昨夜は殆ど眠れなかった。
 
この小さなものを抱きしめて眠るだけのことなのに
あまりにも大きな幸せに目眩がしそうだった。

眠ってる間にこの温もりが消えて無くなってしまうんじゃないかと気になって
数時間毎に目覚めては、何度も自分の顎の下辺りを確認して安堵した。
 
そして今。

カーテン越しの柔らかい光が、そろそろ朝だと告げていたが
もう少しだけ、この愛しいものを見つめていたくて
少し背を逸らしてずっとその寝顔を飽かず眺めた。

額にかかる髪を払ってやったり
重たそうな長い睫にそっと人差し指で触れてみたり
吸い付くような質感の瑞々しい頬をスリスリと撫で擦ってみたり

彼女を形作るパーツの1つ1つに心が惹かれるのが嬉しくて不思議で
1つだけ、意識的に見ない様にしていた場所、というか箇所?以外は
何年先でも一瞬で思い出せるほど、ジックリと観察してしまっていた。
 
けれども、そんな時間もそろそろ終わろうとしていた。

どうやら彼女にも朝が訪れてしまったらしく
瞼がフルフルと震えだしたのだ。


ーーー残念な気持ちと悪戯心とが混在しながら
俺はそっと目を閉じて寝たフリをする---・・
 
 
 
 
 
 
 
随分よく寝た気がする。
 
瞼の向こうに朝の訪れを知らせる緩い光が私に少しずつ覚醒を促して
もう少しこのまま眠っていたい気持ちを、エイッと追いやって目を開けた。
 
はずなのに・・・・。なんだか瞼が重い・・・。

不思議に思って何度か瞬きをしてみてもそれは変わらなくて・・・???
 
ゆっくりと働き始めた脳細胞が昨日の記憶を呼び起こして
泣き過ぎて瞼が腫れているのだと思い出し・・・

それから目の前の現実がイキナリ私の中で実体を持って迫り
危うく叫び出しそうになった!!

両手で口を覆ったまま目だけをキョロキョロと動かして
突然の事態の状況把握に努めた。
 
どうやら私は昨夜あのままジフの部屋にお泊りしてしまったらしい。
そして何故か、私は彼の腕の中で朝を迎えてしまった・・・・らしい???
 

(ええええええ~~~~~~~~~っっっ!?!?!?!?)
 

軽いパニックに襲われながら、とにかくこのままでは
彼が目覚めた時に気まずくて仕方がないと
自分の体の上に置いてある彼の長い右腕をそっと持ち上げて
自分の身体から外そうと試みるもどういう訳だか上手くいかない。


気付けば益々彼の腕に抱き籠められてしまっていた。

!?!?

もがけばもがく程私の身体は、どういうわけか彼の大きな身体に閉じ込められる事になり
ついには私の腰辺りに彼の長い右足が乗っかっていて、更に焦ってもがいたせいだろうか?

突然そのままグイッと件の右足に引き寄せられて、腰が密着してしまったのだ。
 
!?!?!?!?

 
これは益々不味い感じになってしまった・・・

でも焦れば焦るほど、状況は悪化の一途を辿り
終には真冬だというのに薄っすらと額に汗まで浮かべてしまった私・・・


さて。どうしよう?
 
 
 
 
 
 
片目だけ薄目を開けて、こっそり腕の中を見下ろすと
モゾモゾとデカイ俺の身体と格闘する小動物のようなつくしがいた。
 
思わず笑み零れそうになるのを必死に堪えて、暫くの間つくしにジャレてしまったけれど
いい加減怒られそうな気がした俺は、今起きたような演技をしてみる事にした。
 
 
「ん・・んん゛~・・。」

“ ビクッ! ”

「・・・(ククッ。ビクッ!ってつくし・・・)・・・・ん~~~。おはよ。」

「・・・お、おは・・よっ・・??」

「・・(何で疑問形なんだよ!?ヤベ、可笑しすぎる!)・・・つくし、よく眠れた?」

「は、はいぃぃ~~!?」

「(もう駄目だっ!!)ブ~~~~ッ!!・・・クックックッ!!!
は、はいぃぃ~~!?ってなんだよ?」

「ジ、ジフ!笑わないでよぅ~~!! だって、あの・・吃驚したんだもんっっ!!??」
 
 
いちいち反応が面白くてつい苛めすぎてしまったようだ・・

少しだけ反省して彼女の身体に巻きつけていた足を外してやり
俺の胸に埋まってしまったつくしの顎をクイッと持ち上げて
強制的に目を合わさせて笑いかけると、落ち着かせるようにゆっくりと話しかけた。
 
 
「笑ってごめん。ところでつくし?頭とか、痛くない?昨日随分飲んだろう?平気か?」

「うん。多分・・平気みたい・・・かな?それより、瞼が・・・」

「ん、じゃあ、起きて冷やしてあげる。でも・・・。」

「でも・・何よ?・・ジフ、こんな酷い顔、見ないでってばぁっ!!」

「だから、可愛いって言ってるだろ?ほら、こっち向いてよ?」

「・・や・・・だ・・・・もん。」

「意地っ張り。ほら、拗ねてないで・・ね、顔上げて?
・・・・うん。俺のパートナーは今朝も世界一の美人さんだった!」
 
 
嫌がるつくしの顎をもう一度人差し指で持ち上げて
ジックリとその顔を眺め、本当に心から美しいと思った。

確かに瞼は腫れていて重そうだったし
顔も少し浮腫んでいるようだったけれど
そんなことで彼女の美しさは損なわれたりはしなかった。

つくしは朝日を浴びて、たった今新しく生まれ変わったかのように
本来そうだったのだろう生命力に満ちていて、とても輝いているように見える。
 
 
 
天使のように無垢で、ジャンヌ・ダルクのように勇敢な心を持った稀有な女。
 
 
 
彼女は俺のそんな言葉など全く信じていないような顔をしていたけれど、構わなかった。
とにかく彼女が落ち着かないようなので、ベッドから俺達を2人とも引き剥がすと
そのまま彼女の手を引いてリビングへ連れて行き、ソファに座らせた。
 
俺はその足でキッチンからスプーンを2つ、氷水を入れたコップに
突っ込んで持ってくると、それで暫くつくしの目を冷やしてやった。

こんな方法をどうして知っているのか?と聞かれたから
テレビでやってた。と答えると、それの何処が可笑しいのか解らないけれど
スプーンを両目にあてて、ちょっと間抜けな状態の彼女には大ウケだった。
 
10分ほどそうしていただろうか?

急にスプーンを外したつくしが真面目な顔をして
「ねぇジフ・・。昨夜の事は忘れてくれない?」と言う。

俺はトンでもない!と内心断固として拒否!

「もう遅い。日記に書いちゃったし。」とニヤリと笑いかけてやる。
 
一瞬吃驚したように目を見開いていたつくしは、直ぐに俺のジョークだと気付いたらしい。

「ハァ~・・。ジフには敵わないわ・・。忘れてくれないつもりね?」

そう言って力無く笑う彼女の瞼に、またスプーンをあててやりつつ髪を撫でてやった。

「だって勿体無いよ。最高に可愛かったんだから。」

ちょっとからかい混じりに囁きながらも、これ以上ふざけて怒られては大変なので
その細い首筋を、またしてもテレビ情報に則ってマッサージしてやった。
 
 
 
 
 
 
「なぁ、つくし?今日からルペルカリア祭なんだけど
つくしはこの祭りの事をどこまで知ってる?」

「どこまで・・って?多分殆ど知らないよ。くじ引きでパートナーを決めて
その人と1週間共に過ごす、ってことくらいしか・・。他に何かあるの?」

「まぁ、基本的にはそれだけ。俺も参加するのは今年が初めてだし・・。
ただね、この期間中はルペルカリアのパートナーは本物の恋人同士と同様に扱われて
最終日のダンスパーティには、そのまま祭りの後も継続してカップルになる者達は
パートナーとして一緒に参加することになってるんだ。」

「・・ってことは、ダンスパーティに2人で出席したら・・・」

「うん。クジとか関係なく正真正銘、付き合ってるって宣言したのと同じ事だね。
ウチの大学は社交界にも通じてるから、ここでお披露目って結構意味があったりするんだ。」

「へぇ、意外と深いお祭りなのねぇ。益々パートナーがジフで良かったわ。」

「なんで?」

「だって、ジフならお友達だもの。妙なことは起こりようもないでしょ?
こんなふうに一緒にいても、ずっと前からの友達みたいですっごく気楽だし。」
 
 
 
 
 
一瞬・・・・。
 
昨夜からの幸せで親密な時間は夢だったんだろうか?
と目の前が暗くなったけれど、そうだった・・・。
昨夜話してくれた彼女の成長物語でも、それが彼女を理解するキーワードだった・・・。
 
 
 
つくしは、それは冗談のつもりか?
・・・って、突っ込みたくなるくらいの、超の付く【鈍感】らしい。

それに加えて何処までも自己評価の低い彼女は、色々拗らせに拗らせてるものだから
自分に女性としての魅力があるなんて、これっぽちも思ってやしないようなのだ。

彼女が今まで色んな意味で無事だったのは
ひとえに友人達の尽力のお陰だったに違いない。

恐ろしいヤツだ・・・全く・・・。
 
だから誰にでも親切にして
真っ直ぐぶつかって・・・

結局は誰にも彼にも本気で惚れられて・・・

なんか・・、ムカついてきたかも・・・。

俺もこのパターンにすっかりハマってる辺りが特に・・ハァ・・。

会った事も無いけれど、ついでに一瞬だけだけれども
その【道明寺】という男に、ある種の共感と同情すら覚えてしまう。
 
・・・・けど、彼には悪いけど、手段を選んでられない俺は
遺憾なく、更には抜け目無く、その経験を利用させてもらうことにした。
 
この世界基準値を大幅に飛び越えた鈍感娘には、普通のアプローチなんかしてたら
100年経っても【お友達】扱いから脱出できないに違いない。

昨夜、彼女の物語を聞きながら、ちゃっかり彼女について学んだ学習能力のある今朝の俺は
予想もヤマもかけ放題の、最早本人以上に【牧野つくし】マスターと言っていいぐらいなので
ここはもう【出来ないに違いない】のではなく、【絶対無理】だと断言しよう。
 
 
 
あぁ、でもその前に、ちょっと確認すべきことがあるんだった。
 
 
 
「つくし!」

「何?」
 
!!!???
 
スプーンで目を覆ったままの彼女の唇に
かすめる程度に触れるだけの、軽いキス。
 
 
 
 
「ジ、ジフ・・??い、今、なんか・・・??」

「キスした。唇に。」

「な、なんでぇ~~~!?!?!?」

「ほら。まだ腫れてる。・・・はい。冷やしたから、もう一回くっつけて・・。」

 
【キス】という言葉にうろたえて、両目のスプーンを外して俺を凝視する彼女に
もう一度氷水で冷やしなおしたスプーンを瞼に乗せてやる。

 
「な、なな・・なんで・・?? ど、どど・・ど、どして・・???」

「 “なんで俺が” “どうしてキスなんか” ・・って言いたい?」
 
こくこく こくこく ・・・・
 
「一言で言うなら、タマゴを割ってみようかな?って感じ?」

「意味不明だし!そんなことで・・・ん?あれ?
そういえばジフ、昨日もタマゴタマゴって・・??
一体それどういう意味だったのよっ?
それに、キ・・・ッ、キス、と、どう関係するってーのよっ?」
 
 
うーん、さて・・・どう説明したものかな・・・?
 
 
「つくし、男女の友情と、恋愛の違いって何か解る?」
 
フルフル フルフル ・・・・
 
「殆ど変わらないんだ。多分同じ根っこから生えた2つの植物みたいに。
恋愛のほうがちょっとだけ花が多く咲くくらい?けどそれには理由があるんだよ。
友情にはない【男】と【女】が恋愛にはあるから、花がその分沢山咲くんだ。
だって花は実を結ぶ為に咲くだろう?その為には雄雌が揃わなきゃ、ってこと。」
 
???
 
「要するにさ、キスとか、その先とかが色々あるのは知ってるよね?
そういうのをしないと、子供は生まれないだろって話だよ。」

「こ・・っ子供ってっ・・・」

「男と女が恋をすれば、それも普通の事でしょ?
そういう気持ちが生まれないのが友情。だから花も少ない。ここまではOK?」

「・・・う、うん?」
 
だから、何で疑問形なんだよ?
もしかして、これくらいで刺激が強い、とか?

んんん??? ってことは・・・え?
 
「つくしって・・・もしかして、未経験?? 男女の色々・・・ってやつの話だけど。」
 
ぼんっ!と音を立てるように一気に全身を赤らめる彼女を見てそれを確信した。

やべ・・・・。嬉しすぎて顔が・・・

慌てて誤魔化すように口許に手をやり、気持ちを立て直す。
 
「・・・まぁ、とにかく友情と恋愛の違いはそういう訳で・・。コホンっ。
・・で、昨日も言ったけど『タマゴを割らなきゃオムレツは出来ない』よね?
恋愛もお互いを【男】であり【女】なんだ、って理解できないと始まらないと思うんだ。
そもそもがさ、男女がいなければ恋愛も結婚も存在しないってわけなんだけど。
昨日つくしが言ったように、タマゴが無きゃオムレツって料理は存在しないようにね。
だからさ、キスはつくしに俺達が【男と女】だと意識してもらう為。効果あったみたいだし?」
 
 
 
 
そう・・。つくしの反応は俺としてはかなり好感触だった。

彼女の性格上、本当に俺に対して友情しか感じなければ
今のように赤面するより先に、殆ど反射的に手が出たに違いない。
 
しかしこの愛すべき鈍感娘は、右に左に可愛く小首を傾けて
俺の言葉を必死に理解しようとするも、どうにも答えが見つからないらしいので。
 
 
俺は、次の行程に進むことにした。