あの後 案の定というか、予定通りというか・・・・・。 
高熱を出して3日程寝込んだチェギョン。
 
 
けれども、ベッドから出られるようになって チェギョンは、何かが変わった。
 
 
大きな変化じゃない。
 
 
あの頃のような太陽みたいな笑顔は、まだ雲に隠れたままだったし
僕達の緋色の儀式は今も続いている。そして相変わらず多くを話そうとしない。
 
 
 
 
でも、確実に今までとは違う空気が チェギョンを纏う。 
多分これは、僕にしかわからない変化だ。
 
 
 
 
何かを深く考え込み、視線は何処か宙を彷徨うように何者をも映さない。
それだけ見ればこのところの沈みがちなチェギョンと同じように見えるが
これまでには無かった、熱のようなものがあるんだ。
 
 
上手く表現できないのだけれど、その熱はなんだか綺麗でキラキラしている。
焦がすような熱さじゃなくて、照らすような暖めるような、そんな熱なんだ。
 
 
 
 
だから僕は、そうやって思いの淵を彷徨うチェギョンを見ていても落ち着いていられる。
 
 
 
 
今までは、そのまま何処かへ行ってしまいそうで、不安で仕方なかった。
チェギョンさえいてくれれば、自分は何者にでもなれるが、その逆もまた然り。
チェギョンを失う怖さは、自分を失う怖さでもあることを、こうなって初めて知ったんだ。
 
 
互いがいなければ生きられないだろうとは ずっと思っていた。
僕達は2人で1人なのだと、互いに伝え合ってもいた。
けれども、こうしてチェギョンを失いそうになって初めて、その意味を 本当に理解したんだ。
 
 
 
 
チェギョンがいなくなる。
 
 
 
 
それは、地球の滅亡が明日だと言われても、これほど怯えはしないだろうと思える程の
余りにも大きな絶望だった。 いっそのこと、明日滅亡してくれたらどんなにいいだろう?
 
 
明日なら、まだチェギョンは僕の隣にいてくれるだろう。
もしも今夜チェギョンがいなくなってしまっても、一日限りの絶望なら耐えられるかもしれない。
 
 
そんな愚かな想像を、僕は大真面目に何度も繰り返しては、辛い別れの夢を見て
何度も、何十回も、夜中に飛び起きては、腕の中のチェギョンを確認して漸くホッとするんだ。
 
 
 
 
そんな日々を過ごすうちに、僕は気付いたんだ。
 
 
 
 
今まで当たり前のようにチェギョンとの絆を、自分達の「運命」だと思ってきたけれど
それは「奇跡」のように、稀有で貴重なモノだったんだということに。
 
 
チェギョンが僕に笑いかける。チェギョンが隣りで寛いでいる。
僕はチェギョンに触れることが出来るし、彼女の香りを胸一杯に吸い込むことが出来る。
 
 
 
 
もっと言ってしまえば。
 
 
 
 
チェギョンが息をしている。生きている。同じ国の、同じ時代の、同じ世代に。
チェギョンという存在全てが、僕にもたらされた 奇跡だったんだ。
 
 
だから、どんなチェギョンでもいい。ただ傍にいてくれ。傍に、僕をいさせてくれ。
笑いかけてくれなくてもいい。言葉なんて元々それ程必要ないんだから、無くたって構わない。
 
 
 
 
あの晩の 大きな満月に、照らされる月明かりの中
チェギョンの小さな足跡を追って、胸が焼けるほどの 焦燥を抱えて走った夜。
 
 
僕はそんなことを思いながら、必死にお前の影を追い求めていたんだ。
チェギョンという唯1人の、奇跡に向かって。
 
 
お前を失うという事がどういうことなのか、お前がいないということが何を意味するのか
想像なんか比じゃなかった、今にも壊れそうな、この身を焼き尽くすような 恐怖と絶望を
全身の細胞が、隅々まで理解したんだ。
 
 
 
 
比喩なんかじゃない。僕はお前を失えば確実に死んでしまうよ。
 
 
 
 
(もう分かったから。もう十分理解したから。 お願いだから、僕にチェギョンを返してくれ!)
 
 
 
 
祈りだったのか、叫びだったのか、今でも分からない。
けれど確かに僕はあの瞬間、何かに懇願したんだ。
 
 
 
そしてチェギョン、お前は居たんだよ。居てくれたんだ。
 
 
 
もう何もかもが、その存在にかき消えて、どうでも良くなったんだ。
腕に抱きこんで、捕まえたお前という宝物。僕の奇跡。
 
 
 
 
 
帰り道は、お前を負ぶって、笑いながら帰った。
あの優しい温もりと、幸せの重さを、僕はきっと忘れない。
 
 
どうしてあんなところに、裸足でいたのか?
そんなことよりも、お前がクスクス笑う声を聞いていたかった。
 
 
僕はもう、チェギョンという存在がここに在ってくれればそれで良かったし
哀しみを抱えたチェギョンでも、それこそが僕のチェギョンなんだと思えたし
どんなチェギョンだって、こうやって負ぶっていけば良いと決めていたから。
 
 
 
 
そう。僕は決めたんだよ。お前の全部を丸ごと背負って、歩いていくって。
ただ寄り添うだけじゃなく、ただお前が暗闇から出られるまで待つのでもなく。
 
 
お前と一緒にモノを感じるってことは、お前と痛みを分け合うってことは
決してお前と共に立ち止まることだけが正解じゃないんだ。
 
 
時にはお前を背負い、時にはお前に引っ張られて、それでも進んでいくことも
大事なことなんだ。 それは、気付いてしまえばとてもシンプルな世界だった。
 
 
 
 
離れられないのなら、連れて行けばいいんだ。
歩けないのなら、背負えばいいし、苦しむのならその苦しみごと愛してやるよ。
どんなお前でもいいのだから。僕にはお前だけが手放せない宝なのだから。
 
 
 
 
不思議なことに、そう思ったのと殆ど同時にお前が言ったんだよ。
 
「生まれるかも?」と。
 
 
 
 
何が生まれるのかは知らないが、お前を見ている限り
それはきっと何かを乗り越えたお前なんだろう。
もしかしたら、何かをそっくり抱え込んだお前かもしれないけれど。
 
 
どんなお前でもいい。どんなチェギョンでも愛している。
お前の言う 「生まれてくる」 そいつも、精一杯僕が愛していくことにするよ。
 
 
 
 
・・・・・・・ク、ククッ。
 
頭に殻を乗っけた 可愛いヒヨコのチェギョンを想像してしまい、こみ上げる笑いを噛み殺す。
 
 
 
 
「シン君?なに1人で笑っているの?いいわねぇ。皇子様は余裕でいらっしゃって!」
 
「ん?知りたいか?クククッ。」
 
「いい。なんか、すっごく気分を害しそうだから。」
 
「フッ。そんな事無いと思うぞ?僕がお前をどれだけ愛してるかってことが良く分かるはずだ。」
 
「へ?///・・もぉ!シン君ってばっ!こんな時にからかわないでよ!」
 
「からかってなんかいない。本当の事を言ったまでだ。でもチェギョン・・。」
 
「な、なに?」
 
 
 
 
皇太子の正装を着込んだ僕は、隣りでカチンコチンになっている美しい未来の皇太子妃に
顔を寄せると、大袖に隠された小さな手を探し当てて、そっとそれに指を絡めながら囁いた。
 
 
 
「その、お前の衣装な、皇太子妃の正装なんだが、よーーーーーく、似合ってるぞ?」
 
 
 
吃驚して大きな瞳を零れ落ちそうに見開いたチェギョンの、可愛い唇に チャンス!とばかりに
そっと口付けると、今度は真っ赤に顔を上気させ、僕の手をつねって来た。
 
 
 
 
「痛いだろ!?というか、お前は痛くないのかっ!?」
 
 
慌ててチェギョンの掌を見れば・・・・はぁ。やっぱり。
 
 
「お前な、僕をつねって自分が赤くなってしまっては、どうしようもないだろうが?」
 
 
膨れるチェギョンを宥めてやり、こんなチェギョンも大好きだと、今度は心の中で呟いた。
これ以上僕のチェギョンの手が赤くなっては堪らない。だって本当に大事な宝物なのだから。
 
 
紅地に僕の紋である青龍を織り込み、妃の紋である朱雀を銀糸で生き生きと刺繍されている
ウォンサムが 素晴らしく似合うチェギョンは、やっぱり僕の奇跡なんだと確信して
この姿のチェギョンを見た瞬間から、僕のテンションは何処かおかしくなっているようだ。
 
 
 
 
 
彼女はきっと、僕の傍にいる為に何かを乗り越えようとしてくれている。
 
そして今、皇太子妃の正装に身を包み、これから心を合わせて合奏するのだ。
 
緊張などするわけが無い。僕達の息が合わないはずが無いのだから。
 
 
 
 
「チェギョン。大丈夫だ。たとえお前がしくじっても、僕がいる。
お前の全部を 僕が丸ごと受け止めて、誰もが聞いたことも無いような
素晴らしい楽にしてやるさ。お前はただ、いつも通りに。な?」
 
 
 
 
再び目を見開いたチェギョンは、直ぐにクスリと微笑んで 「皇子病ね。」 と言った。
 
 
 
 
その声は、どんなに優れた楽の名手でも出せないような
 
美しい音色となって、晴れ渡った青空に溶けていく。