シンの入宮を快く思わない一部の人間達の予想を裏切って
優秀で、立ち居振る舞いも優雅なシンは、宮内での評判も上々。
 
一部のファヨンとユル派の者達は、これを苦々しく思うものの
ソ家周辺を襲った粛清の恐怖の跡が、未だ濃く香る中では表立って動く事は出来ない。
また、自分の娘を皇太子妃に、と狙う王族の者達が手始めに媚を売ったのは
ミンの実家ユ家だったが、実直で思慮深く、長年長老の1人という重責を務めるユ・ジョンミンは、
娘のミンから頼まれるまでも無くシンが生まれた当初から2人を応援している1人であったので、
この者達の言葉に一切耳を貸す事は無かった。
 
ジョンミンは、先の粛清でも、皇帝達の良き理解者、そして協力者でもあったので
シン達の後顧の憂いが無いようにと、これらの者達の手口や甘言の内容、賄賂を匂わせる事など
事細かに書きとめては、来たる皇太子妃選定の騒動への布石を、密かに着々と敷いている。
 
 
 
そう。シンとチェギョンの婚姻にまつわる約束は、限られた一部の者達以外には
細心の注意を払われ、 『その時』 が来るまでは、トップシークレット扱いとなっているのだ。
 
 
 
ゆくゆく宮を背負うシン達の為にも、不穏分子をあぶりだし、整理する為の餌でもあるし
標的にされるであろうチェギョンの身を、守る為の防衛措置でもあったからだが
2人の事を完全に秘密にする事は、(あまりの仲の良さゆえ)不可能なので、
チェギョンがシンにとって幼馴染と、今後学友を兼ねる存在である事は、
『周知の事実』 として、宮も、その関係者達も認めている。
 
それを知った王族の中には、異性の学友の存在に難色を示す者もいたが、
チェギョンの祖父シン・チェヨンの存在が抑止力となり、声高に騒ぎ立てるものはいなかった。
裏では、国民と共に歩む皇室でありたいという皇帝の意を汲み、事情を知る最長老と、
2人の成長を見てきたもう1人のシンの祖父、ジョンミンの力も働いていたようだった。
 
 
 
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平日は宮に参内するとは言っても、お妃教育があってシンと過ごせる時間は以前よりも少なくなり
一緒に夕飯を食べた後は、迎えの車に乗って帰ってしまうチェギョン。
 
最初は眠ることも間々ならなかったが、2人共少しずつ新しい生活に順応しようと頑張っていた。
 
そんな2人にとって、週末のお泊りは、日頃の我慢に対する 『ご褒美』 のようなもので
何よりも楽しみにしているのだ。 
 
 
最初は土曜の夜だけ、という事だったのだが、2人の精神状態があまりにもおかしいので
金曜の夜から3泊、月曜までは一緒に居られる事となり、正確には週の約半分は一緒なのだけど
それでも、生まれたその日から殆ど離れた事の無い2人からすると、青天の霹靂のようなもの。
 
生活が180度変わったシンは勿論だったが、意外にもチェギョンの衰弱ぶりが酷かった。
眠れないし、食べられない。気がつくとポロポロ泣き出して、シン家ではお手上げ状態だったのだ。
苦肉の策として、夕飯までシンと一緒に食べる事にしてなんとか凌いでいる状態である。
 
もともと食の細いシンも、摂食に難が出ていたので、これは2人にとって最善の措置だったらしい。
夕飯を一緒に食べられる。午前中の勉強を頑張れば、お昼も一緒にいられるかもしれない。
それが幼い2人のモチベーションになって、其々の勉強が捗ったのは言うまでもない。
 
この2人。特にあれこれモノを欲しがらない子供で、唯一執着するのがお互いの事。
だから、互いが毒にも薬にも、時には 『鼻先にぶら下がるニンジン』 にもなるのである。
 
 
もう1つ、2人をなんとか頑張らせたのはジフの存在があった事。
 
 
ジフから連絡があることは殆ど無かったが、シンやチェギョンが日々の中で撮った写真を送れば
一言二言の返事が来る。電話で1人では眠れない自分達の事を相談すれば、少し考えてから
昼間の間お互いのクマを交換して傍に置き、帰ったら自分のクマと寝ろ、という。
「「???」」と半信半疑で試してみると、ほんのりお互いの匂いのするクマは
淋しくて、寒いベッドの中で安眠を誘ってくれて、その晩から眠ることが出来た。
 
「やっぱりオッパは魔法使いだね!」と翌日久しぶりに熟睡出来、輝くような笑顔で言うチェギョンに
ちょっと面白くない気持ちになるものの、(本当にヒョンは魔法が使えるのかも?)と
こちらも久しぶりにサッパリとした表情のシンは、内心そう思うのだった。
 
ジフは2人にベタベタすることも、妙に兄貴風を吹かせることも無く、至極淡白だったが
2人のSOSを無視する事は絶対に無かったし、その存在自体が、大きな環境の変化で
不安定になっていた2人にとって揺らがない支柱のような、心の支えになっていたのだ。
 
 
 
そうやって、新しい生活に何とか順応しつつ、皇帝学とお妃教育に励む2人は
本来の優秀さが芽を吹きはじめ、その目覚しい進歩には指導に当たる者達を驚かせ
報告を聞く皇室の家族や、シン家の人々を喜ばせた。
 
我慢を覚えた事が勉強の面でも成長を促しているようで、集中力が格段に上がっていた。
また、お互い別々の勉強をしている内容を、食事時や、休憩時間の会話の中で、
自然と其々報告し合うようになった2人は、いつも 『一緒』 が当たり前という感覚から
これまた自然とお互いに教えっこを始めたのだが、それが良い復習になったらしい。
 
2人は少しずつ、『シンとチェギョン』 から 『シン』 と 『チェギョン』 という
其々別の存在である事を、頭ではなく感覚で理解し始めていた。
 
 
 
様々な歯車が上手く噛みあい、順調に回り始めたように思われたある金曜日の午後のこと。
 
ジフの携帯に一通のメールが届く。
 
 
From : アナ
件名 :
本文 : スチュウ アルフをたすけて
 
 
 
文字を覚えたチェギョンは、少しずつメールを打つ事も出来るようになり
時々シンやジフに文字の入ったメールを送れるようになっていた。
普段は返事に迷うような一行日記のようなものだったので、
3回に1回位しか返事をしないジフだったが、これを読んで目を見開いて固まった。
 
今まで何か相談があるときは、まだ上手に出来ないメールなんかではなく
直接電話が掛かって来ていたのに、今回に限ってメールが来た違和感が
無意識のうちにジフを固まらせていたのだ。
 
彼等よりは年上とはいっても、所詮小学生でしかない幼いジフに、その自覚は無かったのだけれど
彼は不思議と危険の度合いを嗅ぎ分ける嗅覚というか、本能のようなものが備わっており
それが、緊急事態だと告げているのである。
 
(嫌な感じがする・・・)
 
そう思ったジフは、折り返し電話をする事は諦めて、チェギョンがしたのと同じように
コードネームを使ってメールを打つことにする。
 
 
 
From : スチュウ
件名 : Re
本文 : 電話で話を聞きたいから、アナが大丈夫な時に電話して。待ってる。
 
 
 
落ち着かない気分で待ち続けた2時間後、やっと来たチェギョンからの電話で
チェギョンが暗号メールで連絡してきて、自分も同じように返した事が正解だった事を知る。
 
そして、チェギョンでも出来ることを幾つか指示し、連絡してくれた事を褒めて電話を切り
今度は、祖父に今聞いた話をそっくりそのまま、そして自分がチェギョンに出した指示の内容も
併せて報告すると、驚いた事に、宮への出入りがイチイチややこしい自分ではなく、
顔パスのジフが行ったほうが良さそうだ、と言い出して、皇帝に伝言まで託ってしまった。
 
 
(あぁ・・・なんかメンドクサイ・・・・。)
 
 
そう思いながらも、ふと自分に渡されたクマのヌイグルミが目に入ると
それと同時に、温かく優しい、そして少し震えていた皺の多い手を思い出したジフは
その手の持ち主と、トンセン達の事を思い出して(仕方ないか・・・)と
大人びた溜息を1つ吐いてから、出かける準備を始めるのだった。