供寝のせいだろうか?
 
雌雄並び立つイチョウの巨木のその下に
 
それが夢でも現(うつつ)でも共に在りたいと願う
愛しいものの姿を見つけたシンは思う。
 
 
 
彼(か)の女人は、小さな体を 尚小さく丸めてしゃがみこんでいる。
 
 
 
こうしていると、初めての邂逅が思い出されるようで
懐かしく、優しい気持ちになり、華の微笑を浮かばせたシン。
 
 
 
「チェギョン?何をしているのです?
また 小鳥でも逃がして泣いているのですか?」
 
 
 
そう問いかけながら、傍に歩み寄り、恋人の視線を追えば
何やら熱心に地面を眺めているようだったが、シンの位置からは何も見えない。
 
 
 
「オッパ!あれ、これは・・・」
 
「ええ。夢の中ですね。
あなたときたら、酔ってすぐに寝てしまいましたから。
あなたを恋しがる私の魂魄があなたを追って夢にまで・・・。
というところでしょうか?」
 
「ご・・ごめんなさい・・///
全然覚えてないけど、私、何かおかしな事言った?とか?」
 
「まぁ・・・。でも、可愛らしかったですよ。
チェギョンは何をしても可愛いですからね。
ほら、そんな困ったような面白いお顔をしていてはいけませんよ?
このままそんなお顔になってしまったら、いくら可愛いあなたでも困ります。
良いではありませんか?珍しい姿も見られるのは私だけ。
そう思うのも楽しく幸せなものなのですから。」
 
 
 
甘く囁きかけて後ろから、チェギョンを抱き込むように蹲ると
「これを見ていたの?」と耳元で語りかける。
 
 
そんなシンに
 
 
チェギョンは口から飛び出そうなくらい心臓をバクつかせて
白い肌を真っ赤に染めながら、コクリと頷く。
 
 
 
「一体何の花なのでしょうねぇ・・・」
 
 
 
それは、花というよりは胞子か何かのような、本当に小さなもので
糸のように細い茎の先に一ミリ程の白い花を咲かせているのが十以上群れている。
 
 
 
よくもこんなちいさなものをみつけたものだ。
 
 
 
と感心しながら眺めていると、視界の隅にボウと明るい光が見えた気がして
つと、と顔を上げたシンは、そのまま目を見開いて固まってしまった。
 
ピタリと動かなくなったシンの異変を察知したチェギョンもまた、その顔を上げて直ぐ
大きな眼を、零れ落ちるほど大きく見開いて、それを言葉も無く凝視する。
 
 
 
「・・・・如来・・・か・・・?」
 
 
 
呟いた本人の自覚もなさそうな、吐息のような呟きに
金縛りが解けた様に思考が動き出したチェギョンが
「にょらい?」と、その呟きに問い返し
シンもまた、チェギョンのその言葉で、ハッと我に返った。
 
 
 
「え・・・えぇ。多分。チェギョンは仏教を知っていますか?」
 
「うんとね。学校で習ったよ。世界三大宗教のうちの1つで
インドから中国を経て、韓国に伝来された宗教だって。
その後儒教を国教にする動きで弾圧されたけれど
今は韓国にも信徒はたくさんいるんだよ。
うちは仏教徒じゃなかったからそれ位しか知らないの。」
 
「・・・何やら、色々聞きたいことが生まれた気がしますが
今は話が混乱するので、止めておきましょう。
で。その仏教には色々な仏様がいらっしゃるのですが
これはおそらく釈迦如来仏で、仏教の開祖だろうと思うのです。」
 
「どうしてそう思うの?」
 
「ほら、手の仕草をみてください。右手を地に着けているでしょう?
あれは釈迦の五印のひとつで、降魔印(ごうまいん)というのですが
釈迦が悟りを開くのを邪魔しに来た悪魔を、退散させた時の身振りと言われています。
ですから、おそらくこの像はそうではないかと思うのですが・・・。」
 
 
 
自信の無いような風で、まるで頭の中の教科書を、読み直して確認しているかのようだったが
不意に何かを思い出したかのような顔になって、今度は先程の小さき花を凝視する。
 
 
 
「如来と、不思議の花・・・・。やっぱり、そうなのだろうか?」
 
「オッパ?どうしたの?」
 
 
 
 
緩々と優しく揺すられて、視線を戻せばそこには。
 
 
 
夢で逢瀬を重ねては想いも積もり、常と訪れる夢の終わりのときには
このままに別れ、残して醒めるのが、飽き足らず口惜しく思われて
せめて魂はこのものの傍に、と祈る思いで千の夜を焦がれて過ごした
 
今この時、現(うつつ)の身が愛おしく抱き包んで眠っているであろう
シンの紺瑠璃が、現と同じく腕の中にあるのだと思う。
 
 
 
 
それは、不思議な事に
この時初めて実感となってシンを捉えた思い。
 
 
 
 
奇跡を、あるがままにそのままに、諾(だく)と受け入れた様だったのは
それを前にする余りの驚きで、麻痺したゆえの落ち着きだったのかも知れない。
 
今この時、この刹那。
 
シンは確かに身にかかるその奇跡の恩恵を、しみじみと感じ
震えがくる程の歓喜に、甘露の雨を降らす。
 
 
 
 
「オッパ?ねぇ、シンオッパ?本当にどうしたの?
なんで泣いているの?何がそんなに悲しいの?」
 
「いえ・・・・いいえ。悲しいのではなく嬉しいのです。
あなたに逢えて、あなたと共に生きられる事が本当に許されたのだと
それを天が認め、まして手助けまでしてくださったのだと知ったのです。
ですから、それが嬉しくて、それで泣いているのです。」
 
 
 
 
その間も流れ続ける涙を、一生懸命自分の袖で拭いてくれている恋しい人。
 
 
 
 
このひとはもう、夢の目覚めと共に去る人ではないのだ。
 
魂だけでも留めんと願わずとも、その身を司る全てが永久に共に在るのだ。
 
そして、この雌雄の木と同じに、いつか必ず結実し
その縁(えにし)を繋いでゆくことが出来るのだ。
 
 
 
 
感動に震えながらも、シンは言葉をつなぐ。
 
 
 
 
「チェギョン。この花はね、優曇華(うどんげ)というのですよ。」
 
「え?」
 
「三千年に一度しか咲かず、
咲いたときにはそこに如来が現れるのだという
仏教の経典の中に伝承として残される
幻の、伝説の、花なのです。」
 
 
 
 
そして、その花の名は 「稀有」や「滅多にないこと」 の比喩として度々用いられる程に
名だけは広く知られているのに、その姿はあまりにも知られていない、奇跡の花。
 
誰も見たことの無い、だからきっと見たとしても分からない、そんな花なのだ。
 
 
 
 
「私達の縁は、この花のように珍しく、そして誰もが見たことの無い縁なのですね。
こうしてあなたが 「現のもの」 として、私の腕の中にいてくれることは
この花を見るのと同じくらいの奇跡なのだと、今やっとわかったのですよ。
だから・・・・。それが勿体無く喜ばしい事に思えて、涙が溢れてしまうのです。」
 
 
 
 
そう。自分はそれほどの奇跡の縁を結んで、このひとを得たのだ。
決して離すまい。そして、天にも寿(ことほ)がれたのだと信じて
この、紺瑠璃の宝珠を大切に、愛しんで。
 
 
生きてゆこう。共に。
 
 
全ての隔てを払い除けるかのような仕草で、運命の伴侶を胸に寄せて
その腕で覆い隠すかのように包み込みながら、シンはそう決意し如来に誓うのだ。