「じゃあ、明日、お互い頑張ろうな?」と言えば、萎れた花のようにションボリするこいつ・・・。
“らしくない” その雰囲気に(ん?)と足を止め、ジッと見つめていると
いつもよりも幾分弱々しく微笑んで、気にするな、と頭(かぶり)を振ってみせる。
 
 
「・・・どうした?」と問うても、フルフルと首を振って微笑むだけで、何も答えない。
何も無いわけが無いのは、明白だというのに・・・。
 
(・・ったく、意地っ張りめがっ!)
 
ハァ・・と溜息を吐けば、一瞬顔を強張らせて、ビクゥッ・・となるこいつを
(はいはい。お前は俺の溜息が苦手なんだよな?)
と、内心苦笑しつつ、フワリと軽く抱きしめた。
 
 
「どうした?チェギョン。俺と婚姻するのが、嫌になったか?」
 
 
思ったよりも弱々しく響いた自分の声に、俺自身が少し戸惑いながらも
小さな背中をポンポンと叩いてやる。
何かの映画で見た、子供を宥めるシーンを朧に思い出しながら・・・。
 
 
「家に・・・帰りたくなったか?」
 
 
少しだけ低くなった自分の声に、それは嫌だ、と抵抗する俺の本音が垣間見えるようで
チェギョンの前では、何処かガキのようになってしまう自分を自覚する。
 
(困ったものだな・・・。
10日ばかり、1時間にも満たない時間会っていただけだと言うのに・・・。)
 
 
“・・・お前も、俺を置いていくのか?”
 
 
思わず口をついて出そうになった言葉は、寸での処で飲み込まれ
その代わりに、本心とはとても思えない言葉が吐き出される。
 
 
「・・・ここは、愛が無ければとても住めない場所だと母上が言っていた。
明日の婚礼は、今更中止する訳にもいかない。
もし・・・、もし、お前がここでの暮らしはもう無理だ、と思うなら・・・
死にそうなくらい、限界だって、そう思う時が来たら・・・
・・・俺に、そう言え。・・・お前だけでも、ここから、この檻から・・・出してやる。」
 
 
“[離婚] してやる。”
 
 
本当はそう言うつもりだった。
でも、喉に張り付いたように、その言葉は口に出せず
替わりに出てきたのは・・・
 
 
“お前だけでも、この檻から出してやる”
 
 
意味は同じだろ?と思うけれど、多分俺は。
決定的な言葉を避けたんだ。
 
 
 
 
長年、この檻から何としても出て行きたかったのは俺自身。
その為に、今までどんな嫌な思いをしても耐えてきた。
いつかここを出られると思えば、どんな屈辱にも耐えられた。
 
その俺が・・・ 
[お前だけでも] なんて言い出す日が来るとはな?
 
 
(それ程に、この10日ばかりに与えられた [温もり] は
俺にとって特別な時間だったということか・・・。)
 
 
それは、それだけ自分が孤独の中にいた、という事に他ならないが
気付いたところで苦しくなるだけの、そんな思いは気付かぬフリでやり過ごすのが一番だ。
 
自嘲気味に、僅かに息を漏らす程度の嗤いを浮かべる俺は、チェギョンに出会う前の俺。
たかが数日で、それがそんなに過去になるという訳でもないのに忘れていた。
 
 
(きっとこのまま、こいつを手放せば、俺はいつか後悔するのかもしれない・・・。
でもシン。お前は自分の味わった苦しみを、そんな大切な温もりを与えてくれた人に
味わえ、と、共に苦しんでくれ、と、・・・そんなこと言えるのかよ?)
 
 
自問自答で自分の殻に閉じこもるのは、長年独りで生きてきた、俺の [癖]。
チェギョンの [癖] とは大違いだけど、本来 [癖] とはそういうモノなんだろう。
生き様が、環境が、滑稽なほど露見するのが・・・・・・
 
 
 
ふわり・・・
 
 
 
「シン君様。私は、シン君様を独りぼっちには、しませんよ?
大丈夫です。 “もう、独りじゃないよ?チェギョンがいるよ。” ・・・でしょう?」
 
「お前は・・・、チェギョンは・・・、本当に、それで良いのか?大丈夫なのか?
ここは、長年住んでいる俺でも辛いんだ。出来るものなら、今すぐにでも逃げ出したいくらい・・・。
そんな、そんな場所だぞ?お前みたいな純粋なヤツは、直ぐに傷付いてダメになる・・・。
きっと、毎日泣いて暮らすことになる・・・。それでいつか、俺は・・・お前に恨まれる・・・」
 
「・・・ってことは、ありませんので、ご安心ください♪
シン君様・・・、こんなにおっきいのに弱虫君です?私は、こう見えても案外力持ち君なのです。
シン君様に寄りかかられても、・・・ほら、こうして、立っていられます!・・・んぐっ!」
 
 
俺の思考を中断させて、ふわりと俺の背に回されたこいつの手の暖かさと
漸く話し始めたと思ったら、飛び出してきたこいつの言葉に、強がっていた心が折れて
本心が、不安が、次々に俺の口から零れ出す。
 
(そっか、俺、こいつに恨まれるかも?って不安なのか。)
 
と思った瞬間、俺の身体が、こいつの細い腕に突然グッと引っ張られて
バランスを崩した俺は、そのままチェギョンの小さな身体に倒れ込んだ。
 
慌てて押しつぶさないように、右足に力を込めて踏ん張っている俺の耳元で
「ね?すごいでしょう?」 と得意気な、キラキラと明るい声がする。
 
 
(ああ・・・、お前は本当に、スゴイ奴だよ。
一瞬で俺を浮上させるくせに、そんな自分の凄さに気付きもしないところがな?)
 
 
 
「たった今、俺はお前に、身体以上に重い物を乗せているが、確かに潰れないな?ククッ」
 
「???これよりもっと、重いもの????」
 
「ああ、かなり、な。(なんせ、俺の心だ。果てしなく重いと思うぞ?)
どうだ?重くないか?お前、潰れないか?」
 
「今、ですか?」
 
「ああ、今、乗っけてる。」
 
「・・・何が乗ってるのか解りませんが・・・。 でも、大丈夫みたいです♪私、倒れません♪
シン君様を負んぶして、お庭だって走れちゃうと思います♪軽々ですっ♪」
 
「そうか?軽々か?・・・ククッ。・・なら、お前は本当に力持ちなんだな。
俺でもそれを持つのは大変なんだが、お前はスゴイなぁ~。
・・・なぁ、チェギョン、半分・・・お前に持ってもらっても、いいか?」
 
「はい!シン君様をお助けするのが、私のお仕事です♪半分といわず、全部でもいけそうです♪」
 
 
 
 
俺は狡い。
 
 
 
 
それが何かも、どんな意味を持つのかも
ワザと口にせずにお前に [約束] という枷を嵌める。
 
(いつか・・・お前に恨まれるのかもしれないな・・・。)
 
それでも、恨まれても
“お前が欲しい。”
 
そう言ったら、チェギョン・・・。
お前は、許してくれるだろうか?
 
 
 
 
「で?お前、なんでさっき、あんなにしょぼくれてたんだ?」
 
「う゛・・・。笑いませんか?」
 
「わからん。言ってみろ。」
 
「え゛?笑うんですか~~~っ!?!?」
 
「だから、聞いてみないと解らん。皇族は嘘はつけないからな!」
 
「・・・じゃあ、言わない・・・」
 
「・・・言え。」
 
「嫌ですっ!」
 
「・・・言ったら、宮特製、スペシャル・プリンが食後につくぞ?」
 
「え♪ぷ、ぷりん、ですか///??」
 
「お前がそうやって、頬を染めるくらい、美味しいと思うぞ?」
 
「わ、解りました!でも、シン君様、言ったら絶対にプリン、お願いして下さい!」
 
「ああ。約束して印鑑押して、コピー。
・・・ついでにスペシャルコーティング100年保証!で、どうだ?」
 
「はい♪ありがとうございます♪
・・・あのですね?明日被る鬘(カツラ)が、すごーく、重いんだそうです。
1人で歩けないくらい重くて、女官の皆さんにお手伝いしていただいて歩くんだそうです。
・・・だから、困っているんです。目上の方にお会いしたらお辞儀しますよね?
明日はきっと、周りは目上の方だらけですよね?私・・・首を鍛え忘れていたんです!
腕とかは力持ちだけど、首が力持ちか、試した事がないから、解らないんですっ!
お辞儀・・・上手に出来るでしょうか?でも、私が礼を欠くと、シン君様のご迷惑になります。
・・・ハァ・・・。不覚でした・・・・。」
 
「・・・チェギョン。明日は、“絶対に” お辞儀禁止な?」
 
「えっ!!何故ですかっ!?お辞儀は [礼] の、基本中の基本ですっ!」
 
「うん。そうなんだがな?明日だけは特別なんだ。
そもそも、お前は明日俺と婚姻して [皇太子妃] っていう皇族の一員になるんだ。
お前はこの国で皇太后様、皇后様に続いて3番目に偉い女性になる。それは解るな?
うん、でな?多分明日、お前よりも偉い人はいない。大統領でもお前より地位が低いんだ。
もし、お前が道を歩いていてお爺さんにお辞儀されたら吃驚してしまうだろう?
そしてもっと深くお辞儀することになる。違うか?」
 
「違いません。そんなことがあったら、私は地面に擦る程お辞儀して返さねばっ!」
 
「な?大統領に、大勢部下がいる前で、それをさせちゃ、拙くないか?
明日から、お前がお辞儀をした相手は、お前の何倍もお辞儀をして返さないといけなくなるんだ。
お前が [礼] を大事にする子だというのは、俺も、チェ尚宮も、天国のお前のお爺様も
ちゃんと知ってる。だから、・・・我慢してくれないか?」
 
「・・・はい。」
 
 
(お辞儀も自由に出来ない、窮屈な場所なんだな、ここは・・・。)
 
そう思ったら、チェギョンを笑う気にはならなかった。
寧ろ、さっきまでの感情がブリ返して、どうしようもない罪悪感に苛まれる。
 
 
「私は・・・、シン君様の足を引っ張らないでしょうか?
庶民のお妃様は初めて・・・なんですよね?ば・・・馬鹿にされたり、そういうことは・・・」
 
「もしかして、お前、あの時の事気にしてるのか?」
 
「・・・・・」
 
「馬鹿だなぁ?そう言うことは、そんなに泣きべそをかくくらい悩む前にちゃんと言えよ。
俺は自慢じゃないが、今までずっと独りだったから、自分の気持ちを誰かに見せるのも
誰かの気持ちを思い遣るのも、殆ど経験が無い。努力はするが、取りこぼす事も多いだろう。
だからお前は俺を助けてくれないか?お前の思うことを、いつも俺に話してくれ。
どんな事でもいいぞ?文句でも愚痴でも、俺の悪口だって構わない。人の気持ちを教えてくれ。」
 
「・・・じゃあ、私は、シン君様の守護天使で、お、奥さん、で、先生ですか?」
 
「途中ドモったのが気に入らないが、そういうことだ。だから、自信持て!
因みに、馬鹿にされてるのも元々だ。 [僕] の俺はそういう奴だからな。お前の所為じゃない。
言ったろう?そのほうが都合良いからそうしてるんだって。
だから俺は馬鹿にされるほうが良いんだ。
・・・でも、お前はそんな [僕] の妻になるのは、嫌か?恥ずかしいか?」
 
「いいえ!全然っ!恥ずかしくなんかありませんっ!」
 
「チェギョン、俺も同じだよ。お前が何を言われても、何をしても
俺もお前の夫であることを、恥ずかしいとは思わない。・・・寧ろ自慢だ!(笑)」
 
「???」
 
「お前は、民間からの初めてのお妃様で、俺は、民間出の御妃を持つ初めての皇太子だ。
俺達は絶対に、この長い皇室の歴史に名を残すぞっ!(笑) 100年後もな? (笑)」
 
「シン君様・・・それってなにやら素敵な響きですね?」
 
「うん、なにやら素敵な響きだろ?」
 
 
 
はい♪とニッコリ笑っていつもの元気を取り戻したチェギョンの頭をポンポンと軽く叩いて
今度こそ 「また明日な。」 と、部屋を後にする。
 
目の合った腹心の尚宮に、「あの時の事を気に病んでいる。一層の注意をしてくれ。」と
頼み置いてから、薄暗くなった早春の宵を自分の殿に向かって歩き出す。
 
 
知らず、剣呑な光をその目に宿していた ―――― 。