夕方・・・ジフの運転で4人が到着したのは、ジフの愛馬ルイがいる馬術センターだった。
リハビリ中のスリョンの為に、2度ほどここを借り切って連れてきていたので、スリョンは慣れた様に
ロビーを抜けると厩舎へ一目散に向かう。
 
 
『ルイ!!また来ちゃった♪元気にしてた?
ほら!ルイの好きなリンゴとニンジンも一杯持ってきたよ!』
 
「お!良かったなぁ~ルイ。大好きなスリョン様がいらしてくれて!」
 
「あ!おじさん、こんにちわ。おじさんにお土産アリマス♪ほんとはお母様に、デスケド。
この前お母様また病気って聞キマシタ。大丈夫、デスカ?」
 
「スリョン様は本当にお優しいですね。ジフ様が大切になさるわけだ!大丈夫ですよ。
再発かと心配しましたが、今のところその心配はないそうです。」
 
「う・・・おじさん・・・・///。でも、よかったデス。これ、お守りデス。私が作りマシタ。」
 
「スリョン様・・・いつも母の事まで・・・ありがとうございます。」
 
「おじさん?今日はおじさんに会わせたい人、連れてキマシタ。
おじさんも、もう、幸せになって?ね?」
 
「え?」
 
 
男性にしては小柄な彼の肩にそっと手を当てたスリョンが、振り向くように促した。
その瞬間、彼の瞳からはボロボロと音を立てるように涙が次々に零れ落ち
それと同時にガックリと跪いたかと思ったら、土下座をして、カタカタと震えだした。
 
 
「・・・・・チェ・・・・・ギョン・・・・・さ・・・・・ま・・・・っ!!!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
ルイに初めて会った日・・・。
 
 
行きの車中で発作を起こしていたスリョンは青褪めた顔で、ジフに抱かれてここへ来た。
ジフが白馬に向かって「ルイ」と呼びかけると、耳をピクリと動かした白馬が、こちらを見た。
そう、それは正しく【見た】のだ、と思う。目を細めるように、微笑むようにこちらを見る【ルイ】は
まるで自分に微笑みかけてくれるジフのようで、スリョンはジフの腕の中でふうわりと微笑んだ。
そっと、温かなルイの肌に触れれば、不思議と心が凪いで、そして気持ちまで温められていく。
 
 
『ルイ?ルイっていうの?私のお友達にも同じ名前の人がいるわ。
でも、貴方の方がずっとハンサムね?ふふふ。』
 
 
ジフの愛馬らしく賢いのか英語で話しかけるスリョンの言葉に満足そうに耳を傾けて
彼女の手に向かって頭を下げてきた。「撫でても良いよ」そう言っているみたいだと
嬉しそうに言いながらジフを見上げるスリョンを、ジフもまた愛しげにみて頷くのだ。
 
 
「ルイは気難しいのに、余程そのお嬢さんが気に入ったようですね?」
 
 
そう言いながら穏やかに微笑んだその人とスリョンが親しくなるのはあっと言う間で。
何年もここで顔見知りだったジフですら知らない事を、スリョンはその日のうちに
聞きだしてしまった。
 
母のことだけでなく、嘗て一度も口にした事のない罪の告白まで、
見知らぬ女性にしてしまった事は、元厩舎係の彼自身をとても驚かせたが
彼女の持つ不思議な何かが、彼を子供のように素直にさせてしまったようだった。
 
 
 
本当に、例えようもなく不思議な人だった。
 
 
 
そして彼は、その不思議さにろ過されるように、自分自身でも知らなかった己を知る。
 自分がどれ程この罪に苦しみ、それを誰かに聞いてもらいたかったのかと・・・・。
 
 
 
「おじさんも、もう、幸せになって?」
 
 
 
彼の罪の告白を静かに聞いて、そして優しく彼を抱きしめて一緒に涙を流してくれたその人は
ただ彼の心に添い重荷をいくつか請け負ってくれるだけでなく、彼にそう言った。
 
 
【もう】 幸せになれ、と。
 
 
ここにチェギョンを連れてくる事は、ジフにも、そして他の者達にも出来ただろう。
けれども、彼の心を開放し、罪を悔いるしかないような人生から一歩踏み出させることは
きっとスリョンにしか出来なかっただろう。
 
自分の身に受けた罪すらも、己の罪として贖おうとするその人にしか・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あ、貴方は、あの時のっ!!ご、ごめんなさいっ!!!私のせいで、わたしのっ・・・・・!!!」
 
「チェギョン様、大変、申し訳、ありませんでした!!!あ、あの時、私は金に目が眩んで・・・」
 
 
同時に詫びあうチェギョンと厩舎係の男を静かに見つめていたシンが、ふと聞きとがめる。
 
 
「???・・・金???私の姉に、脅されたからではなかったのですか?」
 
「!!!・・・・こ、これはっ!!!皇太子殿下!!!・・・ぶ、無作法で、申し訳ありませんっ!!」
 
「あ、いや・・・・。無作法なのは私の方でした。申し訳ない。このヌナは挨拶に厳しい人なので
これでは後で私が怒られてしまいそうですから、やり直させていただいてもいいですか?
お久しぶりです。お元気でしたか?お母上も・・・?」
 
「殿下・・。そのようなお優しい言葉を掛けて頂けるとは・・・ック・・・・。
お久しゅうございます。私はこうして元気に暮らしております。殿下もチェギョン様もご一緒で・・・。
良かった・・・・・本当に良かったです・・・・・。ですが、何故・・・・、母の事をご存知で・・!?」
 
「・・・・噂を聞いたのです。貴方が姉に脅されて、職を失いたくないばかりに
姉の言う事を聞いたのだと。そしてお母上が難病で、その看病の為だったのだと・・・・。
チェギョンも、その時一緒にいて・・・・・。随分傷付いていました。貴方に申し訳ないと。
私も同じです。宮の仕打ちを、姉の非道を・・・赦してくれとはいえません。
貴方と、あなたのお母上を路頭に迷わせ、人生を狂わせてしまい・・・・・・・」
 
「い、いいえっ!!!!違うんですっ!!! 」
 
 
皇太子であるシンの言葉を遮って話すなど、宮の法度が染み込んだ身には
震えが来る程の罪に思われたが、そうせざるを得ないかのように彼は力強く遮ると話し出した。
 
 
「あの頃・・・・・母の医療費がかさみ、私は金に困っていました。
そしてヘミョン姫様に大変な罪を犯した私は、クビになるのでは?といつも怯えてもおりました。
そんな時でした。・・・・・得体の知れない男が大金を持ってきて言ったのです。
クビになりたくなければ、ヘミョン姫様の言う事を何でも聞くように・・・と・・・・。
私はつい、その大金と、秘密を守ってもらえるという言葉に目が眩み、頷いてしまいました。
幼いヘミョン姫様の家来になることなど他愛無い事、と自分を誤魔化すように言い聞かせながらも
心のどこかでは言いようのない不安に襲われて、悪魔に魂を売り渡すとはこういう事かとも・・・・。
恐ろしかった・・・・・。けれども暫くは何事も起こらず、やはり自分の考えすぎかと思い始めた頃
ヘミョン姫様に馬の興奮剤を混ぜたという飼葉を渡されました。しかし、それはご承知の通り
人の致死量を遥かに上回る量の砒素が混入されたものでした。それ程の物とは知らなかった・・。
しかし、仮に興奮剤とてチェギョン様の乗られる馬に食べさせるなぞ、あってはならないことです。
馬の、そしてそれに乗る人の命を預かる者として、犯してはならない罪を、私は犯したのです。
宮の処罰は優しすぎるくらいだったと、今でも感謝しています。コン内官様が仰ったのです。
母一人子一人の私に厳罰を与えれば母が悲しむ。幸いチェギョン様も命に別状は無く
これ以上の悲しみを増やす事を陛下達は望まれていない。それよりもヘミョン姫様の事を
申し訳なく思うし、巻き込んで済まなかったと・・・・、上皇様のお言葉だそうです。
殿下・・・・。私は感謝しております。あの、苦しみからは宮を出る以外に逃げられませんでした。
罪を問われる事で、私はホッとしたのです。もうこれで、母の目を逸らさずに見ることが出来ると・・
ありがとうございました。お陰さまで母の看病を続けることも出来、今は無理をしなければ
家で普通に暮らすことも出来ています。全て宮の皆様のお優しいお心のお陰でございます。」
 
 
どれ程の時間、彼はあの頃の事を思い返しては苦しみ続けてきたのだろう?
何年も昔の事を、まるで昨日の事の様に話す男はずっとあの日から立ち止まり続けているのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
「アジョシ・・・・。お仕事は?直ぐにここに就職出来たの?ずっと、それが心配で・・・。」
 
「チェギョン様・・・。今もお優しいままで、殿下のお傍にいらっしゃるのですね?
私を・・・・、私をこの職につけてくださったのは、貴方様と、ジフ様のお爺様方でございます。
上皇様が頼まれたのだと聞きました。私如きの生活を心配して下さって、宮の被害者だと・・・・。
殿下、チェギョン様、そしてジフ様。お三方のお爺様は本当に素晴らしい方でございます。
お孫様に大怪我を負わせた私に、チェヨン様はこの仕事を与えて下さいました。
ソギョン様はジフ様の愛馬の世話の全般を私個人にお任せくださり、破格の賃金を今もずっと
支払い続けて下さっています。母の病が落ち着いたとき、もうこれ以上は・・・と言えば
孫に似て気難しいあの馬の世話はお前にしか任せられぬと仰って・・・・。
本当に感謝しきれません。だから余計に、このご恩に報いる事の出来ない自分を悔やみ
あんなにお優しい方々に叛くような罪を犯した自分を赦せず・・・・今日までずっと・・・・・。
スリョン様、貴女は本当に天使のようなお方だ。誰にも話したことの無いこの苦しみを
聞いていただけただけでも幸せでしたのに、このような奇跡を起こしてくださるなんて・・・。」
 
「「「 ・・・・・・・・ 」」」
 
 
彼の話の全てが聞き取れるわけではないスリョンに、英語で通訳していたジフは
途中からそれを継続する事も滞るほど驚いていた。シンやチェギョンも言葉が出ない。
 
 
「おじさん。これで、すっきり、ネ?もう、いいのデス。おじさん、沢山ツラカッタ。
シンもチェギョンも、私のトンセンで、いい子デス。あなたがツライ、と、トンセンもツライ。
だから、もう、オシマイ。お母様も元気、おじさんも元気、トンセンも。みんな幸せ、ネ?」
 
 
一生懸命覚えたての韓国語で、つかえながらも丁寧に話すスリョンの声は
長の月日を贖う術も無く苦しみ続けた男だけでなく、シンやチェギョンをも癒す。
ジフだけは、そんなスリョンの優しさを心配そうに憂い顔で見つめる。
 
 
 
 
 
 
 
 
ひとを超えた者は、ひとでしか居られない者を癒し、そしてまた深く感動させる。
しかし、誰の痛みをも請け負うそのひとの痛みは、誰とも分け合えないのではないだろうか?
誰もを孤独から救い出すひとは、誰よりも孤独なのではないだろうか?
 
ひとでしかいられない自分が、この素晴らしいひとを幸せに出来るなどと思うのは
ひどく傲慢で身勝手な想いでしかないのではないだろうか?
 
 
 
それでも求めるのだ。  この特別な光を。
求めずにいられないのだ。 この稀有な魂を。
 
そして、愛さずにはいられないのだ。花の名を持つそのひとを・・・・・。