少し暖かくなった3月の、とある昼下がり。
婚約式を一週間後に控え、スリョンの周りは色々と忙しい。
今日も、コーディネーターとの打ち合わせだと、部屋に篭ってしまった。
 
といっても。
 
どうせ、姉妹でアフタヌーンティとしゃれ込みながら(チェギョンの食欲を満たしながら)
おしゃべり三昧ってとこだろう。とジフは苦笑する。
 
なんせ、そのコーディネーターとはチェギョンなのだ。しかも自薦。
それをスリョンは殊の外喜んで、殆どチェギョンの独壇場となっているのだが、
「だって、優秀なデザイナーが無料でやってくれるのよ。凄いわ。」の一言で
後はニコニコ笑うだけ。
 
自分の婚約式なのに、それでいいのか?と聞いても、
妹がお祝いしてくれると頑張っている。
その気持ちが沢山詰まった式をプレゼントしてもらえる。
こんな素晴らしい事は、お願いして出来るものじゃないし
とても嬉しいではないか、と本当に嬉しそうに言う。
 
でも・・・とジフは思う。
 
周りを必要以上に気遣うスリョンの事、また変に自分の気持ちを抑えているのでは?と
不安になり「あまり乗り気ではなかったのか?」と問えば、そうではないのだと。
「ジフは心配しすぎよ。あのね?プレゼントは知らないほうが嬉しい事もあるわ。
だから、ジフは当日まで参加禁止なのよ!」と、今度はちょっと悪戯そうに笑う。
 
どうやら、チェギョンと何やら密約があるらしいのだが、ジフに話すつもりは無いようだ。
まぁいい。スリョンがそれで幸せなら。結局、最後はその一言に行き着くだけなのだし。
 
 
それでも、スリョンの居ない休日の午後を持て余すジフは、無聊を慰めようと
スリョンが「初めて見る」と楽しみにしているケナリの蕾の具合を確かめる為に庭に出る。
この庭のケナリはどういう訳だか毎年早咲きで、来週の婚約式には開花が間に合うかも?
と、スリョンと毎日『蕾チェック』を欠かしていないのだ。
 
 
その蕾にそっと触れながら、ジフは先程のシンとの会話を思い出していた。
 
 
シンは、このところ此方に付きっ切りで構ってもらえないチェギョンに痺れを切らし
今日は上皇様まで連れ立って、ユン邸に乗り込んできたのだが
ジフ同様、すっかり締め出されてしまって不貞腐れていた。
それをクスクスと笑うジフを一睨みすると、思い出したように口を開いた。
 
「ヒョン。姉上が帰国する。」
 
そう言ったシンの表情は固く、その事を決して歓迎していないのは明白だ。
それを聞くジフの表情も僅かに曇るが、気持ちを立て直すように瞬き1つして
 
「そう。」
「来週。ヒョンの婚約式の前日だ。」
 
いつ?と聞く前に被せるように話すシン。
その様子が少し苛立っているように見える。
 
「何かあるのか?」
「時期と目的が気になる。」
「どういうこと?」
「一時帰国じゃない。此方で高校に通うそうだ。」
「それで?」
「皇帝陛下に僕と同じ高校へ通いたいと言って来たそうだ。」
「ふぅん?で?」
「断った。神話側からも、皇族2人は難しいと言ってもらった。」
「それで陛下は?」
「通例通り王立へ、と。」
「じゃ、問題ない。」
「本当にそう思うのか?ヒョンは知っているのだろう?」
「お互い、もうあの頃のような子供じゃないんだ。」
「あの人は子供だ。」
 
年子とは言え、まだ中学生の弟に、そう吐き捨てられるのはどうだろう?
と思わないでもないが、シンの不安や焦燥が理解できるジフは何も言えない。
 
「何を考えているんだか、僕にも手紙をよこした。」
「お前がイラついてるのは、その内容に問題があったってこと?」
「ヒョン。ふざけている場合じゃない。」
「・・・話してみろ。」
「ヌナの事を相変わらずの独断と偏見で否定している。世界一の財閥の養女とはいえ、
何処の馬の骨とも分からない女との政略結婚ではヒョンは幸せになれないと。」
「政略結婚に、馬の骨・・・へぇ。」
「ここからが本題だ。身元を調べ、破談に出来るだけの、弱みを探せ。と書いてあった。」
「それはまた。でも命令する相手を間違ってるね。」
「全くだ。しかし・・・いきなり破談とは随分乱暴な話だ。何処でそんな話を仕入れたのか?」
「・・・誰かと繋がっているのか?」
「さあ?でも、あの人は昔から伯母上とウマが合う。」
「ファヨン妃・・でも何故?」
「ヌナが欲しいのか、ヒョンがヌナを得る事で此方の城が強固になるのを阻みたいのか?」
「まぁ、俺達を破談にすればそのどちらも適う、と思っているかもね?」
「姉上は相変わらずヒョンと僕に執着している。愚かな人だから利用するのは簡単だろう。」
 
何事かを考えるジフと、不機嫌を隠そうともしないシン。
 
「ヌナの笑顔を守りたい。何かあればチェギョンも悲しむ。」
「ああ。取りあえず、婚約式は出入り禁止。元々招待状がなければ入れないし。」
「ヒョン、あれでもあの人は皇女だ。そこが厄介でもある。」
「クスッ。大丈夫。招待してない客は、例えそれが皇族でも入れない。」
「どういうことだ?」
「スリョンはモーガンの娘だよ?皇室に敬意は払っても臣下ではない。」
「そうか・・なるほど。ある種の治外法権が適用出来るのか・・・」
「そういうこと。でも、そっちはどうなんだ?俺もチェギョンの笑顔は守りたいんだけど?」
 
それから、2人は暫く話し合い、今後の対策を立てる。
怖いほどに頭脳明晰な彼等が、守るべきものを守るために。
 
 
 
不意に暖かなものに包まれる感覚。
鼻腔から取り込まれる香りは既になじんだ甘さで、ジフをホッとさせる。
 
「まだ、咲かないわね?」
「チェギョンは?」
「シンが攫って行ってしまったわ。」
「クスッ。もう耐えられなかったらしいよ。」
「うん。すっごい怖い顔してた。」
「怒ってた?」
「どっちの事?」
「チェギョン」
「フフッ。いいえ。諦めてた。」
「くくっ。流石チェギョン。ところでスリョナ?」
「なぁに?」
「俺ももう限界なんだけど?ほっとき過ぎ。拗ねるよ?」
「それは大変だわ。どうすればいいかしら?」
 
後ろから自分の腰に回されていた細い腕を、スルリと解きながら振り向くと
その愛しいものを、己の逞しい腕の中へ閉じ込めるように抱き締める。
「こうすればいいんだよ」と可愛らしい耳朶に甘く噛み付きながら。
 
 
 
「スリョン。」
「なぁに?」
「スリョナ。」
「クスクス。Jie、どうしたの?」
「どうもしない。ただ・・」
「ただ?」
「好きだなぁと思って。」
「え?///」
「愛してる。」
「ジフ・・・・」
「愛してる?」
「勿論愛しているわ。ジフ。誰よりも、何よりも。」
「俺も。自分自身より、ずっと大事に想ってる。」
「同じね?」
「同じなの?」
「ええ。同じだわ。」
 
 
奇遇だね?そう囁いたのはジフだったかスリョンだったか。
2人はそこに磁力でもあるかのように互いの唇に吸い寄せられていく。
そして、その熱に、甘さに、酔っていく。
クチリと小さく湿った音を立て離れたそれを優しく撫でながらジフは呟く。
 
 
「もう、息継ぎ出来るようになったよね?」
「・・・///」
「慣れた?よね?」
 
 
広い胸に抱かれ、揺蕩う様に甘い余韻に浸っていたスリョンは、頬を赤らめつつも
何処か甘い囁きとは違う、辛そうに擦れているその声の主が気になり、顔をあげる。
 
 
「スリョン。俺・・・。俺達・・・。」
「ジフ?どうしたの?私達に何かあるの?今日のジフ、少し変だわ?」
「何も無い。何もないけど・・何も無いのが少し辛くなってきたんだ。」
「どういうこと?」
「スリョン。俺達、先に進むのはまだ早いのかな?」
「え?」
「待つつもりでいた。待てるとも思ってた。でも・・待ちたくないんだ・・・」
「ジフ?それって・・・?」
「スリョナ。君の全てが欲しいんだ。気が狂いそうなほど。」
 
 
これ以上無理だろうというくらいに見開いた黒曜の煌きに、
熱病に苦しむ切羽詰った顔をした男が映っているのを見て、
「これではダメだ。彼女を苦しめるだけだ。」と思い直す。
 
「ごめん。忘れて?スリョンがあんまり可愛くてふざけ過ぎた。クスッ」
 
これで、誤魔化されてくれると良いけど。そう思いながら
温もりをそっと離せば、寒くなってきた午後の風にやっと気付く。
 
「寒くなってきたね?風邪を引いてしまう。さぁ、邸に戻ろう。」
 
その小さな肩に自分の着ていたコートを羽織らせようとすると、彼女の手に阻まれる。
(しまった。急ぎすぎたか?)と内心自分の浅慮を呪いながら脱げなくなったコートを睨む。
すると、まるで季節外れの蝶の様に儚い様で、コートの中にスリョンが舞い込んできた。
 
 
「私の全てを、あなたに差し上げます。」
「え?」
「だから、どうか。受け取ってください。」
「す、スリョン!」
「私を、あなたのものにしてください。」
 
 
慌てて彼女を引き剥がして、その目をジッと見つめながら、宥めるようにジフが言う。
 
「無理すんな。俺は何時までも待つ。大丈夫。さっきのは冗談だ。」
「いいえ。私もあなたが欲しいの。気が狂いそうなほど。」
「・・・ス・・リョ・・・・ン・・・」
「無理だというなら、この気持ちを耐える方がきっと無理だわ。」
 
はっきりとそう言いきったスリョンは、ホゥと吐息を吐きながら
再びその姿を彼のコートの中に隠してしまう。
 
 
「あなたとひとつになりたくて、溶けて混ざってしまいたくて、分かたれているのが辛くて。
でも、方法が解らなかったの。ジフのくれるキスは少しだけそんな気持ちが満たされる。
そして、私は何も知らなくて、ジフの優しさに甘えてばかりいる。
私も前に進みたいの。震えているのは怖いからじゃなく、あなたをそれだけ愛してしまったから。
お願い。どうか、こんな私の全てを受け取ってください・・・」
 
喜びなのか、感動なのか、それとも戸惑いなのかはわからない。
震えるスリョンを抱き締めるジフの身体も震えていた。
 
そして、2つの震える魂は暫くの間、互いの熱を与え合うように宥めあうように抱き合っていた。