「・・・シン君・・・・」
 
「ん?なんだ?」
 
「・・・オンニ、読んで、くれ、る・・・かな?・・ヒクッ・・」
 
「お前、ちゃんと使用人頭のアジュマに頼んだんだろ?」
 
「うん・・・。オッ、パの・・部屋・・の・・、分、かりやす・・っいと、ころに・・・・ヒクッ・・」
 
「置いといて・・・って頼んだんだな?・・・なら大丈夫だろ?・・・それよりお前、泣きすぎだ。
何がそんなに悲しい?ん?チェギョナ?」
 
 
そう問いかけるくせに言葉を求めようとせず、口付けて解を得るやり方は
自分達にしか通じない方法なのだと改めて思えば、それが愛しくてならない。
 
暫くそうしてしまえば、チェギョンの震える横隔膜も自然と凪いでいくのが腕に伝わる感触で判ると
一石二鳥だな・・・・と、まだ止める気の無い甘い交わりの中で、シンは笑みの形に口角を上げる。
 
 
「なるほどな・・・。お前はヌナが幸福の王子とツバメに思えて泣いていたのか・・・・・。
確かにヌナは自己犠牲の化身みたいなところがあるしなぁ・・・・。でもチェギョン、安心しろ。
ヌナが王子なら、ツバメはヒョンだ。ヒョンがあの王子になるとは考えにくいから配役は間違いなく
このパターンのはずだ。あの策士のツバメなら、王子の幸せを考えつつ、王子の気持ちが
収まるべく、アレコレ策を巡らすに違いない。ついでに王子の傍で越冬する方法もしっかり
算段するに決まってる。あのツバメは大好きな者から離れることなんて絶対考えないはずだ。
ヌナはどこかに『自分さえ我慢すれば良い』というようなところがあるが、ヒョンはその真逆。
お互いちょっと行き過ぎている感のある【利 “他” 主義】と【利 “己” 主義】だから
足して2で割れば丁度良くなる。うん。そう考えると、素晴らしいカップルだ!な?そう思うだろ?」
 
 
そう言って微笑んでくれるこの人と自分は、何処を足して2で割ると丁度良くなるのだろうか?
自分では解らないけれど、きっと自分達もそんな風に足したり割ったりして
丁度良くなってるに違いない。そしてシンが言う様に、誰かが言ってくれれば嬉しい。
 
“うん。素晴らしいカップルだ!” と、いつか・・・・・・・。
 
フフフ・・・と、笑い出したチェギョンに、ホッとしたような笑顔になったシンが
「ちょっと待ってろ」と言うと、アトリエを出ていき、戻ってきた時には濡れたハンカチを手にしていた。
ぺトッ!と、ちょっと乱暴にそれをチェギョンの目に当てて、「泣きすぎだ!」と不機嫌そうにぼやく。
いつもそうだ。シンは心配しすぎると不機嫌になるのだ。だからチェギョンはそんなシンが好きだった。
 
 
「シン君。」
 
「なんだっ!」
 
「・・・・うん。素晴らしいカップルだ!」
 
「は?チェギョン、急にどうした?」
 
「・・・いや、とりあえず、自分で言っておこうと思って。フフッ♪」
 
「ハァ・・・・。お前と言い、ヌナと言い・・・・・・。女は難しいな・・・・・。」
 
 
そう言って肩を落としたシンを、ハンカチの隙間から盗み見たチェギョンは
今度はそっと頬を緩ませて、密かに笑うことにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
泣き止んだチェギョンは、保険をかけよう!と言い出して
アトリエの奥から3枚のキャンバスを引っ張り出してきた。
 
 
 
「ヌナの横顔・・・、上手いものだな。・・・こっちは、ヒョンか。・・・・あとのは・・・・」
 
「刺繍の構図を考えていて面白いデザインを思いついたから、絵にしてみたの。
ここの余白に・・・・・・、こうして・・・・え、っと・・・・つぎ、何だっけ?」
 
「 “ 僕がその名前を呼ぶように ” 」
 
「そうそう。で、次は “ この色と香りにふさわしい ” ・・・っと・・・・」
 
 
 
時間が無いぞ、と急かすシンの言葉も聞かずに、真剣な表情で作業に没頭する事、数分。
 
わざと少しクセをつけたハングルを、模様のように書きいれたキャンバスを満足そうに見ると
人物画の2枚と合わせて抱え、トコトコとアトリエを出て行く。
 
そんなチェギョンを、不思議そうに首を捻りながらシンが後を追うと、今度は徐に
離れのリビングとなっている場所に置いてある長椅子のクッションを、全部床に降ろし始めた。
 
益々首を捻って見守っていると、そこに先程の3枚のキャンバスをそっと並べ
シンの隣にトコトコと戻ってクルリと振り向き、その3枚のキャンバスが置かれた長椅子を
うんうんと何度も頷きながらニンマリと笑った。
 
ずっと横目で様子を観察していたシンだったが、フッと表情を綻ばすと小さな肩を抱いて
「うん。素晴らしい出来だ。芸術家先生、写メを撮っても宜しいでしょうか?」とおどけてみると
「ええ、どうぞ?フォトグラファー先生。素敵に撮ってね?」と阿吽の呼吸で返事が返ってきた。
 
「ったく。本当に時間が無いんだぞ?」と苦笑しつつも、シンは丁寧にチェギョンの作品を
スマホのカメラ機能で面白く撮っていく。数枚撮ってから、その出来具合をチェギョンに見せて
ニッコリと微笑み合っていたら、チェギョンがまたしても閃いてしまい、シンは再び苦笑した。
 
 
 
 
 
 
猫足の少々デコラティブな長椅子は、背凭れの部分が緩やかなカーブで
左から右に向かって短くなっている。
 
品の良い生成り色の上質なシルクが張られたその椅子に、色彩があるのは
中央に等間隔に並べられた3枚の絵画だけ。
 
左側に置かれたキャンバスには、薄っすらと口許を笑みの形に綻ばせ
優しく幸せそうな漆黒の瞳が饒舌に何かを語る、透明感のある美しい女性の右側の横顔。
 
その横顔と、中央のキャンバスを挟んで右側に置かれたキャンバスには
琥珀色の瞳を輝かせ、愛しくて仕方の無いものを飽かず愛でているような花美男の左向きの顔。
 
中央のキャンバスには花文字のように踊るハングルと、右下に美しく配された淡桃色の睡蓮が
深い緑の葉の上に品格のある風情で楚々と咲いていた。
 
左右の横顔はその睡蓮の絵を挟んで向かい合う形に配されていたのだ。
 
 
 
 
 
 
「チェギョン。これは僕達のテストじゃないんだが・・・?」
 
「・・・・これは、オンニを見るオッパと、オッパを見るオンニを描いた絵なの。
あの方には、きっとそれが伝わるはずよ。それに、オッパにどんな仲間がいるのかも
テストの重要な要素だって言ったじゃない。私もオッパの仲間の1人なのよ?
シン君はスパイなんだから、ちゃんとこの事も報告すればいいんだってばっ!」
 
「だから、僕はスパイじゃないっ!!!」
 
「はいはい。じゃあ、ジャッジさん。とっととその画像を審判長に送ってくださいな?」
 
「チェギョンッ!!!」
 
「・・・・時間、無いんでしょ?」
 
「チッ・・・・」
 
 
 
メール画面になにやら言葉を付け加えているらしいシンを横目で見ながら
フフフとチェギョンは嬉しそうに笑い、シンは少し照れ臭そうな顔を、プイッと逸らしつつ
「僕だって、ヒョンの仲間なんだ・・・・。」と小さく呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
シンが送信したメールには、花文字と同じ言葉に添えてこうあった。
 
“ この絵は、互いが互いを見つめる 【忘れられない1つの眼差し】 です ”
 
 
 
 
僕がその名前を呼ぶまでは
それはただの ひとつの身振りに過ぎなかった
 
僕がその名前を呼んだ時
それは僕の許へ来て 花になった
 
僕がその名前を呼ぶように
この色と香りにふさわしい名で
誰か 僕を呼んでくれ
 
君の許へ行き 
僕も 君の花になりたい
 
僕達はみんな 何かになりたい
君は僕にとって 僕は君にとって
忘れられない1つの眼差しになりたい
 
 
 
 
踊る花文字には、こう書いてある。
 
あの日、この詩を愛しそうに指でなぞりながら読んでいたジフを思い出す。
 
 
 
届くだろうか? あの日の彼の想いが・・・・・
届いただろうか? あれほど辛い恋を舞った舞人に・・・・・・
 
 
 
届いて欲しい。
 
この眼差しを見続けられることが、みんなで幸せになるということだから。
 
 
 
 
 
 
 
僕[たち]は その名前を呼び合って 家族になった
僕[たち]はみんな どこかが少しずつ欠けている
 
だから 

僕[たち]は 彼女[たち]の 
彼女[たち]は 僕[たち]の 
 
僕[たち]にとって 彼女[たち]にとって
 
 
忘れられない1つの眼差しになれるんだ
 
 
 
 
 
僕とチェギョンしかいなかった世界は、そうやって複数形になった。