自分を落ち着かせようと、ワザと軽口を言う弟妹の温もりに包まれたスリョンの脳裏に
ふと思い浮かぶ、躊躇いがちに零れオトサレタ切なげな声・・・・・・。
 
 
「スリョナ?何故それほどまでに生き急ぐの?何処かへ行ってしまうつもりなの?」
 
 
そして続く自分の声は、記憶の中で酷く悲しげに引き攣れる。
 
 
「生も死も大きな違いは無いと思うの。私達は毎朝生まれて、毎晩死ぬのよ。
明日の朝、もう一度生まれる事が出来るなんて、誰も約束してはくれない。そうでしょう?
だから今出来ることは今したいの。」
 
 
そんな自分の思いは、貴方をそんな風にしてしまうほど不安にさせたのか?と問えば
彼は何と答えただろうか・・・・?
 
 
「何処へ行ってもいいんだよ。行くななんて言わない。行きたいところへ、生きたいように。
本当にそう思うんだ。その邪魔もしたくないんだ。でも・・・・・。
付いていくことを許してくれないかな?それが、生であっても、死であっても。
俺は、スリョンの傍に居ても良いんだって、言ってくれないか?」
 
 
そうだ・・・・。そう言ってあの人は、私に謝ったのだ・・・・・。苦しげに、呟くように・・・・・・。
 
 
だから気付いてしまった。
どうしようもなく愛してしまったことに・・・。
 
傍を離れれば、きっと一秒たりとも生きられないと思える程
焦がれて、欲して・・・・・、狂ってしまったほうが楽にさえ思えて・・・。
 
 
・・・・あれが、舞となって私の中から爆ぜて溢れてしまったのだろうか?
静かに咲き、時が来れば散るだけの、それだけの事だと思い定めていたというのに・・・・。
 
 
自分の心が漏れ出たことへの羞恥や悔恨は無かった。
 
 
ただ、それほどまでに愛しい男が、そんな舞を見て、あの時以上に苦しんだのではないかと
思うとそれが身を切るように辛く、自分の不甲斐無さを悔やんだ。
 
いつも自分を大切に、そして自由にさせてくれるその人に
感謝こそすれ、悲しませるようなことはしたくなかったのに・・・・。
 
優しいあの人は、自分が兄と慕うのではなく異性として想っていると知れば困るのではないか?
彼の情愛を、男女の愛として欲してしまう罪深ささえも、きっと笑って許してくれるだろうあの人は
私が消えること、去ることを、今は望んでいないのに・・・・・。
 
いつか彼に、この弟妹達のような運命の相手が現れれば、彼の重荷になる前に
こんな自分は姿を消さねば・・と思ってはいたが、今がその時ではないことも知っていた。
 
全ての刻は彼の為にあり、彼の意に添うことが、自分に出来る唯一の愛の証だと思っていた。
愛される資格はなくても、そうやって愛することは出来るのだと思っていた。
 
だからこそ、今日出来ることを、今日味わえることを・・・・・と、大切に過ごした。
・・・・・・それが、そうすることが、間違っているというのだろうか・・・・・???
 
 
チェギョンの身体が、まるでその問いに答えるようにスッと離れ
スリョンの顔が見えるところに回り込んで、ジッと見つめる。
 
 
「オンニの手は必ずオッパに繋がっていて、オッパの胸はいつだってオンニを抱きとめてる。
私とシン君がそうであるみたいに。そしてそれは 【宿世の縁】 なのよ。」
 
 
たった今聞いたばかりの多くの困難を、幼い頃から何度も乗り越えてきたという目の前の少女が
揺らがぬ瞳で、まるで王妃が宣言するように厳かな気品と共にそう言うと、ニッコリと笑う。
そしてゆっくりとスリョンから離れ、再びチェギョンをその腕に抱くシンも同じように微笑んで言う。
 
 
「日本の、千年昔の詩集を読んだヒョンは、スリョンの精神がここにあったと言った。
悲しみや苦しみは嘆くよりも沁みるもので、誰の所為でもないから、誰の所為にもしない。
それもまた、宿世の縁だと涙しながらも受容する。 【諦めるのとは根本的に違う】 らしい、とね?
僕はあの舞を見て、ヌナは大切な何かを掴もうともせずに諦めてしまっていると思った。
でも、ヒョンの言ったこの言葉を思い出したんだ。ヌナ、ヌナは諦めてるんじゃない。
すべての事を、受け入れているんだ。・・・・そうなんだろう?」
 
「この前オンニは私に言ったわよね?自分は幸せだって。それを聞いてからオンニの言うような
幸せを、私も見つけることが出来たわ。でも、昨日シン君が、オンニは不幸だと思うか?って
オンニと同じように聞いてきた時に、私はやっぱりオンニが幸せだとは答えられなかった。
それは、オンニの過去のことだけが理由ではないと思うの。・・・・・オンニは、なんでもかんでも
そうやって受け入れちゃうけど、オンニは?オンニは何処にいるの?オンニの欲しいものは?
オンニはみんなに幸せをくれるわ。自分の持ってるもの全部を躊躇無く差し出してくれるわ。
・・・・・オンニは、子供の頃読んだオスカー・ワイルドの【幸福の王子】みたいだわ。
病気の者や貧しい者の為に自分をボロボロにしていく王子様も、寒くなる前に南へ渡らなければ
死んでしまうのに王子様が大好きで願いを聞き続けるツバメも、どちらもオンニみたいだわ。
2人は結局天国で幸せになれるけれど、私の心は哀しくて潰れそうになるわ!!!」
 
 
話しながら、ポロポロと涙を零し始めたチェギョンの頭を撫でてやりながら
シンはとても穏やかな声で、聞く者の心にスッと染み込むような不思議な話し方をした。
きっとチェギョンの零す涙がシンにそうさせたのだと解ったスリョンは、目を閉じて
その言葉に自分を浸すように聞き入った。
 
 
「ヌナ・・・・。お節介だってことは判ってる。でも、言わずにはいられないんだ。
ヌナは言ってくれたよな?皆で幸せになろうって。僕もそうなりたいと思う。
だから・・・・・・、たまにはこんな受け入れ方をしてくれないだろうか?
【恋しいものを恋しいと欲すること】 も宿世の縁で、仕方の無い事だと・・・・。
僕達が互いに相手の手を離そうとしても、それが正しい事だと考えてもそう出来なかったのだって
きっとそういう縁で、仕方の無い事だったんだよ。だから、それを受け入れて、幸せになるよ。
ヌナも、そんな風には思えないだろうか?僕達の幸せは、ヌナがいて、ヌナも幸せでなければ
ダメなんだ。そして、ヒョンも・・・。ヒョンが幸せになるにも、ヌナは無くてはならないんだ。」
 
「・・・ただ・・・好きで、そばに・・・居たいだけで、は・・・、ダメだって・・・・・、悩んだ・・・。
けど・・、それで・・も・・・、好きで・・・・。傍にいた、かった・・・・。だから・・・、覚悟、した。
こ・・・こど、もの事、も・・ね?・・・私が、キス、で・・・、涙をほ、星に、変える・・・オンマになる。
オンニも・・・覚悟、してっ・・・よぅ・・・。オッパに、キス・・・されれば・・・そこは、オンニの天国・・・
でしょ・・・?オ、オッパ・・・だ、って・・・おんなじ、なんだか、・・・らぁっ!オンニ・・・がっ・・・
キス・・・し、て・・・あ・・げっ・・・・・ひーっくっ・・・・ぅ・・・ぅぅ・・・・っ・・・」
 
「ヌナが、ヒョンにキスしてやれば、間違いなく、ヒョンは天国の住人だ。な?チェギョン?
・・・・ヒョンと、ヌナの陰謀で裸の付き合いをしたことがあっただろう?あの時ヒョンが言ってたぞ。
今の、軟禁状態のような特殊な生活の中で、ヌナが自分を選んでくれても、それはヌナの
本当の意志かも解らない。それが解っていて手を伸ばす自分はズルイのかもしれない。
それでも愛には1つの法則しかなくて、それは愛する人を幸せにすることで・・・・・。
幸せというものは与えられるものではなく、自分自身が幸せだと思えることなのだから
これからヌナが、自分は幸せだと思える日々を、自分の隣で感じてくれるのであれば
一生をこの気持ちに費やす覚悟でヌナの手を取るならば、それでも構わないんじゃないか?
ってな。僕はその時、2人はお互いの片割れなんだから良いんじゃないか?って答えた。
・・・・ヒョンは覚悟をしてる。チェギョンも、僕も、そうした。・・・・ヌナはどうする?」
 
 
シンの胸の中で、もう声にならずにしゃくり上げている子供のようなチェギョンを
愛しげに見下ろして、「張り切っていたのはお前のくせに!」と苦笑気味に額をつつく。
不満そうに見上げるも、流れる涙が止まらないチェギョンに「・・・お前、面白い顔になってるぞ?」
とニヤッと笑うと、予想通りにプッと膨れる頬が堪らなく可愛いとシンは思う。
 
そしてジフもきっと、こんな風にどんなスリョンも愛しくて仕方が無いのだろうと思うのだ。
チェギョンをからかいながら、視線を向けるわけでもなく視界の端に感じる気配に向かって
まるで独り言を呟くように、抜かり無く最後の仕上げに入った。
 
 
「ヒョンの部屋に、緑の表紙の小さな詩集があるはずだ。詩人の名はキム・チュンス。
その中に、『花』 という詩がある。その詩をヒョンは、まるで恋人を見るように愛しそうに読んでいた。
僕は、その詩の中にある眼差しは、ヌナとヒョンが互いを見る時の眼差しだと思う。
読んでみると良い。・・・・・・・・ヌナ、先に行ってくれ。僕達はチェギョンを落ち着かせてから行く。」
 
 
 
 
 
やれることは多分、これで全てだ・・・・・と思う。
言うべき事も、きっと全部言えた・・・・・はずだ。
 
 
 
 
 
お互い以外の為にここまで必死になるのは生まれて初めて、と思えるくらい頑張って
スリョンの説得を試みたが、よくよく考えてみると、普段の自分達には会話らしい会話はあまり無く
思えば相手に伝わる気安さを当然のこととして生きてきた2人にとって、自分達の言葉が
相手にどんな風に伝わるのか?そしてどんな風にその言葉を消化してくれるのか?と
不安に思いながら話すことは、ひどく骨の折れることだった。
 
 
ただ話すこと、意思を伝えることとは全然違うのだ。
分かって欲しい。伝わって欲しい。・・・・そういう願いが込められていたのだから。