「して。お前には策があるのだろう?イム尚宮の姪御殿。」
 
ユ長老の賢しげな瞳に対して、ニコリと微笑み返したヒジンは怜悧な諜報員の顔で話し出す。
 
「まず、宮内のネズミは職員のネットワークを使って一掃します。
履歴書では解らない其々の人間関係を洗い出す必要があるからです。
その間、丁度殿下達は冬休みに入られます。モーガン様からスリョン様が声を取り戻されたと
聞いていますし、お2人とスリョン様が親しくなることは、進学問題も含めて急務かと思われます。」
 
 
ユルとヘミョンの帰国を踏まえて、シンとチェギョンには王立以外の進学先が検討されており
まだ本人達にも知らせてはいないが、その第一候補はモーガン氏の提案もあって
神話学園が挙げられている。神話のカン・ヒスからは、もしも2人に神話に進学する意思があり
それが確定した場合には、快く受け入れる体制を整えるとの返答を得ていたのだ。
 
 
「お2人の休み中に予定されている代理公務は、皇帝皇后両陛下もお戻りになられたことですし
本来の公務体系へと戻し、殿下とチェギョン様にはユン・ソギョン様のお宅にホームステイという
のは如何でしょう?確かお2人が幼少の時もそういった事があったと記憶していますし
今もユン邸は離宮扱いのままだと聞き及んでおりますので、法度的にも問題は無いかと?」
 
 
あの時ユン邸に2人を住まわせたことで、ジフとの今日までの交流が生まれたのだった。
 
そして今は、あのクリストファー・モーガンが、掌中の珠と大切にするスリョンが住んでおり
彼女の義父であるクリスが大切な宝玉の守り手として望んでいるのは、そのジフである。
 
上皇自身、何度かスリョンに会い、その人柄に一方でない好感を持っていたので
此度の事で、自分の宝玉達が彼女と既知になることに、当然否は無い。
 
上皇が頷いたことで、この事は決定事項となるが、状況を考えると警備状況が気になる者達を
見透かしたようにニヤリと口許を緩めつつ、ヒジンは言葉を補足していく。
 
 
「あちらの警備は私の管轄で配備しておりますが、おそらく現在の韓国ではこの宮以上の
最もセキュリティーのしっかりした場所になっています。配したのは韓国籍ではない者達ばかり
ですので、この国の権力に対して屈する心配もありません。お2人の精神的な負担を考えても
宮から離れる事が出来て、尚且つ精神医療に明るいスリョン様の主治医がいること
そしてお2人が信頼するジフ様がいらっしゃること、どの観点から見ても最適です。」
 
 
そうだった・・。昨年のチェギョンの事もようやく前進したばかり。
今朝の事と公務先の事件が重なっている今、今の2人の精神状態を危惧する必要は大いにある。
宮では職員達を気遣って、何かと気を使っているらしいという報告も上がっている。
彼等の心を守る為にも、宮から離すことは利があるように思う。
 
 
「その間にチェギョン様のお妃問題に関しても幾つかの布石を打っていきたいと思います。
王族は今までかなり国民の信頼を失っているのは、皆様もご存知の通りです。
国民から見ればそんな王族の中から皇太子妃が立てば、宮への尊敬も失墜するでしょう。
今までのチェギョン様の公務に関しての情報を、公務先の民間からの噂として少しずつ
オープンにしていきましょう。王族会に焦点を合わせるから、この問題が滞るのです。」
 
 
ヒジンの言葉に、ハッと目を見開いて皆は気付かされる。
事ある毎に煩く騒ぎたてたり、陰謀を巡らす王族のことばかりに目を向けていた自分達は
本当に見なければならない方向を見ていなかったということを・・・。
 
 
「わが国は民主主義国で、立憲君主制なのです。国民の声を無視することは絶対に出来ません。
扇動するのではなく、単にチェギョン様の普段の様子を国民目線で開示するだけで
情報操作ではありませんからご安心を。これは陛下のプランが通った前提として動きますので
そちらの方は抜かりなく皆様でよろしくお願いいたします。」
 
 
確かにヒョンの策を含めて、ここにいる皆の意志が貫かれれば
物事の見え方は、本質から変わってくるのだ。宮は国民の前にのみ在り、国民と共に在る。
 
本当の意味での立憲君主への道を歩むことになるのだ。
 
それは絵に描いた餅ではなく、こうして一つ一つの考え方や価値観からして
ひっくり返ることを意味するのだと、頭ではなく皮膚感覚から理解する。
 
 
「チェギョン様を選ぶ皇太子様だからこそ皇太子として相応しい、という民意が生まれるなど
階級意識の強い彼等には気付けない盲点のはず。ですから、その裏をかきます。
皆さん。これはスピード感とテンポが大事です。チャチャッといきましょう!」
 
 
ニッコリと笑って、厳しい表情になっている貴人達を気後れもせず見渡しながら
そう言うと、パタン、とPCを閉じて立ち上がり、チェギョンの様にファイティンポーズをした。
 
 
「これ!ヒジン!!皆様になんという・・・・・っっ!?」
 
「叔母上。今は作戦会議では?そして私達はチームのはず。あんまり面倒な事言うと・・・・
とっとと荷物を纏めてアメリカに帰りますよ?多少の無礼はお許しいただきましょうよ~?(笑)」
 
 
クスクスクス・・・・。
 
 
「クム尚宮。ヒジンはこれで良い。私もちーむ?とやらの一員だなんてワクワクするではないか♪
のう?皇后?そなたもそう思うであろう?外命婦は私達で請け負うとしよう♪」
 
「はい。皇太后様。早速パク尚宮と共に作戦会議と致しましょう♪」
 
 
冷や汗をかきながら低頭している最高尚宮に、皇太后と皇后が笑顔を向けつつそう言うと
皆も微笑んで頷いた。クム尚宮は皺の増えた目尻に光るものを溜めながら更に深く低頭した。
 
敵が動き出した。けれども、こちらとて過去の宮ではないのだ。
 
王族ではなく、国民へ目を向ける。当たり前のようで意識の外側にあった事を
改めて胸に刻み、其々は其々の成すべきことへと思いを馳せるのだった。
 
 
 
***** ***** *****
 
 
 
宮からの連絡を受けたソギョンは、苦笑いを浮かべながら電話を切った。
ジュンピョやウビンの親達とも話し合い、自らの孫も含めてクリスの言うところの
【テスト中】 の今、先方が普通の状態であれば断りたい内容だった。
 
しかしそこへ至るまでの過程を聞いてしまえば、それも出来まい。
 
テストが少々難しくなるだろうか?・・・・否、これもまた、免れぬ試練なのかもしれない。
シンとチェギョンがここにいる間は様々な制約が生まれるので、予定変更は確実になるだろうが
多少の遅れが生じる事になったとしても、それが却って吉と転ぶような予感がして仕方が無い。
 
こんなにワクワクするのはどれ位振りだろうか?
少なくとも息子夫婦が身罷ってからは記憶が無いのだから、随分久しぶりの感覚だった。
 
 
「・・・シンとチェギョンか・・・。フム・・。良いかもしれんな・・・。」
 
 
人の心を学び始めたが故に、なかなか進めないでいるジフにとっても
進む前から諦めているスリョンにとっても・・・・・・
 
 
ソギョンはジフの想いにも、スリョンの惑いにも気付いていた。
気付いていながら黙って見守っているのは、自分達で乗り越えるべき壁だからだ。
 
不思議なもので、物事というのは大抵予定通りにはいかないものと決まっている。
時も状況も全部無視して、思ってもみない所から横槍のように変化球が飛んでくるのだ。
 
それをどう打ち返すか、それとも打てないで終わるのか?
そんな些細なことで人生は大きく変わったりするものなのだ。
 
 
「運も実力のうちと言うが・・・・ククッ。面白くなりそうじゃ・・・。」
 
 
見頃を過ぎて1/3程に減った蝋梅を眺めながら、ソギョンは独りごちた。
彼の勘が告げているのだ。これはきっと一気呵成の渦となっていくのだ・・・と。
 
宮にとっても、我が家にとっても。そして緑眼の友にとっても・・・・・。
 
 
 
 
 
 
目を閉じれば、この梅園をおぼつかない足取りでヨチヨチ歩く幼いジフが甦る。
その傍には手を叩いて愛息子の名を呼び合う息子夫婦の笑顔があった。
当たり前のように存在した、宝のような幸せな時間が、再びこの庭に見られるのだろうか?
 
今度はジフとスリョンが、幼い我が子をこの庭で遊ばせる日が・・・・・。
 
スリョンの心に触れてしまえば、ジフの隣はあの娘しか考えられないような気がする。
否・・考えたくなくなってしまった、と言った方が正しいのかもしれない。
だから自分は、何としてもこの縁を強く、きつく、結び付けたいのだ。
 
 
 
 
この、寒々しいほど静まり返った、墓場のような邸に春をもたらし
居心地よく温めてくれる、陽の光のような天女が舞い降りた。
 
そして彼女は邸だけでなく、美しく才能も豊かだが、ただそれだけでしかなかった孫を
1人の人間へと変え、彼は初めて自分に訪れた感情に戸惑いつつも溺れていっている。
彼女が声を取り戻して以来、どうやら彼の胸中には小さな変化が起きたようでもあった。
 
最近の我が孫息子殿は、何処までも 【人間】 らしく、寝ても醒めても天女に夢中だ。
 
彼女の笑顔が彼に向けられること、彼女の声が彼の名を呼ぶこと。
そんな小さな事すらも、彼の生きる意味になっているかのように・・・・。
 
 
しかし・・・・。 だからこそ恐れてもいるのだと思う。
 
天女が羽衣を見つけて、彼の手の届かないところへ消えてしまうことを。
 
 
 
 
恋は人を、強くもするし弱くもする。そしてどんなに理性的な者でも簡単に愚かにしてしまう。
だから恋は素晴らしいし、恐いのだ。これほど人に喜びと絶望の両極を与え得るものは
他に無いかもしれないと思う程に、強烈な輝きで、良くも悪くも人を狂わせる。
 
 
再び眼を開けたソギョンの眼には、遠くない未来の梅園を暗示するかの如く
夢の中の住人の様に美しい男女が寄り添って、散りゆく花を惜しむようにそぞろ歩く姿が映った。
 
それを永遠に閉じ込めるかのように見続ける彼の口元は、幸せそうに緩く笑んでいるのだった。