「よう!ウビン!お前に会うの久しぶりじゃね?」
 
「ああ。野暮用で忙しくてな。イジョン、お前随分ご機嫌じゃないか?最近腐ってたのに
復活したのか?つーか、前よりパワーアップ?」
 
「おおよっ!もうあれこれ悩んでも仕方ねぇことは、悩まねぇことに決めた!
俺には可愛い女神がついてるって解ったしなぁ~♪」
 
「は?女神?誰の事だよ?それ。」
 
「チュ・カウル!俺もう、カサノバ卒業したんだ♪これからはたった一つの愛に生きる男になるぜっ♪」
 
「そ・・そうか。うん。しっかり頑張れよ?」
 
「なんか、馬鹿にしてねぇ?見てろよ!有言実行の男ソ・イジョンの実力を見せてやるっ!!」
 
「はいはい。ところで他の奴等は?」
 
「ん?ああ、ジュンピョとジャンディは、ジュンピョの両親と姉ちゃんが拉致するように
マカオに連れてった。その後アメリカにも回ってくるとか言ってたぞ?あの鉄の女さー
今じゃすっかり別人みたいにジャンディジャンディって、すげー可愛がってるらしいぞ?
槍の雨は降らなかったが、降ってもおかしくねー天変地異っぷりじゃね?(笑)」
 
「へぇ。なんでもいいよ。あいつらが幸せになれたなら。しっかし、あのジャンディが
よく付いてく決心したな?私は残る、とか言いそうじゃん。どういう心境の変化だよ?」
 
「ジフの爺ちゃんがな。恩返ししたかったら神話の若婦人として立派な姿を見せろって。
ジャンディのその姿を見られたら、それが自分にとっての恩返しになる、って言ったらしい。
ジフからも、俺をあんなに睡眠不足にさせたくせに、離れて暮らせんの?
ずっと 2人のためだと思って我慢してたのに、その我慢無駄にする気なら、呪うよ?って
すっげーマジな目で言われたみたいだぞ?ジャンディ、本気でビビッてたぜ~(笑)」
 
「ブッ。そりゃ、何がなんでも付いてくな!あいつの睡眠の恨みは半端ねーぞ、きっと。」
 
「だろ?俺もそう言って送り出してやった!」
 
「で?そのジフはどこだよ?ガッコ来てるのか?」
 
「いや、あいつさ、ネットで爺さん達の交友関係から皇太子とチェヨン翁の孫と幼馴染って
バレたろ?あれですげー騒がれてよ。ここにも家にもマスコミがウジャウジャ湧いて出て
今回はあいつ、何故か報道抑えないで放置してるから、もう一歩も家から出られないってさ。
けどこの騒ぎに紛れてジュンピョ達に婚約発表しちまえって言ってたぞ。あいつらしくね?」
 
「ああ・・そっか。なるほどな・・。」
 
「ん?ウビン?」
 
「いや。ああ、アイツらしい策士っぷりだよなっ。」
 
 
 
上機嫌のイジョンと肩を並べて歩きながら、俺はあの晩の事を思い出していた。
 
 
 
***** ***** *****
 
 
 
あの晩、珍しく感情的になった後、ジフは俺にも帰ろうといった。
もう意味は無いし、お前が手を汚すまでもないのだから、と言って。
 
 
 
けれど、1本の電話を受けて、あいつの纏う空気が一瞬にして変った。
 
 
 
隣に立つのも憚られる様な、不思議な恐怖にゾクリとしてその顔を見れば
グニャリと視界が歪んで・・・、何と表現すればいいだろう?あの感情。
 
まるで、生暖かい血しぶきを浴びて、鳴き嗤う悪魔を見てしまったかのような・・?
 
見慣れた親友の顔のはずなのに 長く正視するのに耐えられず、目を背けた俺の耳に
そんな悪魔が囁く声が聞こえてきたんだ。
 
 
 
「ねぇ?あんたさ、クスリ売ってて気付かなかった?商売敵、いなかったろ?」
 
「ああ・・・・。普通はどの国でもジャンキーの市場が出来上がってるというが、法律が厳しいせいか
この国では、その伝手も見つからなかったな・・・・。」
 
「それって、法律のせいじゃない。ソン家の、イルシムの力だよ。」
 
「は?ああ・・・。イルシムがこの市場を独占してるってことか・・。」
 
「やっぱりあんたはアウトだね。イルシムが麻薬を韓国から排除してるってことさ。
あんたさ、ここで上納金でも払えば見逃してくれると思ってるだろ?
どうして誰も彼も、クスリを売りたがらないか、何故もっと考えなかったの?」
 
「・・・ま・・さ・・・・か・・・・?」
 
「そう。そのまさか。クククッ。あんたもう、本当に終わりなんだよ。
ねぇ?あんた、どうやって死にたい?あんたはここ最近、随分派手に動いていたよね?
やっぱり もう誰も「こんなクスリは売っちゃいけない」って、肝に銘じたくなるような
聞いただけで恐怖に震えるような、そんな見せしめとして逝くのも良いよね?
あんたの虫けらみたいな命も、そうすれば少しは意味があるんじゃない?フフフッ」
 
 
 
 
これは、絶対にジフらしくない・・。そう思うのに、酷薄に嗤うその姿と、謳う様に囁く低く甘い声が
ジフの完璧な美貌と重なると、やけに似合いで 心の表面がザワザワと粟立つのに目が離せない。
 
そこには、本物の悪魔がいるようで・・・・・、俺だけじゃない。
あの部屋にいた誰もが、恐怖と不安と・・それでいて魅入られたように動けなかったんだ。
 
 
 
ありとあらゆる修羅場を越えてきた猛者達が、一様に怯えた魚の様な目になったのは
そこに見慣れた狂気が無かったせいだ。あったのは、何処までも 冷然と冴えた正常な理性。
 
 
狂気を遥かに凌駕して、徹底した正常の中で 眉一つ動かさずに 【死】 を口にする
絶世に美しい男がそこに存在する姿は、人間の本能に訴えかける生理的な恐怖を伴って
身体中の神経が、スッと一点に凝縮されるような不気味さがあった。
 
 
 
その恐怖を、その身に一身に浴びる男は、青褪めてガタガタと震えだし
歯の根も合わない有り様で、僅かに同情すら覚えてしまう。
 
 
 
そして、ふと疑問が湧いた。
 
 
 
どうして急に、ジフはこれ程までに、こいつを追い詰めることにしたんだ?
最初からそのつもり、ってわけでは無かったはずだった。
なのに、何故、気が変った?しかもここまでする必要が何処にあったんだ?
 
 
 
答えの出ないまま、ただ幼馴染の友の顔を見つめていると
少しだけ、あいつの顔が苦しそうに歪んだ。
 
多分それは、長くこいつといる俺だから判るくらいの、本当に僅かな変化だったけれど。
 
何故だか俺は、あのジフが見られて良かった、と安堵したんだ。
 
 
 
しかし、それは瞬きよりも一瞬で、ジフのヤツは、無言でジョンファのポケットから
ヤクを取り出すと、ポンとテーブルに放り投げて言った。
 
 
 
「どうせなら、こっちにすれば?」
 
 
 
一切の揺らぎもその瞳に表さずにそう言ったジフは、今度は俺を見て
「もう行こう。ここからは蛇足だ。」と言って、部屋を出て行こうとする。
 
 
 
「おい?ジフ!?」 
 
 
 
俺が呼びかけたからなのか、それともただ言い忘れに気付いたのか
不意に立ち止まったジフが、そのままの姿勢でジョンファにもう一度声をかけた。
 
 
「ああ。あんた。最期に一つ、朗報だよ。逝ったさきではあんたの顔見知りが待ってる。じゃあ。」
 
 
今度こそ、一切の躊躇いも無く部屋を出て行ったジフの背中を見送ったジョンファは
呆然とただ、ソファに座り込んでいた。息をしているのも不思議なほど生気の無い顔で・・・。
 
 
 
***** ***** *****
 
 
 
「親父がさ、ジフをスカウトしたいって。」
 
「はぁ?お前の親父さん、何トチ狂ってんだ?あんな三年寝太郎スカウトしてどうすんだよ!?」
 
「だよな?クククッ」
 
 
 
 
でもイジョン。お前は知らないんだ。
あれから、親父から顛末を聞いた俺は、正直震えたよ。
 
 
 
 
ホン・ジョンファの病は、もうかなり進行していて、ほんの少しの刺激でも止まってしまうほど
心臓が弱っていたらしい。
 
そして、俺達が部屋を出てから直ぐ、アイツはドラッグを吸引して、一瞬であの世に逝ったそうだ。
 
ああ、だからあの時、ジフは 「モタナイ」 と言ったんだ・・と朧な記憶の中で思い出したけど。
それだけ見抜いていて、あいつはまるで死を誘うように、あのドラッグを目の前に置いて見せたのか。
散々恐怖に震えさせておいて・・・・な・・。そう思うと、あいつの精神力の強靭さがやり切れなくなる。
 
 
 
雲ひとつ無く晴れ渡った空を見上げながら、思い出す。
 
 
 
外に出た俺を待っていたのは、天使のように無垢な目を 真っ暗闇の空にひたと向けて
ポケットに手を突っ込みながら ボンヤリ立っているジフだった。
 
俺もまた、そんなジフをボンヤリ視界に入れながら、ネオンの溢れる不夜城の街に
こいつほど似合わない男も珍しいな、と まるでCGみたいな光景を可笑しく思っていた。
 
 
 
「La commedia è finita. けど、これって喜劇だったのかな?」
 
 
 
突然イタリア語を呟いて、意味不明なことを口走ったアイツは
泣いてるみたいに笑っていたんだ。
 
 
 
 
 
「よし!後でジフンとこへ久々に『突撃ジフ君』しに行こうぜ!!」
 
「はぁ?お前やめとけよ~。絶対アイツ寝てっから、超絶不機嫌だぜ?」
 
「そりゃな?この隙に、数ヶ月の睡眠不足を寝溜めしてんだろーけど
俺達まだ、乾杯もしてないんだぜ?」
 
「何の乾杯だよ?」
 
「ジュンピョのお子ちゃま恋愛が実った祝いだよ!あんだけ振り回されたんだ。
祝いくらいしたっていいだろ?」
 
「主役がいないのに?」
 
「あんな猛獣いないほうが、シミジミこの達成感に浸れるだろっ?(笑)」
 
「・・・はぁ。まあな?じゃ、行きますか?」
 
「おう!」
 
 
 
 
なぁ、ジフ。 あの晩のお前を・・・俺は忘れるから、お前も忘れるんだ。
あれは、天使に舞い降りた悪魔の仕業だ。お前の所為じゃない。 そうだろう?