ソンジョは、今や唯一の息子となったヒョンを、優しい慈愛のこもった瞳で見つめると
ヒョンがはじめて聞くような話を、古いアルバムを開いて懐かしむ者のように話し始める。 
 
 
「そなたは、ずっと・・・・。ミンだけを見つめておったのぅ・・・・。」
「え?・・・父上・・、ご存知だったのですか?」
 
 
驚きを素直に表す息子に、(幾つになっても子は子じゃのお~)等と思いつつ
含み笑いをもらす。こんな親子の会話はもう10年以上していない。
男親と息子などはそんなものだ、と皆は言うが、息子の立つ孤独な場所を理解してやれるのは
自分しかいないのだと思えば、もう少しこれからはこんな時間を持っても良いような気がする。
 
 
「皇帝とはいえ、儂も父じゃからの。しかし、最初に気付いたのはミンの父、ジョンミンじゃ。
儂と后は、ユ家の者達の人柄を見込んで、スの、皇太子の妻にはユ家の娘を望んでおった。
しかしジョンミンも、何より当の本人であるミンがどうしても嫌だと拒んでおったらしい。
理由はスの・・あやつの、独裁的な性格を嫌っての事のようじゃった。」
 
「ミンが・・?しかし・・・・」
 
「そんなことを、儂らに悟らせると思うか?臣下がそのような事を申せるはずも無かろう。
ジョンミンは欲のある者ではない。娘の幸せだけを願っていたし、今もそうじゃ。
だからこそジョンミンの目から見ても、娘をスに嫁がせとうはなかったのじゃろう。
断れぬものなら、逃がしてしまおうと、時が来たら留学させるつもりでおったらしい。」
 
「それでは義父上は不敬罪に問われる事となられるはず・・・・・覚悟の上・・・か・・?」
 
「そうじゃよ。ジョンミンは自らの命と引き換えに、ミンを守る気でおった。
儂達の言葉は、臣下の者たちにとって、それ程に重いことを改めて気付かされた。
幼い頃より近くに見てきたミンの幸せだ。儂も后も勿論願っておった。
その幸せがスの元に無いというのであれば、淋しくはあるが反対もせんかったはずじゃ。
しかし、ユ家はそうは思えんかったのじゃろうな・・・。」
 
「父上・・・。」
 
「ヒョン。儂らのいる場所は、それ程に尊ばれる。しかし、それゆえに孤独じゃ。
思うことも、願う事すらも、おいそれと口には出せぬ。人の命にすら関わるでの・・・。」
 
「・・・・父上でも、そのように思われましたか?私のような未熟者と違って
父上には、それを慕い敬う者たちが大勢いらっしゃるのに・・・・。」
 
「ヒョン。そなたにも居るではないか?寧ろそなたの方がすごいのだぞ?」
 
 
今までは周囲からあまり期待をかけられずに、けれどだからこそ宮の中にあっては自由に
元々の性格からか、控えめではあるけれど優しく素直に育った次男のヒョンが
突然何の準備も無く、皇太子、そして皇帝へと昇ることになった。
 
それはこの繊細な息子にどれ程の苦痛を強いたのであろう?と父は思う。
皇帝よりも、学者か研究者のような、静かにもの思う暮らしが向く、争うを好まない息子。
立派にその役目を果たしてくれてはいるが、それはおそらくこの子がおのれの全てを押さえ込み
血の滲むような努力をしているからこそのものなのだろう。まるで砂上の城のようだ。
ヒョンの心に、どこかホンの僅かにも歪みが生ずれば、簡単に崩れてしまうだろう。
 
(だから、チェヨンは儂を使者に立ておったのだな・・・)
 
目の前に自信なく項垂れる皇帝の姿は、父であり上皇である自分に、多くの事を気づかせる。
その中には (まだまだ隠居はできんな?) と老獪に笑う王の姿があったが
深く大きい父の愛はそれを軽く凌駕し、そして誰にも持たれかかる事の出来ぬ皇帝の
息子の全ての憂いを包み込んで拭い去り、それが出来ずとも、傍にいてやりたいと思うのだ。
 
 
「話は戻るがの・・・・」
 
 
それからの父の、上皇の言葉は驚くような事ばかりだった。
 
ミンの父、ジョンミンは、ヒョンの想いに気付くと直ぐに動いたという。
当時の皇帝であるソンジョに、自分の娘は皇太子妃ではなく大君妃の器であるので
その重責はどうか他家の娘に・・と直接上奏したのだそうだ。
 
「あのジョンミンのことだ。当然ミンの意思を確認しておったと思うがな?」と
意味深に笑まれては、皇帝といえども顔が火照るのを隠しきれはしなかったが・・・。
 
その時ジョンミンから聞いたヒョンの想いを、母である皇后の強い希望もあって
守り育ててやろうという事になったというのだ。
 
母后は「ヒョンは、次男に生まれたというだけで、多くのものを我慢する子になってしまった。
だからこの、唯一の想いだけは掴ませてやりたい。」と父帝に願ったという。
 
義父上のジョンミン氏も、宮の秩序を守る意味でも大きな力を持つわけにはいかぬ大君の
ヒョンを支え守ってやりたいと、皇帝の前で誓いすら立てたそうだ。
 
 
 
ヒョンは下を向いて肩を震わせて聞いていたが、その足元にはポタリポタリと
黒く濡れた染みが幾つも出来ていた。
 
 
 
「それだけではない。そなたは儂の親友たちにもえらく買われておってのぅ・・・」
 
 
 
ソンジョは、あの夜の、花見の宴での話をしてやった。
 
ナムギルが同級のスを嫌い、ヒョンを可愛がっていることから、チェヨンが動いていた事。
政治家の目でみてスとファヨンに危機感を持っていたソギョンも、ヒョンを後押ししていた事。
 
そして、その後チェヨンが言った言葉は、図らずも我が息子シンの運命を定めた。
あの子が自分の命よりも大切に想うチェギョンを、約束されたのだから・・・。
 
 
「父上。私達親子は義理の家族に選んでもらえる事で、運命の恋を手に入れられる星の元に
生まれたようですね。どうやらそれは、いつも父上の思惑からは外れるようですが?クスッ」
 
「ふふっ。そうじゃのう~。しかし、シンのほうがそなたよりずっと素直じゃがな?」
 
「はぁ。あれは・・アレで良いのでしょうか?親としては些か不安にも思うのですが・・。」
 
「さてな。けれどあの二人はあのようにしか生きられまい。親心を言うのなら
そなた達のほうが余程不安に思うぞ?ヒョン。そなたは 『不魚住』 過ぎるのじゃよ。」
 
「え?・・・うお、すまず?でございますか?」
 
「そうじゃ。あまりにも清い水には、魚は住む事が出来ぬもの。
それと同じであまりにも清廉すぎる人間は、却って人に親しまれず孤立するものじゃ。」
 
「はぁ・・・しかし、皇帝とはそういうものなのでは・・・?」
 
「ヒョンよ。汚れよと申しているのではない。皇帝としての心構えを説いているのでもない。
息子であるイ・ヒョンという男が、愛して止まぬ妻に対してどうあるべきか、と言っておる。
男女の情は、常識で量れるものではない。時に無分別である事も必要かも知れぬ。
それにな、そなたがそれでは、ミンは住めない水に暮らす魚と同じことになるが
ヒョン、そなたそれでも良いと申すか?」
 
「ミンは・・・、私を、私の心を疑っているのです・・・・。努力はしたつもりです。
何度もそうではないのだと伝えてもみました。けれど・・・ミンの心は閉ざされたままで・・」
 
「恋は盲目とはいうが、ある恋を隠すことも出来なければ、無い恋を装う事も出来ぬのが恋じゃ。
そなたもシンと同様に、どこからみても「ミンを好いておる」としか見えんがのぅ?くっくっくっ
それだけミンはそなたを愛しく思うておる、ということじゃよ?解らぬか?」
 
「えっ!?」
 
「はぁ・・・どうしてこう・・・、我が息子ながら、朴念仁に育ってしまったのだ・・・。
むぅ・・。パクに聞かれれば、確実に儂のせいにされる気がするのぅ?どうしたものか・・??」
 
「は・・・?」
 
「ミンは嫉妬しておるのじゃよ。あまりに過ぎれば膿み患って取り返しのつかぬ事もあるが
昔からいうであろう。嫉妬は恋の姉妹なのだと。悪魔が天使の兄弟であるようにな?」
 
「し・・・・っと・・・・?」
 
「そうじゃよ。そういう気持ちに囚われた者はその炎に自ら焼かれて苦しむ。
そしてどんな些細な事でも、それをまた贄にして身を焦がす。
何を言っても、聞き入れたい、信じたいと思っても、思うように心が動かせぬ。」
 
「では、私はどうすれば・・・はぁ・・・。」
 
「不幸を治す薬は、希望以外には無い。たとえミンが今のそなたを信じられずとも
そなたとの未来には希望が持てる、そう思わせてやるしかないのではないか?」
 
「希望、でございますか?」
 
「ミンは元々、皇太子妃の座などに何の執着もない娘だ。皇后の座とて同じであろう。
皇后として必要とされるのではなく、妻として、女として必要とされたい。
女とはそういう生き物だと、そなたの母によく言われたものだ。クックックッ」
 
「母上が?それで、父上はどうなさったのですか?」
 
「何も?ただ愛しただけじゃ。パクとはなかなか子が出来ず、さがない者共が側室をと煩かった。
パクは妻として苦しみながらも、后として儂にそれを勧めおった。
儂は絶対認められぬと言ったが、ならば廃妃にしろという。もう、どうにも参ってしまって・・。
宮を抜け出して悪友と自棄酒を煽っておったら、ソギョンの奥方がケラケラと笑い出しおった。」
 
「ソギョンアジョシの・・?ああ、あのお綺麗な女医であられた・・・。」
 
「そう。産科のな。あの時代に女だてらに医学を究めたようなひとだから、
なよ竹のような美しさに反して、そこらの男の何倍も豪気な気性でな。
儂に向かって「女は子を生む器械じゃない。けれど三年子無しは去れと言う。石女ともね。
そんな馬鹿馬鹿しい事を罷り通らせるのはいつも男よ。女は生むも地獄、生まぬも地獄。
女が居なければ、絶えてしまうしかないっていうのに!ソンジョ様!あなたが本当にパク様を
愛しているというのなら、どんな期待も一切しないで、ただ彼女を愛しなさい。
それが出来た者だけが、誠の愛を得られるってものよっ!!!」と言いおった。クックックッ」
 
「あの・・・美貌と気品の塊のような方が、そんなことを・・・?」
 
「おお。一言一句、そのままじゃよ。儂だけでなく、チェヨンもソギョンも
あの勢いには胆を冷やしたぞ?しかし、心を打つものがあって、その通りにしてみたのじゃ。
心を開いてもらおうとも、愛を返してもらおうとも思わず、只管片恋のように・・。
まして子を授かってもらおうなどとも一欠けらも考えず、ただそなたの母を愛した。
そしてそなた達を授かり、今もパクは儂の隣りで笑っていてくれておる。」
 
「期待をせずに愛した者だけが、誠の愛を得る・・・」
 
「そうじゃ。そなたもミンを本当に愛しているのであろう?
じゃが、それはおのれの胸のうちだけに仕舞い込んでいる愛ではないのか?
それでミンを愛しているといえるのか?そなたは今までいつもミンから
無償の愛を受け取ってきただけで、ミンに与える事を怠っていたのではないのか?」
 
 
 
よく、考えてみるのだな。ヒョン。
 
この桜のように美しく咲いた花も、やがて茂る葉も、時が来れば散り、枯れる。
そなたの愛は、万年と溶けぬ氷であり、厳冬でも青々と茂る樅(もみ)ではないのか?
 
 
そう言って去っていく父の姿を見送りながら、ヒョンは決意する。
どれ程の時をかけようと、ミンを愛しぬいていこうと。
 
 
誠の愛を得るために。