「調子はどうですか?それに、いよいよ明日ですが、緊張してないかな?」
 
「・・・はい!大丈夫・・・です?・・・かも?・・・きっと・・・っ?」
 
「ククッ。・・・・・・・・チェ尚宮。人払いを。」
 
 
 
ふうわりと優しく微笑んだ皇太子が、調子はどうだ?と言いながら
毎日のように、許婚の許を訪ねるようになって10日程が経つ。
 
許婚の少女が その度に、ビクゥッ・・と一瞬緊張してから、太子の顔をマジマジと見つめ
フーッと息を1つ吐くと、ニッコリと笑ってその時々の質問に答えるのも、毎日の事だった。
 
そして、直ぐに人払いをして2人きりで過ごされるのも、もう、毎日の事・・・。
 
優秀な尚宮は、皇太子が来そうな時間を予め見計らって既に女官達を退けてはいたが
そんなことはおくびにも出さずに、静かに一礼すると音も無く退出し
それから、皇太子が殿閣の外に出て来るまでずっと、殿の周囲に厳しい視線を巡らす。
 
 
 
(殿の内の事は、決して、見られても、聞かれてもならない。特にあちらの方々には・・・。)
 
 
 
明日の嘉礼(ガレ:結婚式)が済めば
正式に皇太子妃となるチェギョンに付く女官と女性イギサの選定は、
皇后とチェ尚宮が、隅々まで検討して選んだ者達である。
 
ここ、雲峴宮(ウニョングン)の周囲に配置されている、そんな女性イギサの1人と目が合うと
相手は軽く頷いてから、少し右衿を持ち上げて何事かを囁いた。
 
その姿を見ると、ホッと軽く嘆息が漏れるのも、このところの彼女の日課だが
それも今日までかと思えば、少しばかりの感慨を覚えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
聡明な皇后は、息子である皇太子の全てを見通していたし、把握もしていた。
そして今、彼女は息子の為に最大限の事をしようと、水面下で様々に動いている。
この国の皇后としてよりも、1人の息子の母として・・・。
 
それは、息子の切なる願いが何であろうと助けになる、という覚悟だった。
 
その事を主である皇太子に報告した夜、青年はただ「分かった。」とだけ言って
それ以上心の内を語ろうとはしなかった。
 
 
 
(その資質も、才も全て完璧以上に兼ね備えているあの方こそ、天になるべきお方。
本来、人ではなく宮に仕えている私は、これからの宮の安寧の為に
何としてでもその地位を守らせなければならない立場なのは理解している・・・。
でも・・・・。私は、あの方の幼き頃よりのご苦労を、あまりにも多く知ってしまった・・・。)
 
 
 
だから従うしかないのだ。
それがどんな結果を生むものだとしても・・・。
けれども、もしかしたら・・・。
 
 
 
「先帝陛下は、・・・一体、何処まで先を見通されていたのだろうな?」
 
 
 
(ええ、本当に・・・・。)
 
 
 
昨夜、これもまたこの10日程の定例となっている
皇太子とその許婚に関する報告をしていた時
最後にポツリと呟かれた皇后の言葉を思い出して
それに心中で答えながら空を見上げた。
 
 
 
明日は、晴れる・・・。
 
 
 
理知的で硬質な表情を崩さないはずの尚宮が
瞬間フワリ、と優しく微笑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
ブツブツと呟きながらお辞儀をしてみたり
何やら古語らしき言葉を真剣な表情で口にしたり・・・と。
少女は、青年の前で明日の儀式の予行練習に余念が無い。
 
その所作は、若干固さが残るものの、何処の姫君か?と思う程に優雅であり
可愛らしいその雰囲気はそのままに、気品高い洗練された美しさも漂っている。
 
明日、正装でこの姿を初めて見るのではなく、今日の内に見ておいて良かったかも?
などと、思うともなしに思って見ている彼だったが、その表情は得てして不機嫌そうだ。
 
 
 
「シン君様、シン君様!今ので順番合ってますよねっ♪」
 
「・・・違う。」
 
「えっ!?違いましたか?おかしいです。ちゃんと覚えたはずですよ?何処が・・・」
 
「・・っから、お前、何で俺の事、シン君 “様” なんだよっ!!」
 
「ぬ?もしや、違っているのは、“そっち” ですか???」
 
「そうだ!“そっち” だっ!名前で呼べって言ってるのに、何で色々後ろにくっつけるっ!?」
 
「・・・く・・・せ・・・?」
 
「・・・なら、今すぐその “癖” とやらを、治せっ!」
 
「そんなぁぁぁ~~っっ(泣)」
 
「・・・うっ!!・・・わ、分かったから、な、泣くな!・・・・・・な?チェギョン?」
 
「うぅぅぅ~~~っ!!(泣・泣)」
 
「・・・じゃあ、どっちか、ひと・・・つ?」
 
「シン・・・君・・・さ・まっ///!! 無理っ///!! ぜ~~ったいに、無理っ!!・・ですっ///!!
か、か、か、顔から、・・・ひひ、ひ、・・火がぁ~~~~~っ///!?!?」
 
「出てないっ!!! 断じて、出てないから!!! 落ち着けっ!!!
と、取り合えず、ほらっ!・・・お前の好きな、飴玉だっ! よし、口開けろっ!
・・・どうだ?美味いか?(ハァァァ~~ッ・・)  ・・・な、・・・なんか、疲れる・・・。」
 
 
!!!! ビクゥゥ~~~ッッ !!!!
 
 
「ち、違うぞ?お前と一緒は楽しいぞ?ほらっ!笑ってるだろっ??」
 
 
 
得意の皇太子スマイルを見せても
涙が、その大きな瞳に みるみるせり上がってくるのが見える。
 
(こうなっては仕方ない・・・。)とばかりに、青年は思い定めて
明日、自分の妻になるという少女のプックリとした頬を、勢い良く、けれども優しく・・・。
大きな自分の両の手で挟みこむと、そぉーっと、慎重に撫でてやる。
 
 
 
「よしよし。チェギョンはいい子だな。俺はお前のお陰でもう、全然淋しくないぞ?
ありがとな。チェギョン。お爺様の約束をちゃんと守ってくれたんだよな?」
 
 
 
ワレモノを扱うような、大切そうに擦ってくれるその優しい温もりと
演技をしている時の彼とは全然違う、本当は、自分を “俺” と呼ぶその人本来の優しさが
タップリ籠もった声でそう言われると、チェギョンの涙は瞬き1つでポロリと零れた。
 
だけどもその表情は、本当に本当に、心から嬉しそうに笑ってるものだから
それを見つめる青年の表情も、自然と同じように嬉しそうに緩んでいく。
 
 
 
[本物の彼] はぶっきらぼうで、少し照れ屋だから、こんな時はどうにも落ち着かないらしく
そんな自分にハタと気付くと、直ぐにチェギョンから手を離して、プイッと横を向いてしまう。
チェギョンが、「もうちょっと “よしよし” が良いです~!」と言っても、無視!を決め込んだ。
 
チョッピリ恨めしそうに彼を見上げた後、仕方無さそうに嘆息したチェギョンは
窓の外の、冬には遅く、春には少し早い景色に、ツイッと目を遣って
一瞬ひどく大人びた横顔を見せるが、直ぐにいつもの可愛らしい笑顔に戻ると話し出す。
 
泡沫のように浮かんで消えたその表情(かお)に、胸に迫る何かを感じて
シンが口を開くよりも、一拍早く・・・・・。
 
 
 
 
「・・・明日、ほんとはチョッピリ怖いです。でも、きっと頑張ります!
私はシン君様を助けて、味方になって、もう独りじゃないよって、“よしよし” して
一緒に暮らして、今までシン君様が淋しかった分、ずぅーっと、一緒に寝るんです!
だから、明日は負けませんっ♪」
 
「///・・・お前さ、ほんとに明日から、俺と寝る気なのか?
それに、一体誰に勝つつもりなんだ?」
 
「自分に勝ちますっ♪意外と勝率は良いんです♪
・・・え?一緒に寝ちゃ、ダメですか?でも、独りは淋しくないですか?」
 
「・・・お前は実家で、その歳になるまで、誰かと一緒に寝ていたのか?」
 
「自分の部屋で、独りで寝ていましたよ?でも、それとこれとは違います!」
 
「どう、違うんだ?」
 
「お祖父ちゃん様と、ハンコ押して、コピーして、ばっちりコーティングも施した約束です!」
 
「・・・チェギョン。いいか?1つ提案があるんだが・・・・
お前のお爺様には俺が、よくよく感謝しておくから、一緒に寝るのは止めとかないか?
お爺様は天国にいらっしゃるんだから、1つぐらい守れなくても、バレ無いと思うぞ?」
 
「・・・シン君様・・・。そういう考えは、良くないと思いますよ?」
 
 
 
 
ジットリと自分を不振気に睨め付ける、子供のような澄み切った瞳の清らかさに
完敗の白旗を揚げざるを得ない事を自覚しつつ、彼は思う。
 
 
 
(寝るって・・・。本当に、寝るだけ・・・なんだよな?きっと・・・。
俺達は夫婦になるんだから、違う意味の “寝る” があることなんか、知らなそう・・・だよなぁ?
こいつはもしかして、“子供はコウノトリ様が~♪” とか思ってたり・・・してたら、どうすんだよ!?
そもそも俺のこと、男だって解ってんのか???)
 
 
 
 
「解った・・・。取り合えず、明日は一緒に寝てみよう、な?
それで、お互いに色々話し合ってみよう。・・・なんとなく、嫌な予感もするしな・・・。(ハァ・・)」
 
「シン君様っ♪」
 
「・・・ (今度は) なんだ?」
 
「心配ご無用デス♪私、寝言も歯軋りもありません♪
まるで死体のように、動かず眠れる自信もありますっ♪」
 
「・・・うん。助かるよ・・・。」
 
「はい♪それでですね・・・」
 
「まだ・・・何かあるのか?」
 
「はい、あのぉ~///」
 
「(ん?顔が赤くなったか?)・・・なんだよ?」
 
「はい。あのっ!
フツツカモノ デスガ、ドウゾ スエナガク カワイガッテクダサイ!!」
 
「・・・へっっっ///!?!?!?」
 
「だ、ダメですか?」
 
「・・・その言葉は、何処のどなたの、入れ知恵だ?」
 
「??イレヂエ?? 
・・・仰る意味が解りませんが、婚姻前にはそう言うものだと・・・ほら、ここに!」
 
「・・・チェギョン。よく読め。“末永く、宜しくお願いします” だろっ!
お前ってやつは、何でそんな・・・。(ハァ~~)」
 
「シン君様・・・。お疲れですか? “よしよし” 要りますか?」
 
「・・・・じゃ、特別コースで。」
 
「はい♪」
 
 
 
 
 
ふわり・・・
 
柔らかく頭を抱き寄せられ、チェギョンの香りに包まれながら
ゆっくりと目を閉じて、その鼓動を聞く。
 
 
 
 
「よしよし。・・・シン君様は、もう、ひとりぼっちじゃないよ。チェギョンがいるよ。」
 
 
 
 
(・・・やっぱこれ、落ち着く・・・。)
 
 
 
 
ホゥ・・・と、彼の、幾分長めの嘆息が、温かく彼女の胸にかかる。
何故かそれが、くすぐったいくらい嬉しくて、チェギョンはニッコリと微笑んだ。