「すまないが、お婆様のところに付き合ってくれないか?」
 
 
チェギョンの顔を見て冷静になると
さっきまでのドロドロした自分が嘘のようにスッキリしていた。
 
しかし自分には、あんな一面があるということを はっきりと自覚した良い機会だったと思う。
 
 
 
(結婚した以上は気をつけなければいけない俺の悪い癖だ。
下手をすると、チェギョンを傷付けかねない・・・ハァ・・・)
 
 
 
昨夜のように、噛み付かれて怒られるならまだ良い。
猜疑心に凝り固まった自分の、マインドコントロールにも似た異常な思考回路を
もろに妻にぶつければ、彼女の優しい心は粉々に砕け散ってしまう事だってあるかもしれない。
 
 
 
昔、食事の事や折檻の件で両親にSOSを出そうとすると
いち早くそれを察して、先回りして自分の言葉の信憑性を疑うように仕向けた尚宮達がいた。
 
拙い言葉しか思いつかない子供の自分と違って、彼女達の物言いは実に巧妙で隙が無かった。
 
 
 
“ 独りでいるのが寂しいのだろう ” 
“ だから、注目を浴びたくて大袈裟に言うのだろう ”
 
 
 
おそらく両親や祖父母はそう思ったんじゃないだろうか?
決して悪意を持って疑った訳ではないけれど
子供特有の、屈折した甘え方の1つくらいには思われていたような気がする。
 
自分の言うことが信じてもらえず、軽く扱われていなされた経験は
幼い頃の自分の心を酷く傷つけ、何度かそういう経験を繰り返すうちに
段々と大人を信用しなくなっていったという経緯があった。
 
親でさえも、祖父母でさえも、自分の味方だとは思えない。
そもそも自分の生活空間に、[敵] だの [味方] だのが存在する異常さ。
 
 
 
(それがこの宮なんだ・・・。)
 
 
 
そんな場所にうっかり舞い降りてしまったチェギョンには
元来、味方と呼べるのは夫である [俺] という存在しかいないんだ。
 
その [俺] に、人を疑う癖があって、度々そんな感情をぶつけたらこいつはどうなる?
 
 
 
(間違いなく、あの時の俺以上に、壊れる・・・よな・・・。)
 
 
 
チェ尚宮に皇太后様へ至急面会したい旨を伝えに行かせ、ついでに人払いした。
彼女のいた皇太子妃の部屋から自分の部屋へと移動して、ソファに座らせると
俺は棚に並んでいる数枚しかない写真の中から、目当てのものを選び取るとそれを持って
チェギョンの前に行き、彼女の両手を自分のそれで包み込むようにしながら跪いた。
 
 
 
「チェギョン、これがアルフレッドだ。お前のと一緒か?」
 
「・・・っ!! ・・・は、い・・・。」
 
「・・・・。なぁ、チェギョン。怒らないで聞いてくれよ?
俺は、・・・ホンの少し前に、・・・お前の事を疑ってしまったんだ。」
 
?????
 
「あの火事で俺を・・・、いや、俺達を助けてくれたイギサは
今もこの宮で、内官として働いているんだが、彼に当時の事を詳しく聞いた。
でも俺は、やっぱり何も思い出せなかった。」
 
 
 
ジッと彼女の目を見ながら話し出した俺の前で
瞬間、チェギョンの顔に浮かんだのは、俺を案じるような、心配そうな顔だった。
 
その顔に訳もなくホッとして、この心優しい女を
俺の あの澱みきった、獣の心そのものの鋭い爪で切り裂いてしまわなくて
本当に良かった・・・と、心底思った。
 
 
 
「その顔は、放火の事を気遣ってくれているのか?もしそうなら、心配は無用だ。
俺の子供時代の話は少ししただろう?
・・・放火だったと聞いても納得出来る。そんな日々だったんだ。
それにそれくらいの予想はついていた。だから俺が気になったのはそこじゃなかった。
お前が当時の事を覚えていたのか?覚えていたならば、何故俺に話してくれなかったのか?」
 
「シン君、様?」
 
「フフッ。これをお前に理解してもらえるように話すのは少し難しいんだ。
俺は今まで自分の感情を他人に説明した事が無い。ずっと独りだったしその必要が無かった。
だから、自分の思うことを言葉にするのは初心者なんだ。それでいて・・・、妙な事は得意でな?
人の心を疑う事は天才的に上手いんだ。・・・最悪なヤツだろう?
俺は・・・、誰かを心から信じたことが無いんだ・・・・。
お前に出会うまで、そんな自分をオカシイと思ったことすらない。
・・・俺は、何処かが壊れてるのかもしれない。そんな自分が怖いと、今、少し怯えてる・・・。
お前を本当に愛してるって想うのに、そんなお前さえ簡単に疑ってしまう俺は
チェギョン、お前の心を傷つけるだけの存在なんじゃないだろうか?」
 
 
 
火事の経緯から、お婆様のところへ聞きに行くことを話そうと思っていたのに
チェギョンの顔を見て、彼女の手の温もりを感じて、俺の口から飛び出したのは
自分でも意識していなかった、俺という人間に対する根源的な不安だった。
 
 
 
チェギョンという光に照らされることで温もりを知った代償に
俺は、自分自身の心の醜さや、その闇の深さに気付かされて、怯えていたんだ・・・・。
 
合房の前に感じた惑いは、皇太子がどうとか、そういうことじゃなかったのかもしれない。
 
チェギョンを得る事で、彼女によって醜い自分を見せ付けられるだろう事に
言い知れない不安を感じていたのかもしれない。
 
だから・・・チェギョンを疑って、貶める事で、それを嫌だと思いながらも、心のどこかでは
こいつも所詮俺と同じ汚い感情のある人間なんだと、彼女の心を穢す事で安堵したかった?
 
 
 
(本当に・・・何処までも救いようが無い男なんだな・・・。俺ってヤツは・・・。)
 
 
 
自分を、自分の心を守る為に
天使の羽を毟って・・・、引き千切って・・・。
 
地に落とそうとしていたのか・・・?
 
 
 
「大丈夫です♪ シン君様は、チョッピリ物忘れをしているだけです♪
・・・ハァ・・・。やっぱりお婆様は年の功です。私は間違っていました。
シン君様にとって辛い過去ならば、思い出さないほうが良いと思ったのは浅慮でしたね?」
 
「は?ちょっと待て。・・・チェギョン?話が全然見えないんだが?」
 
「うーん・・・。あのですね、私も今日知ったことが多すぎて、頭の中で纏まっていないのです。
でも簡単に言うと、私には初恋の殿方が居りまして、ずっとその方は火事で亡くなったのだと
そう思っていたのです。その方のお嫁さんになるってお約束した日に居なくなってしまって・・・。
もう恋は一生出来ないんじゃないか?その方以上には想えないんじゃないか?と思っていました。
そうしたら、旦那様として目の前に現れた方がその方でして・・・って、シン君様?
なにやらお顔が奇妙な事に・・・???私の説明は、やっぱり解り難いですか?」
 
「・・・いや。ある意味非常に解り易い。
チェギョン、大事な事を1つだけ聞くから、正直に答えろ。いいなっ!!!」
 
「は?あの?・・・し、シン君様?なにか、怒ってらっしゃいますか?」
 
「いや、まだ今のところ大丈夫だ。・・・が、今後の保証は俺にも出来ん。・・・でだ。
お前、俺とその火事で死んだと思ってたガキが [同一人物] だって気付いたのは何時だ?」
 
「今日です♪上皇陛下様の御陵で突風からシン君様が守って下さった時です♪」
 
「・・・だからあの時、火傷は在るかと聞いたのか?」
 
「はい♪あだむさまは私を庇って下さった時に、背中に怪我をなさったと思うのです。
だからずっと、私の所為であだむさまは亡くなられてしまったのだと・・・・グスッ。」
 
「泣くな。それが、そのお前の言うあだむさまってヤツが、俺だったんだな?
(何だ?そのオカシナあだ名は???)・・・だったら、泣かなくても良いだろう?な?」
 
「そ、そうでしたっ!私、本当に本当に、あだむさまのことが好きで
お嫁さんになるって約束もしましたのに、シン君様に嫁ぐと知ったら
あだむさまは悲しまれるか?とか、私を憎まれるだろうか?とか・・・
それでも、憎まれても良いから生きていて下されば・・・とか・・・もう、一杯一杯で・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 
 
・・・面白くない。
 
 
 
ひっじょーーーーーーーに、面白くない。
 
 
 
チェギョンは、あの時まで俺とそのあだむとかいうガキが同一人物だと知らなかったらしい。
という事は、だ。・・・こいつは、他の男を想いながら、俺に嫁いだってことになるわけだ。
 
そいつはチェギョンを庇って死んだ事になっているらしいし
どうやらその時に結婚の約束を交わしたらしい。
 
・・・もしも、そいつが俺とは別人で、しかもそいつが生きていたとしたら・・・???
 
 
 
・・・俄然、面白くないっっ!!!!!!
 
 
 
「チェギョン・・・・。お前、何で俺と婚姻した?」
 
「へ?」
 
「へ?じゃない。お前は俺とそのあだむとかいうガキが別人だと思っていたんだよな?
そしてそいつの事がずっと、ずぅぅぅ~~~~~っと、忘れられず・・・・しかも、だ。
(あろうことかっ!) 好きだったんだよな?俺じゃなくて、[あだむ] のことをっ!!!」
 
??????
 
「・・・絶対に、思い出してやるっ!!!!
(何だかよく解らんが、どうにも許せんっ!!!)」
 
「はい♪その方が良いみたいです♪
シン君様は、生まれてから一度も人を信じたことのない、そんな人ではありません♪
だから “壊れてもいません” よ♪ 私が、[いぶ] が、その事を証明いたします♪」
 
「チェギョン・・・、お前・・・?」
 
「人間は群れで生きる生き物です。犬や狼、猿とかと同じで・・・。
群れで生きる生き物は独りで生きられないから、群れを作ります。
でも、時には何らかの事情があって、はぐれてしまうことがありますよね?
そうすると、いつもビクビク怯えて、誰も信じられなくなります。
それはきっと、生存本能のようなモノだと思うんです。特に沢山沢山苛められた事のある子は
撫でてあげようと思って差し出された手に怯え、恐怖の余りに噛み付きます。
ご飯をあげても、見ている時には食べてくれなかったりします。
一杯一杯時間をかけて、タップリ愛情を注いで、やっとこの人は敵じゃなくて味方なんだって
そう思ったら、今度はすごーーーーく甘えん坊になるんです♪可愛いです♪」
 
「・・・お前、そんな経験があるような、妙に生々しい口振りだが・・・
その果てしない慈愛の精神で、どっかの孤独な男を懐かせたりしたんじゃないだろうな?」
 
「???、男、と言えば男ですが、あれは・・・「な、なんだってっ!?」 
し、シン君様???どうなさったんですか?急に大声を出して???」
 
「・・・何処のどいつなんだっ!!その、お前に懐いて
すごーーーく甘えん坊になったというヤツはっっ!!!」
 
「何処のどいつ・・・。そうですね、公園でポツンと雨に打たれていた子だったので
何処の子かはわかりませんが、私のつけた名前は [アダム] です♪」
 
「ななな、名前をつけただと???・・・しかも、アダムだぁ~~~???」
 
「はい♪すごーく可愛いんです♪入宮する時に別れるのが辛くて
一晩中抱っこして寝たんですぅ~~~。ハァ・・・アダムの事を思い出すと涙が・・・」
 
「出すなっ!勿体無いっ!俺の為以外で、お前が泣くのは金輪際禁止だっ!!
・・・というか、なんだってっ!?お前、入宮前にそいつと同衾したのかっ!?
おおおお、お前、独りで寝てるって・・・あれは、嘘だったのかっ!?!?」
 
「ああ、アダムとはいつも一緒に寝てましたよ?夏はちょっと鬱陶しいですが
冬はポカポカで湯たんぽみたいだったんです♪」
 
「・・・お前の親は、未婚の娘が男と寝ても何も言わない親なのか?」
 
「そうですねぇ・・。ベッドが汚れるのでマメにお風呂に入れてやれとは・・・」
 
「風呂・・・・??? ベッドが汚れる・・・???
・・・・ダメだ。俺、目眩がしてきた・・・。」
 
「シン君様??だだだ、大丈夫ですか???」
 
「・・・大丈夫じゃない・・・。」
 
「新行で、シン君様もアダムに会ってあげて下さいね♪
それで、一緒に寝ましょうねっ♪」
 
 
 
 
 
!?!?!?!?