あの日の翌日は、本当に一歩も動けなくなったスリョンを
どこか嬉しそうに・・・・。宣言通り、抱いて歩くジフがいた。
 
その所為かどうか解らないが、祖父には直ぐにバレてしまい
スリョンは椅子から転げ落ちるほど(実際落ちた)、挙動不審になってしまう。
ジフは、と言えば。バレてるなら話が早いと、自室をスリョンのいる離れに移すから。と
相談ではなく、報告?をして、2人が驚いている間にサッサと引っ越してしまった。
 
今までジフの部屋だった所は、リビングの隣りでプライバシーが無い。というのがその理由。
(隣と言っても、ひろーーーいリビングの向こうにあるって感じなのだけど・・・)
スリョンの住む離れは、母屋と廊下で繋がってはいるけれど
ちょっとしたミニキッチンが付いたリビングダイニングみたいな部屋も有るし
バスルームも当然独立してついていて、ちょっとしたマンションの一室みたいな感じ。
有態に言えば「新婚夫婦が新生活を始める」のにピッタリなのだ。
 
今までのジフの部屋は、2人の勉強部屋にすることになり、
ジフが使っている、その体に合わせて特注された巨大なベッドがスリョンの寝室に運ばれて
今までのスリョンのベッドはどこかへ消えてしまった。
最初の頃、ク医師等が泊り込んだ控えの部屋は、ジフのクローゼットルームになり
ユン家の使用人達の手際のよさと、完璧な仕事ぶりは、ここでも遺憾なく発揮された。
 
『邸中の人に秘め事が公明正大に筒抜けてしまった!』 と、激しく狼狽したスリョンは
ジフなんか嫌いよぉ~!と叫んでいたが、どう言い含められたのか翌日には立ち直った。
(暫くは照れ臭そうにしていたが、それがまた初々しくて可愛いと、邸の者達に大好評!)
 
全てはジフの思惑通り・・・なのかは謎。
 
何故ならこの邸は老獪な狸の住まう場所。ジフすら知らない様々な「大人の事情」が
日々、電話線を駆け抜けているのだ。目下老狸たちの話題は「入籍決行日」にあるのだが
これはまた、別のお話。
 
スリョンはあの後、直ぐに女の子の日が来てしまい、密かにジフをガッカリさせた。
「俺達の赤ちゃん欲しかったのになぁ」と、ションボリしたのも束の間。
暫くは2人きりも良いよな?とサッサと立ち直ったのは、クマのスチュアートだけが知る秘密だ。
 
 
 
そしていよいよ婚約式を翌日に控えた今日。
 
明日の為に来韓したクリスとルークを迎えて、家族水入らずの昼食会が行われた。
元々親友同士だった義父と祖父は、何やら内緒事があるらしく、
デザートもそこそこにして、祖父の書斎に引っ込んだ。
 
 
急に大人びた弟に驚く姉と、急に艶やかに美しくなった姉に驚く弟は
(テレビ電話は欠かしてなかったけど、やはり生で見るのは違うらしい)
最初だけギクシャクしていたものの、そこは姉弟。直ぐにいつもの仲の良さを取り戻し
互いの近況報告や、勉強その他の進捗状況を報告し合った。
 
 
その寛いだタイミングを見計らったようにシンとチェギョンがやってきて
チェギョンはスリョンを「最終チェックだ」と言って連れ去ってしまう。
 
姉にそっくりな弟はシンの素性を聞くと、
「僕と同じ歳なのに、もう責任ある仕事をしてるなんて凄いなぁ!」と姉そっくりな発言をし、
これまた姉そっくりなクリッとした目を表情豊かに綻ばせて笑ったものだから
人見知りの激しい皇太子も一気に和んで意気投合している。
 
ついでに実はこの3人。なかなかの策士達でそっちの面でも意気投合。
ルークは韓国国内の相関図を完全に頭に叩き込み、自分の持つ情報と併せ
様々なテストケースを作り、対応策を練り上げていく。
互いに其々の家に必要な帝王学を学んできたジフとシンでさえも、このルークを見て
((世界一の財閥トップになるということは、こういうことなのか・・))と驚く程の・・・。
内容の緻密さと、判断の早さと正確さ、そして適当な糊シロを残しておく余裕、
それら全てを絶妙なバランスで組上げ、ひとつの形へ構築していく能力の高さに。
2人は最高に心強い仲間が増えた事を頼もしく思い、喜んだ。
そして当然の事ながら・・・・。此方の若狸(?)達の密談もそれから暫くの間続けられた。
 
 
一番平和そうなスリョンとチェギョンも、実は何やら密談中で
それは時に翌日の式の話やジフへのサプライズの話だったりはするけれど
その殆どは、互いが飲み込まれるかもしれない陰謀への対策だったりする。
 
周りが、守り気遣ってくれるのは有難いが、ある程度は自分自身で理解しておかねば
何時、自分以上に大切な人が、自分の所為で足をすくわれるか解らない事を
実体験でよーく理解しているこの2人。見かけと違って結構しっかり者なのだ。
しかも、彼等に心配かけないように、普段は何も知らず平和そうにしてるのだから、
やはり、只者でない男が惚れる女は只者ではないのである。
 
とは言えこの2人。相手の事ばかり心配して自己防衛本能が皆無なのも突出している。
お陰で、彼らの心配は尽きないのだが、それもまた愛のスパイスなのかもしれない。
 
 
そんなこんなで、この日のユン邸は、翌日に慶事を催すというのに
あっちこっちで密談が繰り広げられるという、珍妙な現象に見舞われた。
裏を返せば、それだけこの慶事が、みんなの願いであり、大事なことであって、
しかし、その幸せを守りぬくのは容易ではないのだということなのだ。
 
 
***** ***** *****
 
 
嵐の前の静けさなのか、来客達も明日に備えて早々に帰っていき、
穏やかな夜が2人に訪れる。
 
「ねぇ、ジフちょっと散歩に行きましょ?」
「今から?」
「そうよ♪大丈夫よ~。お庭だから。」
 
そして来たのは此の所バタバタしていて、来ていなかったケナリの前。
この一週間で随分花が咲き始めていたようだ。
黄色く小さな花が、葉もつかない枝に、ポツポツと咲く姿は、夜目にも、可憐で可愛らしい。
 
「よかった。間に合って。」
「うん。そうだね。」
「ジフにケナリの花言葉を聞いてから、絶対明日に間に合って咲いて欲しかったの。」
「希望。希望の実現。豊かな希望。・・そして、“叶えられた希望”・・・」
「そう。私にとって、ジフは希望だった。そのジフとの婚約式に希望の花が咲いてくれた。」
「俺にとってもお前は希望だよ。今までも、これからも。」
「なんだか、この子達にも私達の未来を祝福して貰えてる気がして嬉しいわ。」
「クスッ。そうだね。ねぇ、スリョン。この花が咲いたの知ってたの?」
「昼間、もしかしてって思い出したの。でも見には来なかった。」
「どうして?」
 
だってジフ。幸せって1人では味わえないのよ?とスリョンは当然のように言うが
ジフには意味が解らない。首を少し傾けて、小柄な彼女を見下ろすと
クスッと小さく笑ってきっとそのうち解るわ。という。
 
その時、フワリと優しい風が吹いて、ケナリの良い香りがフッと香る。
見上げれば空には朧月。ジフはなんとまぁ、こんな事もあるのかと内心驚くが、
こんな偶然が重なることが嬉しくなってしまう。
幸せは1人では味わえないと、スリョンが言ってたしな。と思い、その感動を口にしてみる。
 
「春宵一刻値千金って知ってる?」
「ううん?知らないわ。」
「春の宵は趣深く、そのひとときの時間は千金にも値する。っていう意味なんだ。
この言葉は、花に清香有り・月に陰有り、と対なんだけど、見て?あの月。
正に今この瞬間って、花は清らかな香りを放ち、月は朧に霞んでいる。そんな春の宵だなと。」
「わぁぁ~。ほんとだわ!すごいわ!ジフ!素敵だわ!
私達その詩を書いた人の見た世界に居るのかもしれないわ!」
 
その後も、こんな状況を千金にも値するって表すなんて、きっと素敵な人と一緒にいたんだろう
とか、一頻り騒いでいる彼女を見ていると、確かに1人だけこの事に気付くよりも
こうやってスリョンと分け合ったほうが感動も増すし、幸せになるんだと解った。
 
「幸せは1人では味わえない・・・か・・(クスクス)」
「なぁに?何を1人で笑っているの?」
「いや。なんでも。」
「もう!最近ちょっとジフって意地悪だわ!」
「そ?ほら。こんなに頬が冷たい。もう戻るよ。」
「うん!ジフってやっぱり優しいね!」
「スリョナ?俺は意地悪なの?優しいの?」
「そうねぇ・・・。あなたは意地悪で優しいんだわ!」
「そっか」
「そうよ。」
 
 
 
スリョン、この詩は大陸では男女の恋情を表す時に使うんだ。
 
ジフは小さなその肩を大事そうに抱きながらもう一度空を見る。
ずっと、何故名月でなく朧月なのか解らなかった。
 
でも、こうしてみれば確かに・・・。
 
愛しい恋人の肩を抱き、そぞろ歩くには、
名月では明るすぎて風情が無いよな。