近づければ、互いに少し顔を傾けて迎える唇。
 
クスクスと、どちらからともなく笑いながら、何度も。
 
重なる想いと、優しい温もり。
 
 
紅い空が淡い藍に染まるまで。
長く伸びた一本の影が、少しずつ薄まって消えるまで。
 
 
シンは、腕の中のチェギョンの髪を撫で、幾筋かをその指に通して風に遊ばせ
時に口付けては、クスッと幸せそうに頬を緩める。
 
自分の髪と戯れるシンの幸せそうな微笑を、目を瞑りながら聞き
髪に通されるしなやかな指の心地良さに甘い溜息を吐くチェギョンは
少しくすぐったそうに肩を竦めながらも、温かい水に包まれているような安心に身を委ね
その表情はやはり、蕩けそうに微笑を浮かべて。
 
互いの指と指を絡めた掌を、お互いの親指で撫でながら、時折ギュッと力を込める
そんなタイミングまでもが同じであることに、幸せだと思うのだ。
 
 
「ねぇ、シン君。」
 
「ん?」
 
「オッパはやっぱり魔法使いよね。」
 
「・・・・フッ。 そうだな。」
 
「こうなるって、解ってたのかしら?」
 
「さぁ・・・。でも・・・僕の焦りも、お前の不安も、お見通しだったのかもな?」
 
「シン君、焦っていたの?どうして?」
 
「ああ・・・。笑わないか?」
 
 
スルリと繋いでいた手を離すと、途端に寒さを感じてフルリと1つ震えたチェギョンの
頬を優しく撫でながら瞳を覗きこんで、ニヤリと笑うこの少し意地悪な男は
自分の命なのだと改めて胸に刻みながら、チェギョンはフンワリ微笑んで頷いた。
 
 
「お前が、チェギョンがいつも何処か不安そうで、怖かったんだよ。
チェギョンは僕みたいな不自由な奴の傍にいることを、疎ましく思う日が来るような気がして。」
 
「そんなこと・・・」
 
「いつかお前が、その不自由さに気がついて、羽を広げて飛んでいってしまう。
でも僕にはお前と一緒に飛べる羽が無いから、そうなったら追いかけることも
お前を引き止めることもきっと出来ない。僕は、お前を愛しているから。
もしもお前をこの手に閉じ込めることが、お前の笑顔を消してしまう様になるのなら
僕はきっと・・・・・・。お前を、僕から逃がすだろう。その笑顔を守る為に・・な?」
 
 
そう言って、切なげに微笑みながら腕の中のチェギョンにおどけてみせるシンに
心臓を 直に掴まれた様な痛みを覚えて、チェギョンの瞳からは、涙が溢れ出す。
 
 
「泣くな。お前を泣かせるのは嫌いだ。知っているだろう?ほら・・・泣き止んで。」
 
 
困ったように、安心させるように更に笑顔を深くしながら、頬に伝う涙を指で拭い
抱き締める力を強めるシンの不安が、全て去ったわけではない事は
シン本人だけでなく、シンの不安の根本を良く知るチェギョンにも理解できた。
 
 
「だって、シン君がいけないのよ?シン君はいつだって私を守るって言って
自分を傷つけるのだもの。だから、私はいつもシン君に守られて、同時に傷つけてしまう。
あのね?私も何度も言っているでしょう?私だって、あなたを守りたい。
・・・・だから、私も怖かった。正直、今だってそれを思うととっても怖いわ。」
 
「・・・・そうか。話して、くれるか?お前の不安。」
 
「うん・・・・・。私ね、自分の存在が怖かったの・・・・・。
いつも捨て身で私を守ってくれるシン君だからこそ、いつかあなたを壊してしまうんじゃないかって。」
 
「チェギョン・・・。」
 
「それにね、私なんかがシン君の傍にいたら、これからもっと沢山我慢も努力もして
皇帝っていう寂しい場所に立ち続けなくちゃいけないシン君の、邪魔になるんじゃないか?
シン君をサポートして、立派に皇后様を務められるのは、もっと他に適任の人がいるのかも?
そんなことばかり思って、シン君を守る為なら、いつかその時が来たら身を引こうって・・・。」
 
「・・・・はぁ・・・。やっぱり、な。」
 
「え?」
 
「そんなことじゃないかと思っていたんだ。お前が僕から消えてしまいそうな予感。的中だな。
お前は僕がお前の為に傷付くというが、お前だってそうやって、僕の為に傷付くんだ。
だから僕もお前も、お互いを自分から守ろうとすることになるわけだが・・・。
そのくせ僕はお前がいなければ、息も出来ない人間だからな。お前を僕で縛りたくもなる。」
 
 
シンはそんな自分の言葉に、苦く笑う。
気付いてしまったのだ。自分が焦っていた本当の理由。
 
 
「お前を守る為に、僕から奪い去ろうとする僕自身が怖かった。
お前を僕に、宮に閉じ込めてしまおうとする、自分本位な僕が怖かった。
どちらの僕もひどく切実で、どちらの想いも真実で、どちらを選んでも苦しいだろう。
だから、選ばないで済むようにしたかったんだ。選択の日が来る前に、な。」
 
 
最早その涙を止める術は無いだろう。
 
いっそ流しつくしてしまえば、水の底にある何かを見つけられるかもしれない。
ボンヤリとそんな予感を感じながら、チェギョンはシンの言葉に耳を傾ける。
 
 
「お前との関係を深めてしまえば、選ばなくて済むと思った。
いや、正確には無意識にそう、計算していたのだろうな。
3人目の僕、お前無しで生きられない本能の塊のような僕が。」
 
「ヒョンにはそんな僕を見通されていたのだろう。
だから僕の呪縛でもある宮から僕達を離して、そしてあんなことを言ったんだ。
僕はお前を愛してるから、いつかはお前を抱きたい。それは真実だ。
けれどヒョンが言ったような、男の生理みたいなものとは少し、違うんだ。
その事に気付かされたのは、ヒョンの爆弾発言のお蔭だったよ。
全くとんでもない方法だが確かにすっかり目が覚めた気がする。」
 
 
シンの告白は静かな調子だったけれど、所々に苦しみが滲む。
しかし、最後は晴れやかな笑みと供に、穏やかな声で閉じられて。
そのままの笑顔で少し傾け、チェギョンの顔に近付くと、もう一度優しく口付けて。
 
 
「もう僕は迷わないよ。チェギョン。済まないが、お前も僕から離れるのは諦めてくれ。
お前が僕で、僕がお前なら、僕たちは離れることで幸せにはなれないって解ったんだ。
お前が泣くならその涙は僕が拭ってやる。お前が傷付くなら、一緒に傷付こう。
お前が辛くて苦しむ夜は、ずっと抱き締めあって、一晩中でも昔の楽しかった話をしよう。
お前の全部を、僕が必ず受け止めてやるから、だからこの手を離さずにいよう。
僕達にはきっと、他に生きる方法は無いぞ?お前も覚悟を決めるんだ。いいな?」
 
 
チェギョンの小さな手は少し冷たくなっていて、それに気付いたシンは
そっと自分の頬に持っていくとそこに当てて、ニッコリと微笑んで見せた。
 
その笑顔にはもう、迷いの欠片も無い。
ただチェギョンが大切で、愛しくて仕方ないのだという剥き出しの本音があるだけだ。
 
 
「シン君。私、言ったでしょう?シン君のお嫁さんになるって。もう、覚悟決めてるってば!
私だって一杯一杯考えて、悩んだのよ?それで決めたんだから、女に二言は無いわよっ!」
 
 
シンの腕の中に収まりながら、未だ止まらぬ涙もそのままに怒ったフリでその胸を軽く叩く
そんなチェギョンが可愛くて仕方が無いシンは、うんうんと嬉しそうに頷いて頭を撫でてやる。
 
 
「お前さ、これからは悩んだり、迷ったりすること全部、僕に言うんだ。
そうすればお互い無駄にグルグルおかしなことを考えたりしないで済む。」
 
「シン君もね?私達、どうせ離れられないのなら、全部半分こにしょましょう!いいわね?」
 
「はいはい。僕のウネンのお姫様は勇敢だな?」
 
「そうよ。あのお姫様みたいに、この世の果てからでもシン君のところに飛んでいって
それでずぅーーーーっと、シン君の傍にいるんだわ。シン君、覚悟はいいわね!?」
 
「ああ、望むところだ。お前こそ、二度と逃げようなんて思うなよ?」
 
 
クスクスと楽しそうに言い合うシンとチェギョンは、心の中の澱を全て洗い流したようで
チェギョンの頬の乾き始めた涙の跡に触れるシンも、触れられるチェギョンも
安心しきって互いに甘えるような笑みを向け合うのだった。
 
 
「ねぇ・・・・。オッパの今回の魔法って不思議ね。いつもはかけられるばかりだけれど
私達が其々自分自身でかけてしまった悪い魔法を、パッと解いてくれる魔法だったんだわ。」
 
「その呪文は、アレか?チェギョンもう一度言うが・・・」
 
「もうっ!解ってるわよ。シン君も、きっとオッパも。そんな男の人ではないって。
でもオッパに言われて吃驚するのと一緒に、そんなの絶対嫌だって思ったの。
シン君に誰にも触れて欲しくないし、シン君にも私以外の誰も触って欲しくないって。」
 
「そうだなぁ。僕はチェギョンだけに触れていたいな。一日中でも、こうして・・・・」
 
 
 
空には一番星の金星が瞬いて、地上には心を交わした二つの魂が一つに輝く。
 
それは静かな、優しい夕間暮れ。
 
今日何度目かの再会を果たした互いの唇が、また分かたれるまでには
あとひと時の猶予を ――――――― ・・・・。