の細い首に刺さる一瞬前に、ジフがそれを叩き落し、抱き締めたんだ。
 
 
 
崩れ落ちる彼女の身体を抱き、擦りながら、水をもってこいと叫ばれ、俺が持っていくと
彼女の口を指でこじ開け、何かを放り込み、そして口移しで水を飲ませた。
そこまでのジフに一切の迷いも躊躇いも無かった。ただ、ジフの強い思いだけがあった。
 
 
 
あの時のジフはなんて言った?何を叫んだ? 
 
・・あ・・・れ、は・・・。日本語・・?・・・・だったのか?
 
ジフは日本語で彼女に話しかけていたのか!?
 
 
 
そうか・・・。だから、直ぐに頭に入ってこなかったのか。
 
彼女は日本人だったのか?韓国人以上のKoreanBeautyなのに?
外にはCIAかそれに相当するレベルの訓練を積んでるらしいSP。
ジフの爺さんは元大統領で、今も国家機関との関係は深いはず。
 
・・・この少女は、いったいどこの国のお姫様なんだ?日本?アメリカ?
だとしたら、何故ここまで韓服を着こなせるんだ?王族並みの気品だったぞ?
 
 
 
 
 
やっと思考回路が動き出した。そう思ったときだった。
 
 
 
彼女が何事かを小声でブツブツ呟きだし、ジフが驚愕に目を見開いたんだ。
 
そして、それまで以上に辛そうに顔を歪め、次に激しい怒りを露にし、
最終的に青白い炎が見えそうなほど、凍れる無表情になった。
 
多分・・・本人でも感じた事が無いほどの、凄まじい怒りを感じてるんだろう。
 
俺は、人間がああいう顔になるときを知っている。あれは、誰かを殺してやろうかって顔だ。
 
 
 
ジフ・・・お前、そこまでその子が大切なのかよ?
 
 
 
お前は天女を腕(かいな)に抱き、慈しみながらながらも、同時に殺意を隠そうともしないのか?
それもまた、彼女の為だっていうのか?その腕の中の存在を守るためなのか?
 
 
 
 
彼女はジフの胸にスッポリ埋まっていて表情は見えないが、呟く声は、くぐもりながらも零れ続ける。
 
 
ジフは彼女のほどけた髪を大切そうに撫でたり、頭にキスを落としたりしながら、
その耳元に口を寄せ、ひどく甘く優しく、時に激しい感情を滲ませながら、何かを囁き続ける。
 
 
段々、彼女の声が途切れがちになって、その内に聞こえなくなった。
 
 
 
 
それでもジフは繰り返し囁き続け、抱き締める腕を緩めようとはしない。
ただ、必死に逃すまいとしていた抱き方から、守り労わるような感じになったのは直ぐにわかった。
 
そこでやっと少しホッとして肩の力を抜き、俺と同じように、俺の隣りに立ち尽くしていたイジョンに目をやると
真っ青な顔をして、呆然としている。確かにショッキングなシーンだったけど、単なる驚愕とは違う顔。
 
 
訝しく思ってると、普段よりも低い声で「お前、日本語ダメだっけ?」と聞いてきた。
「ああ、挨拶程度しかわからない。俺はとりあえず中国担当予定なんだ。」と答えると
「そうか」と言ったきり黙り込む。が、その表情はジフ程でなくても、かなり険しいもので・・・
 
一体、日本語でどんな話をしてたんだ?イジョンまでこんなツラするなんて?
 
 
 
 
「お前ら、どうやってここに来た?」
 
 
 
地獄から聞こえてくるような、低く響く声。 其れがジフのものだと気付くのに時間がかかった。
 
イジョンが「カン室長に頼んだ。ジュンピョの話がまだ終わってねぇからな。」と答えると
ため息を一つ吐いた後の 「あの、狸ジジィ・・・わざとか?」 と呟く声はいつものジフだ。
 
 
「どういうことだ?」
 
「・・・・・」
 
「おい、ジフ?」
 
 
 
もう一つため息を吐いたジフは、面倒だなと言わんばかりの顔で話し出す。
 
 
 
「表の警備見たんでしょ?この邸は今、上皇様でも許可無く入れない。そういうこと。」 
 
「は?確かに俺はカン室長に連絡はしたが・・・爺さんは関係ないんじゃねーの?」
 
「だから・・。カン室長が独断で来客を入れられる状況じゃないってことだよ。」
 
「お前が何をそんなにイラついてるのか知らねーけど、仮に許可を爺さんが出したとして、
それはそんなにすごい事なのか?俺らはお前の親友で、もう1人の親友の為に話があった。
だから邸に来た。それだけだろ?」
 
「ジュンピョのことも言ったんだ?じゃぁ・・・それで?関係あるってことか?」
 
 
 
今度は考え込みだしたジフに、イジョンにしては珍しく躊躇い、すまなそうに話しかける。
 
「なぁ?爺さんはもしかして・・・こうなる事をわかってて、俺らを邸に入れたのか?」
 
「さぁ・・・。さすがに、ここまでは予想してなかったかもね。
でも、何が起きても覚悟の上で、それでもやる意味があったんじゃない?」
 
 
吐き捨てるように言ってから 「じゃなければ、お爺様でも許せないし?」と・・・
 
 
そう言って、皮肉気に笑った顔はあまりにも凄絶で、一体こいつにはいくつの顔があるのか?と思う。
 
 
 
彼女を抱き上げながら「寝かせてくる。目、離せないから付いて来て。」というジフの背中を眺めながら
俺は、どうしてか背中を這い登ってくる嫌な悪寒が止まらない。
 
結構な修羅場をくぐってきた筈なのに・・・。親友にビビッてどーすんだよ?と思いつつも
心のどこかで「こいつは俺の知ってるジフなのか?」いまひとつ自信が持てない。
 
ああ、この悪寒は・・・さっきまでの光景や、ジフの怒りみたいなのに対してビビッてるんじゃない。
俺がよく知ってるはずのこの男が、実は全然違う人間だったんじゃないか?って思ってるからなんだ。
 
横を歩くイジョンがやはり固い表情でジフの背中を見つめながら「お前の予感はやっぱ当たるな?」と
茶化してくれた。持つべきものは親友だな、と思いつつ、目の前のもう1人の親友の後を歩く。
 
こいつはジフだ。俺の、俺らの大事な親友。 何がどうなろうが、そいつは変わらない事実。
腹にストンと落ちてきたときには もう、さっきまでの悪寒は感じなかった。
 
 
 
部屋に入る瞬間、イジョンが囁いた。
 
「ウビン。もしもジフが話すなら、だが・・。お前、覚悟しとけよ?この中で聞く話は多分・・、サイアクだ。」