「チェギョンや。儂は病である事が今は普通の事の様に思えるが、この命の終わりが近付くと
独りぼっちになるお前の事だけが気がかりでならぬ。どうすれば良いのだろうなぁ?」
 
 
そう言って嘆いていたお祖父ちゃまが、今朝、死んでしまった。
 
(お祖父ちゃま、どうすればいいか悩むのは私のほうだよ・・・)
 
 
唯一の肉親との死別はもちろん悲しい。
けれど、それを悲しんでだけいられないことは
 
きっともっと悲しい。
 
 
 
 
祖父はそれを知っていただろうか?
 
 
 
 
チェギョンは薄曇りの天を仰いで、葬送の灰煙をボゥと見つめる。
髪に小さな白いリボンをつけ、黒い韓服に身を包む彼女は
小学校を今年卒業するばかりの、ホンの子供だ。
 
そんな子供の自分に、身の振り方なんて
どこから考えればいいのかも分からない。
 
 
 
もう、あの煙と一緒に何処かへ昇っていってしまいたい。
 
 
 
 
こんな時は、あの人に会いたい。
あの人に会って、あの人の世界に連れて行ってもらいたい。
 
もう、何も考えず、あの人の良い匂いのする絹の衣に包まれて
只管に眠りこけてしまいたい。
 
 
つぅ、と流れる涙は、祖父の為か己への憐憫か、わからない。
けれど。流れるままに任せてみれば、少しばかり心が救われた。
 
 
 
***** ***** *****
 
 
 
重くて仕方の無い体を引きずるように家に帰ると
薄暗い部屋に明かりをつける。
 
 
祖父が病み疲れて逝ったように、チェギョンもまた疲れきっていた。
それ程の時間、彼女は幼い心を必死で奮い立たせ
祖父を失う恐怖を押し殺し、笑顔を絶やさず看病に明け暮れたのだ。
 
 
 
 
何も食べたいとは思えなかったけれど、一口二口・・・と機械的に咀嚼を繰り返す。
それは今では習慣になったもので、味も何も感じられないものを噛んで飲み込む。
 
 
生きるということは、これの繰り返しでしかないのかもしれない。
 
 
それさえも出来なくなっていた祖父の最期を看続けたチェギョンにはそう思えてならない。
3年もの間、祖父を思い、祖父の為だけに生きていたようなものだった。
 
 
 
 
その祖父が逝ってしまうのは、解ってはいたけれど・・・・。
 
解っている事と、享受することとはきっと全然違うことなのだ。
 
 
 
チェギョンは祖父が死んだ事をちゃんと理解していたけれど
それによって、明日からの習慣が変わる事は解らないのだ。
 
 
お見舞いに行くこともない。
体調に一喜一憂し、無理に笑顔を作ることもない。
 
 
それどころか
 
 
笑いかけることも、笑いかけてもらう事も、もう、ない。
 
優しくて大きな手で頭をなでてもらうことも
笑うと線のようになるシワシワの目で見つめられる事も、もう、二度とない。
 
 
そういうことが解らないのだ。
 
 
 
病んでいても、意識がなくても・・・・・・。
そこに温かい体が存在する事がどれほどチェギョンを支えていたのか
まだ、チェギョンには解らないのだ。
 
 
 
今はただ、眠りたかった。
眠りの向こうにいるかもしれないあの面影に会いたかった。
 
 
 
会って。
 
その胸に縋って泣きたかった。
 
 
 
それだけだった。
 
 
 
3年前、突然自分の夢に現れたあの人だけが
今のチェギョンを包んでくれる存在のように思えたから。
 
 
祖父が病み、けれどあの頃はまだ、それが意味する結果など解らなかった時で
不思議な夢を見ても、毎日の暮らしの中でそれはそれ程大きな存在ではなかった。
 
 
けれど、次第に祖父の容態が悪くなり、幼いながらに精一杯踏ん張っていなければ
立っている事すらも適わない様な有り様になるにつれ、それは大きな意味を成していった。
 
 
 
人形遊びをしても、絵を描いても、<シンオッパ>というのをこしらえては
それはそれは綺麗な服を着せて、どんなモノよりも大事がって遊んだ。
 
シンオッパの話は時々難しかったけれど、それでも一生懸命聞いて
オッパが知りたい事を、自分もちゃんと教えてあげたかったから、図書館で勉強したりもした。
 
起きている時は、頑張らないと笑えなかったけれど
夢の中でオッパに会えると、不思議と自然に笑う事が出来た。
 
オッパが楽器を演奏するのが好きだと言ったから
自分も何か楽器を習ってみたくなって、祖父に強請って習うようになった。
 
幸い、金銭的には不自由していなかったので
「何でも好きなものを習えばいい」と言われ、色々考えたけれど
いつか夢の中で聴かせてあげられるかも?と持ち運びの出来る楽器に決めて
バイオリンとフルートを習い始めたら、その時間だけは何もかもが忘れられて
1人の時間も淋しくなくなったので、一杯練習していたら、先生に驚かれるほど上達した。
 
オッパは字を書くときにハングルを使わないから
難しい漢字を読めるようになりたくて、祖父にそう言ったら
それも随分喜んでくれて、四書を先生について習わせてもらえるようになった。
 
オッパに教えてあげると楽しそうに笑うから
独りぼっちのご飯の献立も手を抜かずに頑張った。
「今日はこんな物を作って食べたよ!」と報告する為に・・・・。
 
 
 
最初は、夢の中だけにいる、本当のお兄さんのように思っていた。
優しくて、綺麗で、なんでも知っていて・・・・。
自慢出来るものなら、大イバリで自慢して歩いたかもしれない素敵なお兄さん。
 
 
でも、学校で 「誰々が何々君を好きだ」 とか、そんな話がそこかしこで
秘密っぽく囁かれるようになって、チェギョンは周りを見渡してみると
みんなの言う 「好き」 というのは、自分がオッパに思う気持ちに似てる事に気がついた。
 
何かをしてあげたいとか、喜んでもらいたいとか
目が合うと嬉しいとか、話すとドキドキするのだとか
好きな人と同じものが欲しくて、同じ事をしたくて、だとか。
 
 
そういう気持ちは、いつもオッパに感じていたモノだったから。
 
 
そう思ったら、楽しみにしていたオッパと会える夢を見るのが、ちょっとだけ怖くなった。
けれども。いざ夢で会えると次の日は一日中ウキウキしてしまうくらい嬉しくもあった。
 
 
綺麗なオッパに、自分がどう見えているのか気になりだしたのも、それからだった。
 
 
あんなに綺麗な人は見たことなくて、テレビの中にもいないくらいなのに
自分はなんて普通で、なんてつまらない女の子なのだろう。そう思って悲しくなった。
 
でも、そんな自分をオッパに知られるのは恥ずかしいような気持ちがして
一生懸命普段通りに明るく振舞ってみたりした。
 
 
夢の中で、オッパの懐に抱かれても、少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わなかった筈なのに
この頃では、オッパにそうされると、なんだか顔がポゥと熱くなった。
 
 
 
ずっと、もう何年も、オッパだけがチェギョンの支えで救いだったけれど
今ではそれ以上の人なので、もう夢の中だとか、そういうこともどうでも良くなっていた。
 
チェギョンの現実は辛すぎたから、夢と現実を分けて考える事は出来なくなっていたし
出来たとしても、したくなかった。唯一の甘い時間を手放す事など到底無理だったのだ。
 
 
 
「オッパ。お祖父ちゃま、死んじゃったよ?私はどうすればいい?
お祖父ちゃまと同じように煙になってしまえたら、本当のオッパに会えるのかなぁ?
夢で時々会うんじゃなくて、ずっとずっと、一緒にいられるのかなぁ?」
 
 
オッパは500年前の韓国の王子様だって言っていた。
それならきっと、今は天国にいるんだろうと思う。
祖父も今日、そこへ旅立ってしまった。
覚えてはいないけれど、両親もそこにいるのだと思う。
 
 
 
私の大事な人はみんな天国で、私だけがこんな寒くて暗いところにいる。
 
 
「みんなの所に行きたいよぉ・・・・・。」
 
 
 
絵の上手なチェギョンが、一生懸命描いたシンの似顔絵が
そんなチェギョンの言葉に、ニッコリ微笑んだような気がした。