刹那、シンは己を悔いた。
 
 
 
あまりにもスリョンを慕うが故に、スリョンの病の事を、それに至った経緯を、大筋とは言えども
3人の友に、3度に渡って繰り返し話す事が、耐えられない辛さに思えて話せずにいたことを・・・。
 
話し忘れていたのでは無く、敢えて話さなかった、という意図的な意思があった事が
尚更に罪深いことのように思えて、己の不甲斐無さに臍(ほぞ)を噛む思いがする。
 
 
 
話すべきだった。
いや、話さねばならない事だったのだ。
 
 
 
スリョン本人が、挨拶の口上に入れてまで病の事を伝えたのは
こうなる事を避けたかったからに他ならない。
 
そんなスリョンの思いを知っていたにも拘(かかわ)らず、スリョンの最も望まない事を
引き起こしてしまったのは自分だと思うと、浅慮で弱虫なガキだと罵り、殴りたくなった。
 
 
 
しかしそんな後悔も、只管に己が腕に抱きしめて、骸のようにクタリと動かない愛しい者に
生気を注ぎ込むように口移しで水を含ませ、語りかけるジフの姿と、
自らがキッカケとなって起きてしまった突然の禍事に怯えきり、ガタガタ震えながら青褪めている
ギョンに意識を戻せば、今は自己憐憫に浸っている場合ではないのだと思い直す。
 
そして、そんなギョンを慰め心配しつつも、同時にスリョンの為に事情を把握しようと
すぐさま動き出したイジョン達の状況判断の早さに、尊敬と頼もしさを感じながら
自身も徐々に冷静さを取り戻す事が出来てきた。
 
シンは、フゥ・・と一つ息を吐くと静かに気持ちを立て直し、後から近寄って来たファン達に
励まされるようにしながら、イジョンやジュンピョの問いかけに、必死に状況の説明をする
ギョンの言葉に何か、この状況を引き起こした手がかりになるものはないか?と考える。
 
対面時はジフやシン達の心配を他所に、恙無く順調なように見えていた。
そしてギョンの言葉の中にも、これといって気になる点は見当たらないように思える。
しかし何かがスリョンを発作に導いたことは確かなのだ・・・・。
 
 
 
それは、何だ?・・・何か、見落としてるのか?

・・・そうなのだ。これからヌナが普通の生活をする為には、その意味を知らなければ・・・
 
 
 
スリョンが倒れたのは自分の責任だと深く反省しているシンは、ジャンディの言葉を聞きながら
今後の対策の為にも、この原因究明は急務なのだと思い至り、1人黙々と思考を彷徨わせる。

そして、徐々にこれまで何度か見てきたスリョンの発作を1つずつ思い返していく。
 
ジフから聞いた、スリョンが言葉を取り戻したきっかけとなったという大きな発作の話まで
記憶を巻戻した時に、今回の事とその時のことが、カチリとシンの頭の中で符合を示す。
 
 
 
男性恐怖症気味だったり、外出に極度の緊張を感じるスリョンは
これまでも何度か発作を起こしてはいる。
しかし、これほどの大きな発作は、シンの知る限りでは今回と話に聞いたものの2回だった。
 
小さな発作が頻繁だった所為で見落としていたが、元々この発作の程度の違いは
何か意味があるんじゃないだろうか?
 
 
2回の発作の共通点、そして小規模な発作と異なる点は・・・・・。
 
 
 
 
 
事件当時と “ 同様 ” の、シチュエーション 又は 人物像・・・・・・なのか???
 
 
 
 
 
「ヒョン。ヌナを襲った奴らの中に眼鏡をかけたのがいたんじゃないか?」
と、問いかけてみると、記憶を辿るような沈黙の後、シンの言葉から何かを理解したようなジフが
シンに向かってフンと、少し面白くなさそうに鼻を鳴らした後、小さく「成る程な・・」と呟いてから
「・・・スリョンを襲った奴らの資料を見た。確かに、眼鏡をかけた奴はいたな。」
と言ってスリョンを抱いたまま立ち上がり、リビングへ行こうと歩き出す。
 
 
ジフに抱き上げられたスリョンのチマが花びらのように揺れる様が蝶の様で美しいと
皆が感嘆の溜息を零す中で、自分の少し後ろを歩くシンに、視線も向けずにジフが言った。
 
 
「シン。気にするな。これはスリョンが・・・スリョンと俺が、必ず開けなきゃいけない扉の1つだ。
これからも沢山ある中のたった1つ。だから、お前は只そこに立ち会っただけだ。
それに、お前のお陰でその扉の幾つかの鍵に気付けたみたいだし?・・・・・・・ありがとな。」
 
 
無意識に俯いていた頭を上げて、驚いて自分を見ているらしいシンの気配を察すると
ジフは、クスリ・・と小さく笑って 「礼と謝罪は、俺達のルール、・・・だよね?」 と・・・・
 
腕の中に抱えている虚ろな目をしたままのスリョンに視線を落として、優しく微笑みながら囁いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
リビングに皆が集まったところで、部屋の隅で居たたまれないような素振りでいるギョンを
チェギョンがニコニコと、シンはボソボソと慰めながら励まし、中央の方まで連れて来た。
 
悪いのはちゃんとスリョンの発作の事を話していなかった自分達であって、ギョンじゃない。
だから本当に気にするな。・・・・そんな内容の事を、不器用ながらも伝えようとするシン。
これまでの9年間の付き合いで一度だって見たことは無かった、シンのそんな姿を見た仲間達も
3人の傍に寄り添うように立って、ギョンを励ましながらも不思議と温かい気持ちになった。
 
チェギョンがフォローのつもりなのか、シンのコンプレックスを冗談めかしてイジり
そうすれば当然のように不機嫌になるシンとの、普段通りの賑やかな掛け合いが始まれば
青褪めていたギョンの頬にも、少しだけ笑顔の兆しが滲み始める。
 
 
 
 
彼等のそんな姿を、友と共に見てフワリと微笑んだジフが、そっと乱れた髪を直し
額にかかる後れ毛を耳にかけてやり・・・と、絶え間無く 愛しげに触れ続けていた花。
 
その花が、フルリと震えて開花を知らせる合図を、ジフの指先に伝えてくる。
 
 
 
 
ニッコリと微笑みながら、静かに開花を見守るジフの目に・・・・・・・
 
 
 
 
段々と光を取り戻していく漆黒の煌く瞳が
まだ青みがかっているものの少しずつ血色を戻して色づき始める頬や唇が
 
とても美しく、そして不思議と懐かしく映って、心が震えるような感動を引き起こす。
 
 
 
 
「おはよう。スリョナ。」
 
 
 
 
ボンヤリと自分を見る美しい瞳に、蕩けるような、嬉しくて仕方の無いような
そして彼女の全てを包み込むような、言葉を尽すよりも尚雄弁な眼差しを注ぎ込む自分が映り
それは漆黒の輝きの中で一瞬揺らめいて、満面の笑みを広げる何とも幸せそうな男になる。
 
その瞳の主は、瞬間、喜びとも受容とも、諦めや哀しみともつかないような
けれどもその全てが含まれるような不思議な表情を浮かべるが、それが何かを男が感じる前に
スッといつもの柔らかい微笑みに塗り替えて、幻のように消してしまった。
 
 
 
 
「おはよう、Jie・・・・。」
 
 
 
 
小さくそう呟いた彼女は、直ぐに常の彼女らしい気遣いのある言葉を発し
自らの目覚めと、その無事を周囲の者達に知らせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
すぐさま走り寄ったシンとチェギョンに、勇気を分けて欲しいと言って手を握ってもらい
その場にいた皆にも聞いて欲しいと言いながら、ジフに横抱きにされたままのスリョンは
ジフを見上げて、あの、幻のような不可思議な眼差しを、ひたりと据えると・・・・・・
開花したその花が、甘く幻惑するような芳香を放つかのごとく、紡ぐ音を空(くう)に放った。
 
 
 
 
 
 
「ジフ。愛しているわ。」
 
 
 
 
 
 
スリョンの小さな左手を、互いの手で包み込むようにして握っていたシンとチェギョンは
スリョンがそう言った一瞬前、グッと自分達の手に力を込めるのを感じていた。
 
 
 
その少し前から・・・・・・
 
この中で、おそらく彼等だけが、スリョンのこの言葉を予感していた。
 
 
 
そして・・・・・
 
この小さな手に込められたものは、きっと、枯樹に華を生すほどの想いだと。
それ程の・・・・・、奇跡のような・・・・・・、互いの真心の開花なのだと。
 
 
 
シンとチェギョンだけが、その後のスリョンの言葉から痛いほどに気付かされ
その華と生った想いの昇華を、仕上げねばならなかった。
 
 
 
 
 
 
言わせねばならなかった。 
そして、伝えねばならなかった。
 
 
 
 
 
 
常日頃、言葉をあまり必要としないからこそ、言の葉の持つ力の強さを知っていたから。
想いを汲むだけでは足りないからこそ、言葉があるのだと、彼らは時折強く感じていたから。
 
 
音となった言の葉には、時として 想い以上の力が宿る。
発した者と 受け取った者の 双方を、その力で 時に縛り、時に解放する。
 
 
 
 
 
 
仕舞いの合図 とばかりに、シンが紡ぐ。
 
「だからあんな舞をしたのか?」  
 
 
 
仕舞いの祝詞 とばかりに、チェギョンが紡ぐ。
 
「もうあの舞はしないでね?オッパが可哀想で見ていられないわ。
愛しているのなら、あんなに悲しい顔をさせてはいけないわ。」 
 
 
 
 
 
 
シンの言葉に導かれて、スリョンの想いは彼女自身の言葉と為って解放され
チェギョンの言葉によって、それら全ての仕舞い(終い)を伝えられる。
 
そのどちらにも、スリョンは不思議な笑みを以って応えたのだ。
 
 
 
あの 【 特別な眼差し 】 と共に・・・・・・・。