『 韓国の文化財を守るジフの家には、敵対する形にもなる日本人の嫁は相応しくない。
  ジフはきっと自分を望んでくれるし、ジフのお祖父さんも庇ってくるかもしれないけれど
  大事な人達に迷惑をかけてまで自分だけの思いを貫くことは出来ない。

  ジフを愛しているが結婚は諦めて、ずっと自分との結婚を望んでくれている
  一緒に帰国する日本人としようと思う。
   
  ・・・と、つくしちゃんに告られたって俺のパートナーが言っています。』
 
 
 
 
 
このメールが無かったら・・・・。
 
 
 
よくよく聞けばつくしは直ぐに帰って来るつもりだったらしいし
気持ちは固まってくれていたと思うが、あの男の事だ。
ホテルでの会話を聞いていても、空港での言動をみていても、厄介な奴である事は伺えた。
少しでもつくしが不安な様子や迷う姿を見せていれば、簡単には引き下がらずに
つくしの心を揺さぶっただろう。

例えばもしも

彼女が実際この話を知っていたとすれば、このメールは本物になっていたかもしれない。
そしてあの花沢類という男は、俺とつくしの間には民族的なトラブルを抱えかねない事は
既に気付いていたと思う。

ただそれが、うちの財団の存在意義でもあるこの事と紐付け辿り着いたものなのか
単純にごく一般的な国際恋愛、国際結婚に対しての話を想定していたのかは解らない。

そんな発言をホテルでもしていたし、空港で別れる時もいつかつくしが自分を頼ってくると
知っているような口ぶりだったのは、多分、安い挑発なんかじゃない。

だがもしも、このメールと同じ問題点に行き着いていたのなら
なぜそれをつくしに言わずに留めたのかがわからない。

 
 

つくしの後輩が書いたというこのメールの恐ろしさは
つくしの性格を知り抜いている人にしか本当には伝わってこないかもしれない。

一見芯が強くて真っ直ぐな彼女は、その真っ直ぐさ故に脆い所がある。

つくしなら、きっとそうする・・・・。
そのリアリティが在ったからこそ、俺は読んでいてゾッとした。
ふざけんな!そんな事で逃げるなんて許さない!・・・とも、同時に思ったけど・・・
 
 
 
あの男がそこを狙って突いてきていたら・・と思うと
彼女をこの腕に抱きしめている今でさえ、背筋を氷解が滑り落ちる様な気さえする。
 


おそらく、だが。 これは道明寺楓からの宣戦布告なのだろう。

このメールが現実にならないためにも、つくしの、そして俺自身の幸せを守る為にも
この件の早急な解決を模索しなければならないのだと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼女は道明寺楓とその娘を母とも姉とも慕っているが・・・・
 
彼女達は俺が彼女達の眼鏡に適わないような人間になれば
容赦なく俺からつくしを奪い去るのだろう。

あの、花沢という男からつくしを取り上げたように・・。
 
もしもあの男が彼女達の信頼に足る男であれば、つくしには留学の道を選ばせないか
あいつのフィールドに留学させていたのだろうと思う。
 
 
 
俺は一体いつ頃から彼女達のターゲットにされていたのだろう?
何処までが偶然で、何処までが仕組まれていたのか・・・・
 
真相は、きっと今後も明かされることは無いのだと思う。
 
 
 
つくしが言っていたんだ。
 
「楓社長のこと、昔は魔女って呼んでたの。今とは別の意味ですっごい怖かったんだもんっ!」
 
と・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
つくし・・・・。
 
彼女は今も魔女だと思うよ?俺達を知り合わせてくれた・・・ね?
 
 
 
ルペルカリア祭は、本来家庭と結婚を司る女神ユノを祀る古代ローマの多神教の祭りだ。
当時の婚活事情に大変貢献したとかしなかったとか、詳細は伏せるがうちの祭りが極々一部を
元々の祭りから採用しているのは、ほぼ間違いないらしい。

そしてバレンタインの起源は、この祭りを廃止した後に結婚を禁じられていた兵士たちの為に
密かに婚姻をさせてやった為に殉教した聖バレンタイン司教が14日に処刑されたからだという。
 
彼女達はつくしの母で、姉で。そしてユノ神で、聖バレンタイン司教なのかもしれない。
俺は精々頑張って、彼女達の怒りを買わないように努力することにするよ。


俺の宝物を誰にも・・・
彼女たちにも、奪われて隠されてしまわないように・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
窓の外の夜景を眼下に見下ろすこの部屋を、今夜ほど居心地がいいと思ったことは無い。

今夜ずっと周囲の羨望の眼差しをその身に一心に浴び続けた真っ白な天使は
今は俺だけの視線の中にいて、その美しい夜景をボンヤリと見下ろしていた。
 
俺は、彼女に近づくことはせずに
リビングから3段ほど段差を登ったステージのようなフロアにある
白いグランドピアノの前に腰掛け、そして心のままに旋律を繋いでいく。
 
 

シューマン、子供の情景、第7曲。
 
 

夢の中のように出会い、それを重ねていき、そこで愛という夢を見つけた

すべては光り輝く美しい調和の中にあり、夢幻の中に広がり溶け出してゆく

幾重にも繰り返し、強く、弱く、高く、浅く・・・

そうして、旋律はまた夢の中へと戻っていくかのように、寄せて返し、静まってゆく。



それはただ、夢の中のこと・・・・・。
 
 
 




パチパチパチパチ!!!
 
 
 
「ジフってば、ピアノもすっごく上手なのね!
私、この曲大好きなんだけど、ジフも知ってのとおり
どうしてもいつもちょっと哀しい曲になっちゃうんだよね。
弾いていると、気が付くと泣いていたりするし・・・
こんな風に音符がピカピカキラキラして、幸せな曲にならない。」
 

「どんな風に弾いてもいいと思うけど、つくしはこの曲をそんな風に弾きたいの?」

 
「うん。イメージはね、そこのケラン・チェアで休日の昼間にお昼寝するのね。
周りには子供たちの笑い声とだんな様の優しい囁きが満ちていて、
そういう温かい騒々しさの中でその奥さんは夢を見るの。
子供時代の・・・、少女時代の・・・、そして未来の・・・。
そのうちに愛しい人達に逢いたくなって、
夢から少しずつ彼らの許へと心の旅を終えていく・・みたいな? えへへ?」
   

「つくし・・・・・・。あんたって、やっぱサイコー・・・・。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シューマンが後の妻となる愛するピアニストの為に書いたこの曲は
彼の彼女への想いに、ただただ溢れている。

彼女の見る夢が幸せであるように、素敵なものであるように・・・と。
 
指揮者としても演奏家としても、この曲に対する知識が全然ないという彼女のその感性には
脱帽せざるを得ない。

曲を弾いたり聞いたりするにあたって、その曲の背景から掴もうとするのは
極一部の、それを必要とするものたちくらいで、普通はただ音がすきとか弾きやすさとか
その位しか考えないものだとは、よく聞く話だった。
 
 
 
つくし・・・俺はあんたを尊敬するよ。

本当に次から次へとつくしに向かって湧き出す愛には
枯れるという言葉は存在しない気がする。
 
俺とは全く違うアプローチをしてくるのに
結論は同じところに辿り着くのがとても興味深い。

全く似ていないのに、物凄く相似でもある俺達は
きっとこれからずっと上手くやって行けると思うんだ。
 
 
 
 
 
 
 
彼女にコツを教えてあげた。

『つくし。この曲を、俺があの椅子で昼寝してると思って弾いてみて?』
 
もう、つくしのトロイメライはきっと一生哀しい曲にはならないよ。
お前はこれからずっと愛する者達に囲まれて、彼らのために願うだろう?
 
 
【 あなたの見る夢が幸せであるように、素敵なものであるように・・・ 】
 
 
その気持ちがあれば、この曲は哀しく成りようが無いから。
ほら・・・・、とても素敵な音になっただろ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つくしが先にベッドへ入って10分くらいしてから
俺は手に持った燭台の灯りを頼りに、そっとコーナーを曲がり
初めて彼女の寝室となっているスペースへと辿り着く。
 

山型に並んだ3本の蝋燭を見て、彼女は少し訝しげな顔をした。
 

そっと炎が揺れないように気をつけながらサイドテーブルへと置くと
ベッドヘッドを背もたれに座りなおす彼女の向かいに腰を下ろして小箱を差し出した。
 
 
 
 
 
「これは元々は祖母のもので、後に譲られて母のものだった指輪なんだ。
俺達のこれからの証に貰ってくれないかな?」


内心のヤキモキする気分に悟られないように
敢えて平坦な口調をつかって、サラッと言えたと思う。


「私が・・これをつけていいの?」

「何度も言うけど、つくししかいないし、つくしじゃないと嫌だし。」


他に何処の誰がこの指輪を付ける資格があるというのか。

この指輪に関しては少々俺としては思うところもあるので
今回は時間が無くて仕方ないけど
結婚指輪は絶対自力で作るんだと、決めている。

だから、これは彼女用に選んだわけじゃないから
気に入ってもらえないのは仕方ないと思えるけど
自分が付けていいのか?とはあんまりじゃかなろうか・・


「ジフったら、おかしなところで拗ねるのねぇ~?
・・・うーん。どうしよっかな?」

「え? 今のここって悩むところ?」

「うん。うーん?よし!やっぱりシンプルが一番よねっ♪」

「は?なにが?」

「いいからいいから! じゃ、指輪は交換こで付けっこしようね?」

「う・・うん?」

「何をキョドってるの? しかも疑問形だし・・?
じゃ、取り敢えず私からやってみるね!」
 
 
 
 
 
「ユン・ジフ氏。私は貴方を幸せにすることを誓います。」
 
そう言いながら、つくしは俺の薬指に指輪をはめた。そういうことか・・。
 
 
「牧野つくし氏。
俺が貴女を幸せにすることを、そして俺も貴方に幸せにしてもらう事を
この指輪とそれをはめてきた人達に誓います。」
 
そう言いながら、俺もつくしの左手の薬指にその指輪を差し込んだ。
 
 この指輪の交換は、後から言った俺の台詞と同じ台詞を自分の台詞で言いたかった!
 と、ごねたつくしの提案でもう一度やる事になった。

つくしには我儘を言ったと謝られたけれど、寧ろ一生のうちで何度も出来ない事なら
納得いくまでやってしまうほうがいいと思う。 ・・・さて、と。
 

「つくし。顔をちょっとだけ右に傾けて?」

「こう?」

「そう。・・・じゃ。誓いのキス、」
 
 
 
 
 
俺達は、蝋燭の明かりだけがユラユラ揺れる闇の中で、ゆっくりとお互いの唇を食む。
惜しみ惜しまれ互いを離してから、静かに彼女を横たわらせ・・・・・。
 
燭台の蝋燭を1本消すごとに彼女を見つめ
3度目の、ジリリと蝋が焼ける音と共に暗闇が立ち込める。
 
彼女の隣りに己の身体を添わせると、先程の記憶を頼りに彼女の顔にそっと触れて呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「はじめは、きみの顔を見るため」
 
彼女の頬や顎の輪郭を、確かめるように撫でる。
 
 
 
「つぎのは、きみの瞳を見るため」
 
くすぐったそうに瞬く量感のある睫の先を、中指でなぞり。
 
 
 
「さいごのは、きみの唇を見るため」
 
ついさっき甘く熟れて膨らんだ果実のような濡れたそこに
もう一度、優しく触れるだけのキスを落とす。
 
 
 
「のこりの暗闇は、いまの全てを思い出すため」
 


きみを抱きしめながら・・・・・

心の中だけでそう呟きながら

プロポーズの香りを纏った彼女の身体を
全身が知覚するように抱きしめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、ジフ・・?
私なんか、ジフをガッカリさせちゃうだけだと思うし
私なんか、きっとつまらないんじゃないかn・・・・・・・・・」
 

また、わけのわかんない鈍感を発揮して、きっと今まさに頭の中を
洗濯機みたいにかき回してるに違いない彼女の唇をもう一度ゆっくりと塞ぐ。
 


今度はその内側までも味わい尽す様に。
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、つくし? 頼むから・・・
・・・黙ってただ、愛させてくれ。」
 
 
 
 
 
 
愛しつくしても愛し足りずに

初めての彼女を貪るように何度も何度も



愛して。



何度も放ち何度も溶けた俺達の愛は

やがて白み始めた闇の終わりと共に

凪へと収束していく。
 



夢と現の境を緩々と揺蕩っていると

密やかな囁きが素肌の胸の辺りから

温かく吹きかけられ

唇で濡らされる感触を伴って聞こえてきた。
 
 
 

 
「Be my Valentine .    Mr.Valentine  ・・・・・かぁ・・・。フフッ」
 
 
 

少し擦れた声に無理させたかなと思う反面、男の独占欲が満たされる。

そんな複雑で単純な男心のせいか、このまま気だるさに身を任せるよりも
つくしと会話したい気持ちのほうに軍配が上がるのは直ぐだった。


 
「私の愛する人になってください。愛する人・・さん?
何だよつくし、寝てなかったのか?」


「ごめん、起こしちゃった?」


「いや、うとうとしてただけだったし・・・。
それよりそれって、何かの歌詞?」


「ううん。そうじゃないんだけど・・・
英語をね、勉強していた時に、Valentineは愛する人って意味だって知って・・
いつか愛する人が出来たら言ってみたいって思ってたの・・
ふふっ・・・変よね?私、・・きっとちょっと浮かれすぎてる。」


「変なんかじゃない。そういえば俺も言ってみたい言葉があったな・・・。」


「え?ジフも?」


「うん。街で流れてる歌詞みたいに 
ネ サラム(俺の人)、クリウン サラム(愛しい人)とか・・・」


「普段使いには恥ずかしいよねぇ。そういうロマンチックな言葉って・・・」
 
 



 
「・・・クリウン サラム。まだ外は夜と朝の間だよ。ほら、もう少し眠ろう?」


「・・・そうね、Mr.Valentine。本当の朝が来るまで、寄り添って温めあって眠りましょう?」
 
 


 
くすっ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ねぇ、つくし。


人が天から心を授かったのは、人を愛する為だって言われたけれど 


俺達、心を授かって良かったよな?  
もう、お前も 怖くないだろう?

 
俺がお前を愛するように、お前も俺を愛してくれるなら
俺達の愛を切り裂くナイフなんて、きっと存在しないんだから・・・
 
 
 
 
瞼の向こうでも俺達が共にありますように・・・
 
 
そう祈りながら、触れるようなキスをして
もう一度幸せなトロイメライへと堕ちていこう。 お前を連れて。
 
 
 
・・・・・・・・・ My sweet Valentine ・・・・・・・・・