実際、チェギョンは不思議な子だった。
 
 
 
 
古いが部屋数の多い家、というのは、手入れの行き届いた立派な韓屋で
おそらく両班の、古くからある由緒正しい家系なのだろうと思った。
 
 
 
 
宮を住まいとする僕にとって、そこは随分居心地が良くて、直ぐに馴染んでしまった。
 
 
 
 
あれほど僕の事をブツクサいっていたハラボジ(朝一で、ここにいるつもりなら、そう呼べと言われた)は
翌朝にはケロッとして、好きなだけ居ればいいと笑っていて、着替えの無い僕の為に
何処からか、僕のサイズの服を調達してきてくれていた。(この孫にしてこの祖父あり・・・か?)
 
 
其れほど高価そうでは無かったけれど、制服やスーツばかり着ていた僕にとって
その服は、体中が呼吸できるような、ゆったりとして動きやすく、そして結構センスも良かったので
一度袖を通して以来、とても気に入ってしまい、今でもよく着ている。
 
 
 
 
 
それは、この服のデザイナーがチェギョンだったということも(後で知って本当に驚いた!)
当然気に入る理由の一つだったけれど、それを知らなくても、僕はこの服を大切に着続けたと思う。
それは、チェギョンやハラボジや、あの韓屋の雰囲気そのままで、ホッと息がつける優しさがあったから・・。
 
 
 
 
 
家出中の僕は勿論だけど、僕と同じ歳なら中3のはずなのに、何故か彼女は学校へ行かない。
僕に合わせて休んでいる、という訳ではないらしく、どうやらそれが彼女の日常のようだった。
 
 
子犬の事を凄く可愛がるのに、いつまでたっても「子犬ちゃん」と呼ぶのが不思議で
「名前は付けないのか?」と聞くと、「この子はいつか本当の飼い主さんに貰われるから
名前をつけちゃうと、情が湧いて別れるのが辛くなる」という。
 
 
子犬は僕たちにすっかり懐いてて可愛いし、チェギョンの家は広いのだし、そんな事をいうなら
飼ってあげればいいのに、何故そんなに無理してまで飼い主を探さなきゃいけないんだ?
と聞くと、今度はちょっと寂しそうに笑って、こう言った。
 
 
 
「シン君と同じで、この子は今帰るおうちが無いだけだもの。いつか帰るお家が見つかって
そのお家に帰っていくのよ。シン君だってそうよ。なのに少し、情が移り過ぎてしまったみたいね。
ずっと一緒にいられるわけじゃないのに・・・・・・。私ったら・・・・気をつけなきゃ・・・。」
 
 
 
 
 
 
 
 
社会勉強だとハラボジに言われて、チェギョンと一緒に 子犬の散歩を兼ねた買出しに
毎日付き合っているうちに、チェギョンはとても町の人に好かれている事を知った。
 
 
 
 
八百屋のアジョシは、僕たちを見ると いつもおかみさん(妻の事をそう言うと教わった)に内緒で
果物とか、甘いトマトとかを、必ず「内緒だぞ」と言いながら、こっそり持たせてくれる。
 
 
最初は、試膳をされていないどころか、洗ってもいないそれらの食べ物を、ちょっと服の端で擦って食べる
というやり方に抵抗を感じたけれど、チェギョンが「男のクセに、そんなことを気にするの?」とからかうので
悔しさのあまり 思い切って噛り付いてみたら、それは物凄く美味しくて吃驚した。
 
 
以来、八百屋のアジョシがくれる食べ物は、その場でかじりつくのが楽しみになった。
 
 
 
 
 
チェギョンは、こうやって食べるから余計美味しいのよ。と笑っていたが
家で食べるチェギョンの手料理でもそれは同じで、今まで食べた事のあるはずの食べ物も
嫌いだった食べ物も、チェギョンの言う通りにして食べると、全部美味しかった。
 
 
だからきっと、チェギョンやハラボジと食べるから美味しいんだろうと、僕は思った。
何故なら僕はこうやって誰かと一緒にワイワイ話しながら食事をしたことなんて無かったし
いつだってそれは 【栄養摂取】 の為の行為でしかなく、「美味しい」とか「辛い」とか感想を言いながら
楽しんでするものではなかったのだから・・・・・。
 
 
 
 
食事と言えば、僕は、食材の形や名前を 全くと言っていいほど知らなかったので
何度もチェギョンを驚かせ、そして笑わせた。
 
 
 
「本当に知らないの?」と何度も聞かれ、「本当に知らない」と何度も答えると
その内にチェギョンは何にも聞かない代わりに、僕に食事の仕度を手伝わせるようになり
一つ一つの味見をさせるようになった。
 
お陰で様々な食材の味や、味付けのやり方等を知る事が出来たと共に
料理という作業が、買い物から始まって、出来上がりの順番を考えながら手順を決めたり
料理に合わせて材料の切り方を変えたり、と、如何に様々な能力が必要かを知り
これを毎日毎日作り続ける大変さを、身を持って教えられた。
 
 
僕に、意外と料理の才能があることを発見したチェギョンによって、随分しごかれたのだ。
 
 
 
 
 
 
チェギョンを好きなのは八百屋ばかりではなく、どこでも彼女は人気者で
いつも何かしらおまけ(お金を払わないのに貰える物をそう言うらしい)が付いてくる。
何度目かのおまけを貰った時、こんなに貰ってしまって、お店は潰れないのだろうか?
と心配になって、チェギョンに聞いてみたことがあった。(それくらい凄かったのだ!)
 
 
すると、チェギョンはニッコリと笑って
 
 
「そうね。あげてばかりだとお店は儲からなくて、潰れてしまうわね。
でもねお店の物が、全部売れるわけじゃなくて、売れなくて捨ててしまうものも沢山あるの。
こうやっておまけを貰うと、次もここに買いに来ようって思わない?
こういう小さなお店は、CMを打ったりしないでしょ?ある意味広告とか宣伝代わりなのよ。
それに、捨てないで済めば、アジョシ達も仕入れたお金を無駄にしなくて済むでしょう?
まぁ、このオマケにはそういう仕組みもあるわけだけど、でもきっと【応援】してくれているのよ。」
 
「応援?」
 
「そう。これを食べて、今日も元気で頑張れよ!って。」
 
「・・・応援か。なぁ、チェギョン。僕もみんなを応援したいんだけど、そういう場合はどうすればいいんだ?
僕は彼らにあげるような 【おまけ】 は持っていないし・・・・・。」
 
「馬鹿ね?シン君ってば。 【ありがとう。】 っていつもお礼言ってるでしょう?
顔色が優れないと、どこか痛いのか?とか体調を気遣ったりしてあげてるでしょう?あれって皆嬉しいのよ。
気にかけてくれる人がいるんだって思うと、人間って沢山頑張れるものなのよ。元気が貰えるのよ!
だからね、皆シン君のそういう優しいところに一杯応援してもらっているの。」
 
「そういうものなのか?ただ、声をかけるだけで、何も出来なくてもいいのか?」
 
「フフッ。シン君。シン君のそういうところ、だぁ~~~い好きよっ♪」
 
「ちぇ、チェギョンっ///!?!?」
 
 
 
真っ赤になった僕をみて、ケラケラと笑いながらチェギョンは走っていってしまう。
一瞬呆気に取られたが、直ぐにからかわれたのだと気づいて、大股で近付き、メッと睨むと
ペロッと小さくて赤い舌を出して、肩をすくめながら笑った。
 
 
そして、いつものようにゆっくりと二人並んで歩いて帰る。
僕は少し歩幅を狭くして、チェギョンは少し歩幅を広くして。
 
 
彼女は、飛んだり跳ねたり、決して真っ直ぐに進まずに、石を蹴ったり、木の葉をちぎったり
そうして一歩一歩、楽しそうに歩く。毎日同じ道なのに、チェギョンは毎回新発見をして
それを2人で大げさに喜んでは、笑いあう夕焼けの路は、いつまでも僕達の笑い声が
そこかしこに転がっているような気がしていた。
 
 
 
 
 
 
僕があまり服を持っていないので、お散歩用にとチェギョンがマフラーを編んでくれた夜があった。
チェギョンはとても器用で、何でもあっと言う間に作ってしまう。
 
 
ただの毛糸がドンドン何かの形になるのが不思議で、僕は何時間でも飽きる事無く
彼女の編み物をする姿に魅入ってしまう。
 
 
最初は恥ずかしがるチェギョンだが、段々集中してくると僕の存在など忘れてしまうのだろう。
そんなときのチェギョンはとても綺麗で、いつもの可愛いチェギョンと違って大人っぽくなる。
 
 
3時間ほどで、ワザと緩く編んだ感じがかなりお洒落で、軽くて温かいマフラーが出来上がった。
毛糸はまだ余ってる?と聞くと、余ってるというので、それは帽子を作れるくらい?と聞くと
僕のおねだりに気づいたチェギョンがニヤリと笑って、僕の頭に抱きついてきた。
 
 
いつも突拍子も無いチェギョンに翻弄されて、僕はまるで赤面症の病にでもかかったように
直ぐに赤くなるのだが、どうやらそれが 最近のチェギョンの楽しみになっているようだ。
この時も当然耳まで火照っているのに気付いていたが、悔しくて恥ずかしいので
そんな自分を見られないで済むように、チェギョンの脇から腕を伸ばして彼女の体に巻きつけると
グイッと力を込めて、抱きしめてやった。(顔が見えないようにするにはこれしかなかったし)
 
 
 
 
「し、シン君?シン君ってば~!どうしたの?甘えたいの?よしよし。シン君。いい子ね。」
 
「・・・・・・・。チェギョン・・・・。お前、僕が男だって知ってるか?」
 
「何馬鹿なことを言ってるのよ?シン君が男じゃなかったら何なのよ?」
 
「チェギョン・・・・・。お願いがあるんだけど。」
 
「解ってるわよ~♪帽子でしょ?任せといて!シン君の頭ってやっぱり小さいわね。
測ってみてよかったわ~~~。ブカブカなの作っちゃうとこだった。危ない危ない。」
 
「なぁ、お前はいつも抱きついてサイズを測るのか?」
 
「ん?誰にでもじゃないけど、時々するかな?」
 
「それ、禁止。これからは僕以外はメジャーにしろよ!いいな!」
 
「シン君、それがお願い?なんだか命令みたいなんだけど。」
 
「違う!これは純粋に命令だ。そしてお願いは・・・・」
 
「ブッ。純粋な命令ってどんなよ?で?お願いは?」
 
「・・・・僕を、男としてみてくれないか?生物学上の意味でなく。」
 
「へ?もっと解りやすく言ってよ~、シン君!お願いが解らなきゃ、叶えてあげられないよ?」
 
「僕の願いを、叶えて・・・・くれるのか?」
 
「うん。いいよ?シン君のお願いなら、一生懸命叶えてあげる!私に出来る事ならね!」
 
 
 
 
抱きしめる僕から逃げることも無く、彼女が抱きしめる僕の頭を撫でながら
チェギョンは歌うように、楽しげにそう言った。
 
僕はそっと3回、ゆっくり深呼吸をしてから、意を決して ゆっくりと噛み締めるように
その言葉を発した。それはまるで、神の前で願をかけるような気持ちだった。
 
 
 
 
「お前にしか、チェギョンにしか叶えられないよ・・・・。チェギョン。僕を恋愛対象として、見てくれないか?」