最初はホンの出来心。
 
永遠とも思える程の時間を独り、彷徨うように生きるのは
正直なかなか退屈なのだ。
 
[ハエ男4匹衆] (と、勝手に名付けた) の ひとの子らは
全員不味そうな生気に満ちているのだが、並外れた量と質の生気の持ち主達であり
あれが美味しくなれば、なかなかのご馳走になるに違いない、と興味が沸いた。
 
 
 
「たまには、自分の食い扶持を育てるのも趣向が変わって良いかも知れぬ♪」
 
 
 
数百年ぶりくらいにワクワクしながら、色々と情報を集めてみると
ひとの子4匹衆は [ハエ] ではなくて [花] だったらしい。
 
花のように美しい4人組、という意味だそうだが、花は花でも毒花という意味なのか?
と思うも当てが外れて、おなごのひとの子らは花に吸い寄せられる蜜蜂のように
あの者達の周りをブンブン煩く飛び回っている。
 
「ひとの好みとは、ほんに不可解じゃ・・・」と独りごちながら、醒めた目で見る先には
4匹中一番不味そうだと彼女が常々思っている、ク・ジュンピョという名のひとの子が
大きな四角い池で死に掛けている(ように見えた)のを
つくしの気に入り(美味しそうだから)の、クム・ジャンディが助けている姿があった。
 
その2人から視線を外してみると、つくし曰く “死人以上に生気の活きが悪い” ひとの子
ユン・ジフがそれを凝視しており、その者の身体に纏わりつく生気が一瞬だけ強く熱くなった。
 
 
 
「ふむ・・・。口吸いに悋気(りんき)か?」
 
 
 
おの子の口におなごの口が何度も吸いついて、息を吹き込んでいる姿を見た瞬間
燃え上がった生気の揺らめきを見て、つくしはペロリと唇を舐める。
 
あの ひとの子の生気は極上の香りがした。
 
「これは良いものを見たぞ♪」と嬉しそうに微笑んだ美少女は
誰にも見られる事無く、フワリと闇に溶けていった。
 
それは豪華客船の船首部分。
 
普通であれば、海に落ちる以外にそこを去る手立てはないのであるが
普通でない彼女はただ、空気に溶けるように消えてしまうのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夕暮れの、西洋風に整えられた学園の中庭の片隅で
苛立たしそうに楽を奏じるジフの姿を、面白そうに眺めていると
プツリと弦が切れて、音が止んだ。
 
彼にしては乱暴な仕草で楽器をベンチに放り投げ、自分もドカリとその隣に座り込む。
 
丁度その時、つくしの視界には目の前のひとの子を美味しくする者の姿が目に入ったので
パチン・・と指を鳴らして雪を降らせてみた。いわゆるムード作りというものだ。
 
一瞬彼女の存在を煩がるように拒否したが遮られると、なすがままにされるジフ。
怪我をした彼の指に包帯代わりのハンカチを巻いた少女は、何か物言いたげに彼を見るが
自分と目も合わせようとしない彼に、切なそうに嘆息するとその場を去っていった。
 
酷く安っぽい生気を漂わせながら、彼らの様子を何か道具を通して見ていた3匹の少女達も
意地悪そうな嗤いと共にその場を去り、今この中庭にいるのは、ひとには見えない者共も含めて
真実、自分と目の前のひとの子だけとなる。
 
つくしはフム・・・と暫し考えてから、こめかみの辺りに少しだけ力を入れると
美少女には変わり無いのだが、どこかしら人外の気配を消した人間並みの美少女に変化する。
 
「まぁ、こんなものか?」と、己の変体に満足すると、
もう随分長い間 したことの無いことをしようとしている自分を少し可笑しく思いながら
その 人を惑わす不思議な光を湛えた瞳をゆっくりと閉じた。
 
 
 
「愚か者めが。」
 
 
 
内心、久々なのにやれば出来るものだと、自画自賛しつつ
少し居丈高にそんな風に声を掛けてみた。
 
自分の姿を、自らの意思で人に見せたのは、千の年月の中でも数えるほどしかない。
 
それだけその行為は妖にとって危険な行為だったし
つくしのように変体の術を会得している者達が、己の実体に近い姿を晒すなど
愚かしい真似をするわけも無く、これはまさに、異例中の異例と言っていい程の珍事だ。
 
目の前のひとの子に話し掛けながら、つくしは奇妙な感慨に囚われる。
 
 
 
(最早、妾は生きる事にも飽きてしまったのか・・・?)
 
 
 
人であれば、何度も輪廻を繰り返すほどの、途方も無い時間を
ずっとずっと、たった独りで生きてきた自分。
 
囚われぬよう、滅せられぬよう、闇に隠れて地を変えて
必死にその生を守ってきたのも、遠く彼方の記憶のように思われる。
 
老いて死ぬのが理(ことわり)のひと共の中には、不老不死を求める者も少なくないが
限りがあるからこそ、その生は輝き、儚いからこそ、その姿は美しいのだと思う。
 
必要も無いのに己の姿をひとの目に晒す自分には、本来、その限りも儚さも無い。
 
自分は生き疲れた老婆の心を持ち、少女の姿を持つ化け物なのだろう・・・・。
 
最初は怪訝な顔をしていたひとの子が、徐々にその表情を凍らせてゆくのを見て
自虐の念に囚われる。
 
怯えを含んだ琥珀の瞳に映りこんだ自分は、幼い姿に老いた瞳の色を宿して
自分でも少し不気味だと思うのだから・・・・。
 
 
 
(心の何処かで、もうそろそろ滅せられたいと思っているのやも知れぬな・・・。)
 
 
 
そう思った瞬間、不意に本来の自分を誰かの記憶に留めてみたくなった。
その記憶がホンの瞬き1つの長さしか生きられぬひとの物であるのは面白い気がした。
 
此れも何かの縁なのだろうか?
 
生きることに、何の執着も持っていなさそうな者が
永の年月を生き長らえた自分の実体を見る、最後の者になるかもしれない。
 
神代の時代から、この世はこんな皮肉な矛盾に満ちていたのかもしれない。
少なくとも自分が生きた刻の中は、果ての無い矛盾ばかりがそこにあった。
 
滅せられた妖は、何処へ行くのか?
何処にも行かず、ただ無に帰すだけなのか?
 
そんなこと、考えた事も無かった・・・と思いながら、瞬き1つで実体に戻ると
必死に隠してはいるが、恐れに震えながら遠ざかってゆくひとの背中に声を掛けた。
 
 
 
「頑是無いひとの子よ。そなたは己が誰を想い、誰に想われておるのかも解っておらぬ。
しかしそれもまた一興。傷付き苦しみ、こころを学べや。ここは学び舎ゆえ丁度良かろう?」
 
 
 
生きよ。
その生を全うせよ。
 
人を愛し、人に愛され
喜びも苦しみも、精一杯謳歌せよ。
 
 
 
「妾の姿を見るなら、それくらいの気概を持て。」
 
 
 
聞こえぬように呟いて、そんなことを口にする己を嗤った。
ひとの子が見たいと言ったわけではないのに、勝手にそんなことを押し付けられても困るだろう。
 
だから振り向かなければいいと思った。
 
 
 
「・・・ほんに、愚か者めが。止せばいいのに振り向きおってっ!」
 
 
 
時を止めたように驚嘆の表情のまま微動だにしなくなったひとの子から視線を逸らし
パチン・・と指を鳴らして、さっきよりは少し多めに雪を降らせた。
 
自分の表情が、この雪に隠れて少し朧になるように・・・・・。
 
 
 
「え・・・?これ・・・」
 
 
 
信じられない事続きで、却って少し落ち着いたのか?
 
ひとの子が天を仰いで何事かを考えているような顔をし
そしてこちらを真剣な目で見て問うた。 何者なのか?と・・・・。
 
幾つかの反応を予想して、昨今の妖事情を鑑みれば、十中八九信じないだろうと結論を出し
素直に答えてみることにした。 (さて、どうなる?)
 
 
 
「ひとがつけた通り名のようなものは数多(あまた)あるが
一番 名が通っているのは [雪女] じゃろう。
愚か者のエゲレス人の所為で色々と誤解を受けているようだが
こういう事が得意な妖じゃ。」
 
 
 
パチンと指を鳴らして、雪を止め、もう一度鳴らして降らせて見せると
ゴクリ・・と喉を鳴らす音が聞こえたが、何も返答は無かった。
 
怯んだだけか?と思うと一気に興ざめしてしまい、ひとの子の事などどうでも良くなった。
だから天から降り落ちる雪を仰いで、ボンヤリとする内に
何事にも興味深さを感じていた嘗ての自分を思い出し、一首詠ってみた。
 
 
 
「冬ながら 空より花の散り来るは 雲のあなたは 春にやあらむ。」
 
「・・・なにそれ? どういう意味?」
 
「・・・まだそこにおったか。・・・ふん。此れは和歌というものじゃ。
ひとの作ったものの中で、数少ない良いものが歌じゃ。
“ 冬なのに、空から花(雪)が舞い散ってきた。雲の向こうは春なのではないだろうか? ”
此れはそういう意味の歌じゃ。ひとは愚かで短い生しか持たぬ生き物じゃが、だからこそ
刹那の儚い情景をこうして慈しみ愛でる事が出来るのじゃろう・・・。」
 
「ふぅん・・・って、雪女って何歳?」
 
「さて?解らんな。随分長く生きてきて、数えるのをやめてからも随分経つ。
1千歳は軽く超えておるだろうなぁ・・・・。ところで、妾は雪女という名ではないぞ?」
 
「・・・あんたさ、ホントにそんなに婆さんなの?やっぱり頭オカシイの?
それに俺、あんたの名前なんて知らないし。」
 
「・・・信じずとも良い。ひととは違う生き物が妖じゃ。
種族が違えば、時の流れも在り方も何もかもが違うもの。解ろうとも無理があろう。
・・・妖に真名を聞くなど、愚かなこととも知らぬのだしな?フフッ」
 
 
 
妖にとって真名は [呪] だ。
 
呪いや呪術という言葉でおどろおどろしい印象だが
その言葉の本質は願いや、仏教で言うところの真言(仏の言葉:真実の言葉)に近い。
 
[真名] によって自分は雪女という漠としたものから、個になる。
故に妖にとって真名は [呪] になるのだ。
 
願う事で、ひとは願いに縛られる。
真実の言葉によって、ひとは物事の善悪を区別する。
 
だから、真名を呼ばれれば、その名に縛られてしまうのだ。
 
 
 
つくしがつくしであると知る者はいない。
だから、誰からもその名を呼ばれたことが無い。
 
 
 
ふと、興味が沸いた。
名を呼ばれたら、どのような気持ちになるのだろう?と・・・・。
 
 
 
「つくしじゃ。妾の真名は “ つくし ” という。」
 
 
 
空気に溶けるように、揺蕩うように生きてきた。
自由とは酷く空虚なものだった。
 
“ 不自由 ” になってみたい気がした。
“ 縛られる ” という事がどういうことなのか知りたくなった。
 
それが、何故この ひとの子だったのかは解らないし
妖らしい、単なる気まぐれだったのかもしれない。
 
いつの間にか怯えが消えているこの者に、実体を見せ、真名を教えたのは
全部、長く生き過ぎた自分への自虐のようなものかもしれない。
 
 
 
けれど、この者の びいどろの瞳に自分の実体を映し
低く空気を震わせる艶やかな声で、自分の真名を呼ばれるという想像は
抗い難い甘い疼きをつくしに与え、胸の奥がコトコトと小さな音を立てて震えるのだ。