馬を駆ってスリョンの邸まで辿り着けば、まるで縁日のような賑わいで
これ程この事は大事になって民草にも知れ渡っているのか・・とジフは軽く嘆息した。
 
 
 
 
「ジフ様・・・凄い事になっていますね・・・・?」
 
「ああ・・・・これでは話を途中で済し崩す訳にもいかないみたいだ。
すまないね。こんな事にお前まで巻き込んでしまって・・・。
体が辛い時は言ってくれ。供などつけずとも平気なのだから・・・。」
 
「ご心配ありがとうございます。それでは、そういう時は遠慮なく言わせていただきます。
ですが大丈夫だと思いますよ?今まで何年もの間、進展の無かった若様の恋が叶うのなら
百夜どころか千夜だってお供させていただきますよ?フフフ。」
 
「・・・ハァ・・・。千夜なんて、不吉な事を言わないでくれ。それに、相手はあのスリョンだし。
そう簡単に上手くいくとは思えないけど?・・・・・・で、この事はお爺様もご存知か?」
 
「はい。ご伝言も承っております。」
 
「・・・・・・聞きたくない・・・・・。」
 
「 『百夜と言わず今夜にでもスリョンを我が邸に攫って来てしまえ!
あの馬鹿チェヨンの所為で、可愛いスリョンを人身御供にされてなるものか!
これは厳命じゃ。スリョンを倭人なぞに取られるな!!失敗は許さん!!!』
・・・・だ、そうでございます。因みに、その時は私もこの職を辞して出家でもする覚悟です。」
 
「・・・だから相手はあのスリョンだというのに。ハァ・・やっぱり聞くんじゃなかった。
・・・・・・カン。その時は俺も一緒に行くから、宜しくね?クスッ」
 
「そうならない為にも是非ジフ様には頑張っていただきたいんですが?フフッ」
 
「ククッ。・・・・ありがとう。少し緊張が解れたよ。で、この人混みは何の為かな???」
 
「畏れ入ります。・・・あ、あれじゃないでしょうか?何か揉めているようですが・・・・」
 
 
 
 
 
従者が指差した方を見ると、宮が派遣したのだろう近衛の制服を着た兵が数名門の前に立ち
ジフがよく見知った後姿と何やら一悶着起こしているらしいのが見えた。
思わず溜息を吐きそうになるのを堪え、そっと彼らの背後に近寄ると少し様子をみる事にした。
 
 
 
 
 
「ですから!公平を期す為にも一夜に一つが決まりでございまして、例外は皇帝陛下の命により
固く禁じられております!毎夜戌刻の宵五つの鐘(20時)から、子刻の夜九つの鐘(0時)までに
此方の門を通って下されば、私共がちゃんとその晩の分をお渡ししますからっ!!」
 
「ったく、テメーも面倒な奴だな!だから!俺様がその玉っころを全部買い取るって言ってんだろ!
そうすりゃお前たちも毎晩こんなとこで立ちんぼしなくて済むじゃねーかっ!よこせっ!!」
 
「嫌でございますっ!!いくらク様と言えど、こればかりは聞けません!!」
 
「テメーらも信用出来ねーんだよ!大体お前が毎晩ここに立つって事は
お前だって百夜通うようなもんだろ!折角百夜通っても他の奴に掻っ攫われたら
元も根っこもないだろうがっ!!」
 
「・・・・元も子も・・・・だよ。」
 
「はぁ!?なんだよ元モコモコってよ~??・・・お前は馬鹿かっ!!」
 
 
 
 
背後からツッコミを入れたジフに気付かず、まだ役人相手に怒鳴っている友に
ジフはもう一度、ゆっくりと話しかけた。
 
 
 
 
「馬 鹿 は お ま え だ。 ・・・・ク・ジュンピョ。」
 
「ァあ゛??誰だテメー!このジュンピョさ・・・・・ま・・・・・って、なんだ、ジフじゃねーか?
やっと来やがったか!?オセーんだよお前はっ!いつもいつもボーーーッとしやがってっ!!
お前がそんなんだからこんな騒ぎになるんだろーがっ!しっかりスリョンを掴まえとけよっ!!」
 
 
 
 
振り返りざまにジフだと気付いた友は、どうやら今夜はひどく不機嫌らしい。
その原因に大体見当をつけてニヤリと嗤ってから、近衛兵らしき者に向かって口を開いた。
 
 
 
 
「その制服、近衛でしょ?上官は?」
 
「我々は東宮付きですので、上官は・・・」
 
「世子様直属か?」
 
「はい!」
 
「じゃ、世子様にはくれぐれも君達の負担が少ないよう、交代制を徹底するように進言しておこう。
“こんなこと” に煩わされるより、君達も世子様のお傍にいて尽力したいだろうからね?」
 
「・・・・は、はい・・・。」
 
「じゃ、俺とこいつの今夜の分をくんないかな?それと・・・本当にそれ、俺達に売っちゃダメなの?
俺、君の上官様から言われたんだ。俺か世子様のどちらかが通いきれなければ、妃宮様が
通うといって聞かないらしい。ご懐妊中だというのに姉とも慕う従姉妹殿が心配で仕方ないそうだ。
もしも君が腹痛か何かでここを離れてる間に俺が来て、この小さな玉ひとつが貰えなければ・・・
どうなるのかな・・・?それに・・・烏合の衆がどれだけ集まってもスリョンは会わないと思うけど?」
 
 
 
 
ジフが、ジュンピョの恋人曰くの 【天使の微笑み】 でそう言うと、シン付きの近衛兵は
諦めたように俯いて、懐から玉の入った袋を取り出して彼らに差し出した。
 
それを見るとチッと舌打ちをして「最初からそうしてりゃいいんだ!」と毒づきながらも
「口止め料だ♪」と法外な大金を渡すジュンピョに苦笑いをしながら付いて行くジフ。
 
彼とシンの仲を知らぬ者はいないし、チェギョンとスリョンの仲も、4人の結束の強さも同様だ。
そんなジフの言葉にガックリと項垂れた兵の姿は、ジュンピョの野生の勘が正しかったと
はっきりと告げていた。今夜は初日の夜とあって、彼のような「あわよくば・・・」と狙う者共が
この邸に大挙して押し寄せていたのだ。
 
そして、ジフの予想通りこの百夜通いは時を稼ぐ口実でしかないスリョンが
この者達に目通りを許すわけも無く、ただ手厚く食事や御酒は振舞われたのが
スリョンらしい詫びを込めたせめてもの心尽くしだった。
 
 
 
 
「ジフが来たなら、俺たちはもう、お役御免でいいよな!?ったく・・・。来ないかと思ったぜ。
お前には悪いが、この話を聞いて思ったんだ。明日も今日と同じ日があるとは限らねぇってな。
だから今夜あいつに婚姻を申し込もうと決めた。今からなら、今日中には出来そうだから
俺、あいつんところにちょっと行って来るわ!!ジフ!テメーも人生懸かってんだ。頑張れよ!
スリョンにも、馬鹿なことを考えるのは止せ!と俺達が怒ってたってチャンと言うんだぞっ!?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・・って言って、何故か有象無象の衆と一緒に酒盛りしていたウビンとイジョンを見つけて
二人を引きずるようにして帰っていったよ。」
 
「そう・・・・。私の所為で皆さんには随分ご迷惑をかけたのね・・・。
シンも、チェギョンがそんな事を言えば困ってしまったに違いないわね。
こんなに大勢の方が来るとも思わなくて、私・・・・・、軽率だったわ・・・・。」
 
「じゃ、スリョンは何人くらいを予想していたの?その中に俺は入っていた?」
 
「1人もいなければ、どうしようとは思っていたけれど、人数の予想なんてしてなかったわ。
それにジフ・・・あなたが来たと聞いたときの私の驚きようを見たでしょう?」
 
 
 
 
そう言ってスリョンは花のように微笑んだ。
 
 
 
 
彼女の部屋に直接向かったジフが、「これから百夜、毎晩来るから宜しく。」と言うと
スリョンは元々大きな黒い瞳を更に大きく、零れんばかりに見開いて暫し固まった後
「なんで・・・、ジフがこんな馬鹿げた事に・・・」と呟いて、その後は只管ここに至るまでの過程を
面倒臭がるジフに、無理矢理話させていたのだ。
 
ジフに対してこんな事が出来るのは、(確実に)この国で唯一スリョンだけだったし
スリョンもまた、これほど無作法に嫌がる相手に無理に話させるなど、ジフにしかしないことだ。
 
幼い頃からシンやチェギョンと共に、兄妹のようにして育ったジフとスリョン。
だからこそ互いには全てさらけ出す事が出来たし、甘えたり拗ねたり、どんな自分も見せてきた。
いつしかそれを愛と自覚したジフだったが、その気持ちだけは心の中に仕舞っていたのは
スリョンがまだ、自分を兄だと思っている所為だった。
 
 
いつか時が満ちれば・・・と待ち焦がれた日が、こんな時とは思わずに・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
「でも、俺は通うからね。百夜通えば、スリョンは俺のお嫁さんになってくれるんでしょ?」
 
「え?ジフ、何言ってるの?同情なんてしないで平気よ?
それにジフ、結婚は好きな人とするものよ?」
 
「それ、スリョンにそっくりそのまま返してもいい?お前、その倭人のこと好きじゃないんだろ?
それになんで、俺がお前を好きじゃないと決め付けるんだよ。俺の恋心なんて無視?」
 
「はっ!?!?ジ、ジフ、何馬鹿なこと言って・・・///!?!?」
 
「馬鹿なことじゃない。もうずっと前に自覚していた。俺はスリョンの事が好きだよ。
結婚するならお前と・・・・ってずっと思ってた。スリョンは?俺のこと、嫌い?」
 
「嫌いなわけ無いでしょうがっ!!でも・・・・・・・・。」
 
「兄としてしか見られない?」
 
「・・・・・わからない。考えた事も無かったから・・・・・。」
 
「本当に?ただの一度も?」
 
「・・・・・・・・・・////。」
 
「クスッ。その色づく頬に免じて今夜は許してあげる。ま、百夜あるんだからゆっくり考えてみて。
あ、あと九十九夜か?それに・・・明晩からは俺しか来ないと思うから、安心していいよ?」
 
 
 
 
 
 
巷では、彼は花の貴公子と呼ばれている事を思い出させる、そんな美しい微笑を浮かべつつ
何やら策士めいた事をするのか、既にしたのか・・・???
 
スリョンだけに解る彼の悪戯そうな瞳の輝きに、呆れたような笑みを返したスリョンは
何はともあれ、他人に迷惑をかけるよりもジフであれば気が楽だ、と思い直す。
 
 
 
 
 
 
「来れなくても構わないわ。百夜の猶予が欲しかっただけなのだから・・・。
ジフも、無理しないでね?あなたは私の真意すらもう見抜いているのでしょう?」
 
「今無理しないで、いつするの?俺は本気だ。スリョンの真意?そんなもの、知らないな。
ねぇ、スリョン。いっそ俺の邸に来ちゃわない?お爺様はそのつもりなんだけど?」
 
「ダメ。そんなことをすれば、外交問題よ?この百夜だって今上帝やお祖父様たちに
とても迷惑をかけて漸く得た貴重な時間なの。最後の餞別のようなものなのだと思うわ。
私がここにいて、通ってくださる殿方がいるうちは手を出さない。そういう約束なのだもの。
陛下達の顔に泥を塗るような真似は絶対にダメッ!!」
 
「ハァ~・・。やっぱり百夜通わないとダメか・・・。仕方ない。
それに・・・・・考えようによっては良い機会かもな?・・・・うん。俺は覚悟を決めることにする。
だからスリョン、お前も覚悟しろよ?俺はこう見えて負けず嫌いだ。絶対に百夜通ってみせるよ。
お前も俺に対して目を背けないで、俺のこと、ちゃんと考えてくれ。いいね?」
 
「ジフ・・・・・・///」
 
「今夜は帰るよ。では、姫。また明晩お会いしましょう。」
 
 
 
 
 
 
スッと立ち上がる男は月明かりの中、物語のように麗々しく
それでいてどこか惑わずように艶な風情だ。
 
 
 
 
 
 
こんな男に百夜もの夜、愛を囁かれて堕ちない女などいるのだろうか?
神ですらこの男の前では惑うに違いない。
 
 
そう思われるほどに、それは凄絶なまでの美・・・・・・・・