女性イギサの1人が寄り添う皇太后を先頭に
シンとチェギョンは、互いの手を取り合いながら後に続く。
 
チェギョンは、白い野花の小さな花束を左手で持ち
シンは、大きなバスケットを右手にぶら下げて
 
神様が通る道を踏まぬよう、少しだけ先を行くシンの身体は
左手の先にある妻のほうへと、斜めに傾いで些か歩き難そうだというのに
何度も何度も振り返って妻を見る顔は、とても幸せそうに、楽しそうに見える。
 
 
 
聖域ゆえ、言葉を交わすことは極力控えなければならない。
 
 
 
けれどもそんなことは、きっと彼にとっては些細なことで・・・。
 
時折絡み合う視線と、交し合う微笑み、繋がれた手からは分かち合う温もり。
これだけでも十分なのだと、彼の明るい表情は物語る。
 
それすらも与えられずに、木偶(でく)のように過ごした少年の面影はもう無い。
今はただ、手に入れたものを享受し、守り抜く決意を秘めた美しい青年がいるだけだ。
 
 
 
長身の、黒いニット帽を目深に被り、黒縁の眼鏡に秀麗な顔を隠した青年は
細身の黒のライダースジャケットに、ブラックジーンズをブーツインした格好で
これといって特段目立つわけでもない、普通の若者と何処も変わらない服装であるのに
素晴らしく優雅で、近寄り難いまでの高貴な存在感が、見る者を力強く圧倒する。
 
 
 
その、恵まれた伸びやかな体躯の所為なのだろうか?
 
 
 
いやおそらくは・・・
これこそが彼本来の持つ [天の子] としての資質なのかも知れない。
宝珠を手にした龍は最早、その姿を霞みに隠すことは出来ないのだろう。
 
龍(ロン)は、王の象徴ではあるが、今、ここに立つ若き龍はただの龍ではなかった。
龍の王は5本の指を持ち、手には宝珠を携え、天翔けるのだ。
 
[五爪の龍] は、古より [皇帝の龍] であると決まっている ――― 。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それが乙女の夢なら、これは男のロマンなんだっ!!!」
 
 
ファーストキスの話には、何とか決着がついたと思った頃合いに
「ところでこれは何ですか?」と、チェギョンが涙目でシンの目の前に左手を突き出して
ポヤンと聞くから、今度こそは!と胸を張って「結婚指輪だ♪」と答えたら
新婚初日の朝は、2度目のカオスに飲み込まれた・・・・。
 
結婚指輪を、知らない間に嵌められるのは、[乙女の夢・その2] に反すると言うチェギョンに
「だったら、結婚初夜に夫に噛み付いて、それからサッサと寝てしまう妻はどうなんだ??」
・・・とは、思っても言えないシン。
 
 
(これも惚れた弱みなのだろうか?・・・こいつの涙目がもう、可愛くて仕方が無い・・・///。
もっと泣かせたい気もするし、だけどそれも可哀想だし・・・。ハァ・・・。俺は、変態か?)
 
 
ブルブルッと大きく頭を振って、奇妙な発想を吹き飛ばしてから
むずがるチェギョンを膝の上に抱き上げて抱えると、自分の左手の上に、彼女の左手を置いて
時折その指を絡めながら丁寧に話して聞かせた。
 
 
 
この指輪を選んだ経緯、それからそれを渡すのを悩んでいたこと。
そして・・・裏に刻んだシンの真摯な想いのことも・・・・。
 
 
 
次第に、チェギョンの瞳には不満の色とは別の色が宿り始め
ジィーッと自分の指に嵌められた指輪を、微動だにせず見つめ始めた。
 
それを優しい目で見ているシンの内心は、[乙女の夢カオス] からの
無事の生還への安堵で一杯だったのに、その安堵は次の言葉で脆くも崩れ去る。
 
 
 
「シン君様。そんな・・・、そんな、大切なものを・・・
どーーーして寝とぼけている私なんかに嵌めちゃったんですかっ!! 」
 
「え?」
 
「だって、覚えていたいです。明日も1年後も、ハルモニになっても・・・。
この指輪を頂いた時の気持ちを、シン君様のお顔を、ずっとずっと、覚えていたかったです・・・。」
 
「・・・チェギョン・・・?」
 
「なーのーにー、なーぜー!?!?!?・・・ウッ、ワァァァーーーーーンッッ!!!(号泣)
私は一生、この指輪を見るたびに、シン君様の手に残る、見に覚えの無い自分の歯型の痕と
空前絶後の、お、お、大人のキス、カッコ不意打ち、を思い出すんですぅぅぅぅぅ~~~~!!」
 
 
 
・・・カオス、再び・・・。
 
 
(それに、なんなんだよ?その、カッコ不意打ち、(不意打ち)っていうのはっ!!!)
 
でもっての、男のロマン発言に至った訳だが、確かにチェギョンの言い分にも一理ある。
やはりこういうものは婚姻の夜に渡すべきだと思っていたが、それは通常の場合であって
花嫁が寝落ちしてしまった後などでは無い筈・・・。
 
 
 
「よし。解ったチェギョン。ちゃんとやり直そう。」
 
「・・・ズビッ・・・。」
 
「お前・・・鼻水で返事するなよ?」
 
「・・・ズズビッ・・・。」
 
「・・・チーン、しろ。ほら。」
 
「ズズッ・・バ、ズビッ///!!??」
 
「焦るな。照れるな。仰け反るな。・・・ほら、いいから、チーン!」
 
・・・チ、チーン・・・? ・・///
 
「もっと、ちゃんと。」
 
・・・チ、・・・チーーーーーーーーーンッッ!!!
 
「はい、よく出来ました。息、出来るか?苦しくないか?」
 
こくこく ・・・///
 
「ちゃんと、しっかり、一生、俺達の記憶に残るような、指輪の交換の仕切り直しだ。
今日は忙しいぞ。大丈夫か?昨日の今日だけど、疲れてないか?」
 
こくこく
 
 
 
 
 
 
ギュッ・・・
 
 
 
 
 
 
今朝方、鼻水と涙でグチャグチャの妻にしたのと同じように
腕を引き寄せて、その小さな体を抱き寄せた。
 
 
「着いたぞ。チェギョン。
今から・・・・、お祖父様の前で、俺達の婚礼を挙げるぞ。」
 
?????
 
「昨日は、皇太子と皇太子妃の婚姻の儀だったが
今日は俺とお前、イ・シンとシン・チェギョンの婚礼だ。
まぁ・・こちらは随分と質素だが、俺は正直言ってこういう方が気楽で好きなんだ。
でも・・・、乙女の夢的には、これはナシか?ん?どうだ?」
 
「・・・男のロマン的には、如何ですか?」
 
「そっちは問題無い。寧ろ、直球ど真ん中だ。(笑)」
 
「乙女の夢的にも、ど真ん中です!ドラの音まで聞こえますっ!(泣)」
 
 
 
バスケットを地面に置いて、泣き出した幼い妻の体をしっかりと両手で抱きしめる。
小刻みに震える背を、優しく擦ってやりながら、「そうか、それなら良かった。」と
低く温かみのある声で、シンはそっと囁いた。 
 
 
 
とても・・・、とても嬉しそうに・・・。
 
 
 
「なら、何故泣く?ん?・・・ほら、チェギョン。笑え。
お祖父様に、可愛いお前を自慢したいんだ。・・・男のロマンに協力してくれ。な?」
 
こくん
 
「ちーん、は?」
 
ふるふる
 
「遠慮するなよ?ティッシュなら、沢山持ってきたんだ。
お前はよく泣くから、これからの俺の必需品になりそうだな?
これも妻帯者の務めの1つか?フフッ。」
 
ぷぅっ
 
「ククッ。話さずとも会話が出来るなんて、お前は器用だな?」
 
 
 
そう言うと、不意に顔をあげて自分付きのイギサに目配せをしたシン。
 
直ぐに1人のイギサが近寄ってきて小さな袋をシンに手渡すと
また定位置まで戻っていった。
 
抱いていたチェギョンの身体を一歩分離して、彼女の被っていた帽子を取り去ると
袋の中から取り出したものを、フワリと頭から被せてやった。
 
 
 
「さぁ、可愛い花嫁さんの出来上がりだ。」
 
 
 
自らの摘んだ野花の小さなブーケを手に持ち
白いレースのベールを被っただけの、質素な花嫁。
 
彼女のブーケから、小さな花を1輪抜き取って
胸のポケットに飾っただけの新郎が、彼女の隣に並ぶと腕を折り曲げて待つ。
 
 
 
昨日の華麗で豪奢な、全国民が目にしたであろう世紀のウエディングを挙げた2人とは
とても思えない程ささやかで、慎ましい装いの花婿と花嫁だった。
 
しかし2人の表情は、昨日の何倍も輝いて幸せそうで・・・。
 
 
 
「チェギョン。そのベールは母上から、お前へのプレゼントだ。
いつかお前に着させてやって欲しいと、それこそ 乙女の夢、なのか?
母上から婚礼前に預かっていたんだ。皇族の婚礼にはウエディングドレスは無いから、と。
まさかベールだけ使われるとは思っていなかっただろうが、ドレスはまたいつか着せてやる。
お前もウエディングドレスを着たかったかもしれないが、今日はこれだけで、我慢してくれるか?」
 
!!!!!
 
「お婆様、これから僕達は お祖父様の前で婚礼を挙げます。
お婆様とお祖父様のデートは、今しばらく我慢して下さい。(笑)」
 
「はいはい。年寄りの時間は沢山ありますから、気にしないで良いですよ♪
ところでその婚礼には、私も参列していいのでしょうね?クスッ」
 
「「 はい!勿論です! 」」
 
 
 
 
 
シンの腕に、チェギョンの手が通される。
 
一歩、そしてもう一歩・・・
 
2人だけの結婚式が始まった。
 
 
 
音楽は草木の風に揺れる音と、時折聞こえる鳥の声。
 
バージンロードは、これまで歩いてきた石畳の参道。
 
参列者は、シンの祖母と、数名のイギサ、それからきっと・・・
空に溶けるように飛んでいる、光や、温もりや、水や、風の精霊たち。
 
 
 
2人の進み行く先には、
2人の縁を切れない赤い糸で互いの足首に
しっかりと結んだ [月下老人] がいた。
 
 
 
見えるだろうか?
 
老仙は2人。
 
 
 
彼らは互いの孫を、愛しそうに嬉しそうに見つめている。