「またか・・・。キム内官、いつものように処分を頼む。この事、皇后は・・・・」
「はい。陛下。こちらは皇后陛下よりお預かりいたしましたので・・・。」
「そうか・・・。すまぬが少し疲れたようだ。一時間ほど休みたい。」
「かしこまりました。何か、お飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「・・・・いや・・・。少し散歩にでも出てみよう。供は要らぬから、そなたも休みなさい。」
 
 
 
そう言って微笑む皇帝の表情は、確かに疲れているように見える。
まぁ、あの方からの贈り物があった時はいつもそうなのだが・・・・。
 
 
(ファヨン様にも困ったものだ・・・)
 
 
内官という立場上、決して口に出しては言えないが、心の底からそう思う。
自分がお仕えするヒョン皇帝は、不器用すぎるほどに不器用な方だ。
常に付き従い、同性として見れば、陛下がどれ程皇后様を愛しんでおられるかなど
疑問を持つことすら馬鹿馬鹿しく思える程なのに、何故か皇后様には伝わっていないようなのだ。
 
息子であられる皇太子殿下のように、素直すぎるのも問題かもしれないが
仕えていれば、この二人は間違いなく父と子である、と思うくらい本質は同じらしい。
 
皇后様以外の女性を、この方は絶対に女性と認識してない筈なのだから・・・・。
いや、皇后様以外に女性など、この世に存在していないくらいに思われているのかもしれない。
 
 
御前を辞して廊下に出たキム内官は、歯がゆいほどに不器用な自分の天を思い
深く嘆息すると、ファヨンから贈られた品物を処分する為にその場を後にした。
 
 
 
***** ***** *****
 
 
 
何故こうなってしまったのかは判っている。
しかし、どうすれば良いのかが判らないのだ。
 
 
 
物思いに耽りながら、ヒョンが辿り着いた先は、ミンとの思い出の場所。
 
 
 
宮の広大な庭の、なかでも秘苑と呼ばれるその場所の
桜の花が咲き誇るなかで、あの時・・・・。
 
今も、桜はあの日のように、美しく咲いていて、時が止まったかのようだというのに
どうして私達はあの日のままでいられないのだろう・・・・?
 
 
 
幼い頃から、父のジョンミンに連れられて宮へやってくる一つ年下の可愛い女の子。
ずっと、兄の、皇太子妃候補筆頭の姫だと思っていた。
 
それでも何故だか目が離せなくて・・・、憧れていたのだと思う。
 
自分には無い、明るく屈託の無い笑顔に。
小さくて折れそうなのに、芯の強そうな瞳の輝きに。
歳を重ねるごとに、美しく花開いていく清純な美しさに。
 
初めて兄を妬ましく思ったのだ。
この女性(ひと)を、何の努力もせずに手に入れられるその地位を。
 
初めて自分が大君である事を呪ったのだ。
どれ程頑張ってみたところで、最初から彼女との縁など、かすりもしないであろう自分の不運を。
 
 
憧れは、いつしか愛に変わり、運命は思わぬところで自分との縁を繋いでくれた。
 
 
あの日、この場所で彼女に伝えた想いは、今も何ひとつ変わってはいない。
いや、寧ろ・・・。この桜の花びらがサヤサヤと散り積もるように
日を追い、年を経るごとに、深まり、増しているのだ。持ち重りするほどに。
 
 
「・・・・・ミン・・・・・」
 
 
桜の木の下でその名を呼べば、あの日の笑顔も、香りも、温もりまでもが
目の前にあるかの如く、何処までも甦らせる事が出来るのに ―――・・・。
 
 
「ヒョンや。想いは口にせんと伝わらんぞ?」
 
「じょ、上皇様!!!」
 
「今はそなたの父じゃ。ヒョン。ナムギルがそなた達夫婦を心配しておると
チェヨンが申しておったが、このようなところで妻の名を呟いているところを見ると
どうやらナムギルの心配は的中・・・というところかの?クックッ」
 
「ち、父上っっ/// からかわないで下さいっ!
全く・・ナムギルヒョンも、何もアジョシにそんなことを言わなくても・・・はぁ・・」
 
「ふん。そなたが皇帝という地位に就いてしまい、ナムギルとて、そう気軽には会えまい。
それでも心配だったのだろう。チェヨンを使って儂を使者に立ておった。
この韓国で、儂を気軽に使者に使おう等と思うのは、あの親子とソギョンくらいじゃ。」
 
「父上・・・」
 
「しかしのぅ、ヒョンや。それだけナムギルはそなたと、ミンを思うておるのじゃよ。
そなたも本当の兄以上に慕っておったが、ナムギルにとってそなたは実の弟と同じなのじゃよ。
そしてミンはスンレとも親友で、シンとチェギョンが生まれてからはずっと隣家として
家族と同じように過してきたのだ。あやつにしたら弟妹が其々悩みを抱えておるようなもの。
放っておけるはずもなかろう?儂とて喜んで使者に立とうというものじゃよ。」
 
「・・・・・・・」
 
「ヒョン。少しの間、年寄りの昔話に付き合わんか?」
 
 
 
父と思う以上に尊敬する皇帝として、ヒョンの中に在り続けたこの偉大な男は
紛れも無く自分の父だったのだと、たったそれだけの事実が、どうしてだか急に胸に迫って
涙を流さぬはずの皇帝は、その瞳を朱に染めて、ホンの一滴の雫を零したが・・・・。
 
丁度眼鏡に張り付いた薄桃色の花びらを、取るふりをして拭うのだった。
 
 
 
父上皇は、そんな息子を見て見ぬふりで、傍にある四阿(あずまや)に静かに歩みを進めた。