再会の喜びもそこそこに、取り敢えずは家に入ろうという事になって
一同は、リビングへと向かった。
 
 
 
チェギョンから一般家庭への訪問方法を教わっていたので
玄関では靴を脱ぐこともスムーズに出来たシン。
 
お手本代わりに先に靴を脱いでいたチェギョンが、ピースサインをしてくれたのが嬉しくて
可愛い妻にニッコリと微笑みかけると同時に、当たり前のように手を繋いで廊下を歩く。
 
キョロキョロと珍しそうに周囲を見ながら歩くシンに、チェギョンはあれこれと説明をする。
すると、長身のシンがその都度立ち止まり、チェギョンのほうに身体を傾いで
彼女の話をよく聞こうと耳を近づけ、聞き終わると今度は彼が何かを質問する。
チェギョンは小首を傾げたり、振り向いて両親に確かめたりしてから、シンに答える。
感心したり驚いたりする顔も素直に見せて、ニコニコと楽しそうにするシンは
時折気遣うようにナムギル達にも声をかけて、少しでも彼等の緊張を解そうとする。
 
 
 
淡いベビーピンクのスーツ姿のチェギョンはとても気品があって可愛らしく
グレーのスーツのタイを妻とお揃いの色で合わせたシンは、優雅で凛々しく
2人は、とてもよく似合いの仲の良い新婚夫婦そのものに見える。
 
この姿を目の当たりにした、ナムギルもスンレも、そしてチェギョンの弟チェジュンも
泣きたくなるような安堵を覚え、この婚姻は決してチェギョンにとって
不幸なものでも、辛いだけのものでも無かったのだと確信した。
 
 
 
 
 
 
あの婚礼の儀式の時の皇太子の言葉に、ほんのりと灯った希望の光は
今や照り輝いて、ハッキリと自分達の目の前で幸せそうな光彩を放っている ――― 。
 
 
 
 
 
 
古いけれども大事に使われているのがよく解る、磨きこまれた柱や床が印象的な廊下を
少し歩くとリビングがあり、その奥はダイニングらしく、キッチンはそこからは見えない。
 
自分達で作ったのだろうか?少し不恰好な椅子が並ぶ食卓の上には
ポットと幾つかのマグ、それとスティック状の何かが色とりどりに差し込まれたグラスが
端に寄せられて並んでおり、中央には果物を盛ったカゴが置いてあった。
 
リビングのソファセットは大きいけれども、相当に傷んでいる事が見て取れるが
手作りらしい温かみが感じられるカバーが掛けられ、揃いのクッションも心地良さそうだ。
 
リビングの脇にはサンルームのような、ガラス張りの、ちょっとしたスペースがあって
そこから降り注いでくる陽光が、心和ませる柔らかな雰囲気を演出している。
 
 
 
(ここが、チェギョンが育った家・・・・)
 
 
 
シンはとても感慨深くそれらを見て、そして静かに納得していた。
 
適度な生活感は人に安らぎをもたらすのだろうか?
 
僅かに雑然としたイメージのある室内に身を置くと
無意識のうちに、ホッと嘆息して肩の力が抜けていくのが解る。
 
決して不快ではなく、寧ろ懐かしさに似た何か安らいだ気持ちになって
ゆったりと落ち着くような気がするのが、少し不思議だったのだが
この家の印象は何処もかしこもチェギョンに似ていることに気付いたのだ。
 
 
 
見栄を張らず在るがままに存在し、そして相手も在るがままに受け入れる・・・
 
 
 
それはシンにとって、愛する妻の美点の1つだったので
それと共通する印象を与えるこの古い屋敷を、シンは直ぐに気にいったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
3人掛けには少し広い長さのソファの両側に、1人掛けのゆったりとしたものが其々置かれ
いわゆるコの字型の配置になっているリビングで、皆は一瞬お互いの顔を見合わせた。
 
長いソファにシンとチェギョンを座らせて、ナムギルとスンレが両側を・・・と
差配し始めた両親に、チェジュンが「俺は床に座るのかよ!?」と文句を言い出す。
 
 
 
それを聞いて少し考えるように顎に手を当てていたシンが、徐にチェギョンを連れて
1人掛けのソファの方につかつかと歩み寄ると、ストンと自分が腰掛けてから
グイッとチェギョンの身体を引っ張って、自分の膝の上に乗せてしまった。
 
何が何だか解らずに固まるチェギョンだったが、呆然とする自分の家族の顔を見て
正気に戻ったらしく、慌ててシンの膝から脱出しようと、モゾモゾと もがき出した。
 
そんな事は想定内だと言わんばかりに、チェギョンの腰に巻き付けるように腕を回したシンは
チェギョンの耳元で 「俺を独りにしないって・・・、あれは嘘か?」と囁いた。
 
それとこれとは・・と抗議をしようとシンの顔を振り仰いだチェギョンは
悪戯っ子のように笑う夫の表情に小さな緊張の影を見つけると、
突然フンワリと彼の頭を自分の胸に抱きしめ、サラサラ心地の良い彼の黒髪を撫でながら
「そうでした。うっかりしてました。大丈夫です、シン君様。私がお傍にいます。」 と囁き返した。
 
 
 
驚いたのはシンの方だった。
 
 
 
もっと恥ずかしがって暴れるか、もしかすると怒り出すかも?と予想していたのに
チェギョンが自分の中にあった、緊張や不安の欠片を見つけてしまうとは思わなかった。
 
(参ったな・・・)と思いつつも、彼の頭はフッと力を抜いて、妻の胸に自然に凭れ込み
抱きしめているのか、それとも抱かれているか定まらない状況に・・・・・刻を忘れた。
 
 
 
 
 
「ウ、オホンッ!///」
 
 
 
 
 
一瞬2人だけの世界に入り込んでいたシンとチェギョンは
焦ったようにお互いの身体を少し離すが、チェギョンはシンの膝の上から降りようとはせず
シンもまた、チェギョンの腰に回した腕を解こうとはしなかった。
 
 
 
「・・・フッ、アハハ、ハハッ!あなた、それじゃあ、私達がここに座りましょう!
チェジュンはそっちに座りなさい。いいわね?私はお茶の仕度をしてくるから・・・・」
 
 
 
愛娘のそんな姿を見たくなかったと、若干不機嫌になりながらも
照れ臭そうに頬を赤らめる夫と、ソックリな仕草でオロオロとうろたえる息子に向かって
“母は強し” そのもののスンレが明るく笑い飛ばして指示を出し始め
その良く通る晴れ晴れとした声で、場の空気がガラリと変わった、その時・・・・。
 
 
 
「あの、お義母上、その前にお話があります。どうかお義父上の隣にお座りください。」
 
 
 
そう言って膝の上のチェギョンと一緒に立ち上がった皇太子殿下に
さっきまでとはまた別の空気を感じて、シン家の面々は、今日何度目かの緊張に包まれた。
 
 
 
 
 
 
 “ チェギョンの実家にいる間は、シンはこの国の皇太子殿下ではなく
   シン・チェギョンの夫である、19歳の高校生イ・シンとして過ごそう。 ”
 
 
 
 
 
 
昨夜のうちに2人で相談して、そんなルールを決めていた。
 
だから対面の挨拶の時も 2人は口を揃えて、チェギョンの両親にその旨を伝え
皇太子殿下ではなくて名前で呼んで欲しいとシンが言い出した時には
ナムギル達を随分驚かせたのだが、彼らが本当に驚くのはこれからだった。
 
 
 
 
 
 
「チェギョンのご両親は私にとっても大切な両親です。
挨拶が後先になってしまいましたが
これからは子として [孝] を尽くさせてください。」
 
 
と、シンが言葉を発すると、隣に並んだチェギョンと共に
ナムギル達に向かって跪き、クンジョルを始めたのだ ――― 。
 
 
 
 
 
 
 
最初は驚きの余りに硬直して頭が真っ白になったナムギル達も
目の前の異常な光景に慌て、「お願いだから止めて下さいっ!」 と必死になって叫んだ。
 
それでも2人は最後まで続けて、漸く立ち上がった時には
シン家の人々はグッタリと疲れ果ててソファの背に凭れかかって放心状態になっていた。
 
 
 
「新行では、こうするものだとチェギョンに教わりました。
私は特殊な環境に育った為、一般常識に欠けているところがあります。
今は彼女という良い師を得て、少しずつ修行中の身なのです。クスッ。
最初に申し上げた通り、私を皇太子ではなく、娘婿としてこの礼を受けては頂けませんか?」
 
「パパ様?ママ様?私、何か間違った事をシン君様に教えてしまったでしょうか??」
 
「チェギョン、多分そうでは無いと思う。
・・・お義父上達は皇族である俺が頭を下げたから、戸惑ってらっしゃるんだと思う。
俺はこんなだけど、一応皇太子だろ?それに皇族は頭を下げない決まりだからな。」
 
「・・・あっ!そうでしたっ・・・ハァ・・・。すっかり忘れていました・・・。」
 
「・・クククッ。お前がショボくれてどうする?
お前が言ってくれたんじゃなかったか? ・・・我慢は良くないって。」
 
?????
 
「義愛舎で、食べ物の好き嫌いはあってもいいと言ってくれただろう?
その時に、我慢は健康に良くないと、お前はそう言った。・・・これも同じじゃないかと思うんだ。」
 
「・・・同じ、ですか?」
 
「ああ、同じだ。俺にとって、お義父上達に礼を欠くのは、酷く我慢の要る事なんだ。
確かに皇族は、みだりに国民に向かって頭を下げてはいけないという法度がある。
皇族があちこちでペコペコ頭を下げていたら威厳が無くなるし
そもそも、頭を下げるような間違いを犯さない存在、という前提だからなんだと思う。
でもな?お義父上達は、俺にとって単なる国民じゃないと思わないか?
お前という人間を、これまでずっと大切に育ててくれて、俺に託してくれた有難い方達だ。
その方達に皇族だから、皇太子だから、という理由で感謝も出来ないのなら
皇族という存在は酷く滑稽で、人間味の無い存在になってしまうと思わないか?」
 
「・・・人間らしくあることを、我慢するのはお嫌だと?」
 
「そう思ってる。・・・お前はどうだ?嫌じゃないか?息苦しくは無いのか?
それはお前にとって我慢以外の何ものでもないんじゃないか?違うか?
お前は礼儀正しくて、[孝] や [忠] を重んじる素晴らしい女性だ。
俺はそういうお前が好きだ。だから、お前が礼の1つも言えなくなるような
そんなことも我慢しなくちゃいけないような、そんな仕来りには我慢が出来ん。」
 
「シン君様・・・・」
 
「それにチェギョン、俺達は既に一度、これと同じ事をしてるんだ。
俺達は皇太后様や皇帝陛下、皇后様にも朝のご挨拶の時に、今と同じ事をしたよな?
あの時皇太后様達が、俺達を叱ったか?寧ろ、喜んで下さっただろう?
[親] を敬い、[親] に頭を下げる事は、法度でも禁じられてはいない。だろ?(笑)」
 
 
 
 
 
(( !!!!! ))
 
 
 
 
たった今、この方は・・・、皇太子殿下は・・・
この国の皇帝陛下達と、極普通の庶民である自分達を [親] という括りで
至極当然の事の様に同列に括られた。・・・当然でなど、ある筈がないというのに・・・。
 
そしてそれは、チェギョンに対する何処までも深い愛情があるからこそのものだと
これまでの話の内容から、推し量るのは容易い。
 
おそらくこの方は、チェギョンがチェギョンらしくある為なら
どんなものにでも立ち向かい、そして何としても勝利を勝ち取るお積りなのだろう。
 
チェギョンを守る事は、イコール その心をも守る事だと
この若さでハッキリと認識してらっしゃるのだ。
 
 
 
(( ・・・この方が、我が国の皇太子殿下。そして、娘の夫・・・。 ))
 
 
 
大変なところに嫁がせてしまったと、悔いていた。
 
苦労をさせるのは目に見えているのに、不甲斐無い自分達の所為で・・・と
罪悪感に駆られて、今日までずっと眠れぬ夜を過ごしてきた。
 
こんな縁を結んでしまった父を恨みもした。
 
 
 
そうではなかった、と今。
ナムギルとスンレは心から思う。
 
 
 
嫁がせて良かった。
 
 
 
少し手放すのが早すぎた感はあるが
それでも、この縁の為なら、多少の淋しさなど喜んで我慢出来る。
 
 
 
この方と共にいられる娘は、何と強運の持ち主なのだろう?
何と幸せな結婚をしたのだろう?
 
 
 
「シン君、チェギョン。婚姻おめでとう。」
 
 
 
今、ようやく・・・・
 
心からこの言葉を贈ることが出来る ――― 。