それはジャンディが散々ジフをけしかけて、それでもボーッとしたままのジフに痺れを切らし
「あなたの笑顔を作れるのは、ソヒョンさんしかいないでしょっ!」と叫んだ時だった。
 
何も無い自分の膝の上の空(くう)を、左手でゆっくりと左右に、何かを撫でる様に動かし
視線も自分の膝頭辺りを彷徨わせていたジフの、手の動きがピタリと止んだと同時に
ギラリと睨(ね)め付けるような鋭い視線で、射抜くようにジャンディを見据えた。
 
さっきのジュンピョの鋭い視線と違って、そこには熱というものが感じられない。
だからこそ視線を向けられた者も、それを見守る者も、その視線を恐ろしいと思う。
 
ジフ本人と瞑目しているジュンピョ以外の、その場にいた者全員の背筋がゾクリと揺れた。
 
 
 
「ねぇ、あんたは俺の何を知ってるって言うんだ?
そもそも俺とあんたって、そんなに親しい関係だっけ?
あんたの言ってることって、俺には全部大きなお世話にしか聞こえないんだけど?
しかもそれをいきなり人んちに来て喚き散らして、プライドだけじゃ無くてモラルも無いの?」
 
 
 
台詞自体にも、その冷静な物言いにも
若干キツ過ぎるきらいはあるものの、彼の性格からすれば特段驚く要素は無いというのに
ジフの口からその言葉が発せられた瞬間、何とも形容し難い “畏れ” のようなものが
室内を満たしてその場の空気をピシリと張り詰めさせ、酸素が薄くなったような錯覚を覚える。
 
見るからに武闘派のジュンピョ、一見ただの軟派にしか見えないが、実はそれに続くイジョン
穏健だがその家業的にも売られた喧嘩は倍にして返すのが基本のウビン。
彼らは家柄や見目麗しさだけで無く、一部では恐ろしく喧嘩が強い男達としても知られている。
 
が・・・、現在その彼らを一瞬で凍りつかせているこの男の、本当の強さを知る者は多くは無い。
 
試したことは無いし、正直そんな修羅場には絶対に居合わせたくは無いが
本気で怒らせたら多分一番強いのは、目の前で地を這うような低い声を発している
男なんじゃないかと思わせる何かが、ユン・ジフという男にはある。
 
女みたいに・・・、いや、そこらの女以上に美麗なその外見とは
著しく隔たっているかのようなその印象は、しかし、この外見故に一層凄味を増すのである。
 
普段何を考えているのか分からない飄々としたところもまた
この男の計り知れない感じを強調しており
思わず目を開けたジュンピョも含めた彼の幼馴染達は皆、目の前の男が
通常では滅多に見せない鋭利な爪を、眼前で研ぎ始めたのだと直感した ――― 。
 
 
 
「だ、だって、そうでしょっ!? 私、何か間違ってますかっ!?
昨夜だって2人で・・・キ、キスしてたじゃないですかっ???
あの人の事、・・・す、好きなんでしょ?
だったら、こんなところでグダグダしてないで
ソヒョンさんを追いかけていけばいいじゃないですかっ!?」
 
「へぇ・・? あれ、あんた覗いてたんだ?
覗き見も、他人のプラバシーにズカズカ土足で踏み散らかすのも悪趣味でキモイんですけど。
で? たったそれだけで、俺のことを全部理解した気になっちゃったって事なわけ?
あんたさ、どんだけ短絡的な頭してんの? それとも単にバカなだけ?
まぁ、興味無いからそんな事はどっちでも良いけど・・・・。
俺さぁ、思い込みの激しい女ってウザくて苦手なんだよね。
しかも、何で俺があんたに今後の行動を指示されなきゃいけないわけ?
全く以って意味不明だし、はっきり言ってそういうのホント、不愉快。」
 
「おい! ジフっ!?」
 
「ジュンピョ、煩い・・・。 俺は今、この女と話してるんだけど、黙っててくんない?」
 
 
 
好きな女を侮蔑するような態度で扱われて、瞬間的に苛立ったジュンピョが声を荒げるが
ジャンディを見据えたままで自分を一顧だにせず、絶対零度な声音で黙ってろと言うジフの
全身から発せられる怒気と殺気が入り混じったような雰囲気に流石の猛獣も呑まれてしまう。
 
 
 
「あんたに、俺がソヒョンの事をどう思ってるかなんて、説明する義理も無いんだけど
これ以上しつこくされるのもウザいから、教えてあげるよ。
・・・最初に言っておくけど、言葉なんかで思いの全部なんて語れないものだし
仮に語ってみたところで、俺の気持ちが、俺の事を何も知らないあんたに
そのまんま伝わるとも思えないから、これって確実に無駄な事だと思うよ?
って言っても、こんなことが平気で出来ちゃう女に解るワケ無いか・・・・。ククッ」
 
 
 
素晴らしく秀麗な故に、凄まじい恐怖を感じさせる冷笑を浮かべてそう言ったジフに
自分がとんでもなく愚かな生き物だと思われていると感じて、頭にカッと血が昇るが
自分は何もこの人と喧嘩をする為に来たんじゃないと思い直し
ジャンディは先を促す意味を込めて、コックリと頷いて見せた。
 
 
 
「結論から言うと、俺はフランスへは行かない。その気も無い。
“何故か?” ・・・ソヒョンは正真正銘俺にとって姉みたいな存在でしかないから。
“どうしてそう思うか?” ・・・あんたが見たキスの時、気持ち悪いと思ったから。」
 
「「「 えっ!?!? 」」」
 
「そんなの言い訳・・・・ 「・・かどうか、あんたに分かるワケ無いだろ?」 」
 
 
 
酷く驚いた様子で自分を見つめる幼馴染達など、まるで存在すらしていないような風情で
「だから最初に言っただろ?無駄だって。」 とでも言いたげな醒めた表情で
ジャンディを真っ直ぐ見据えながら、彼女の言葉を遮ってそう言った後に
この煩わしいだけの会話にトドメを刺すかの如くにハッキリと、一言付け加えた。
 
 
 
「俺の笑顔を作るのは、あいつじゃない。」
 
 
 
それからやっと、「じゃあ、誰が作るって言うんだ?」と言わんばかりの表情の
ジュンピョの方をチラリと見たジフは、再度ジャンディに目を向けると
何の感情も見えないような抑揚の無い声で「当然、あんたでもない。」と付け加えた。
 
 
 
「お、おい・・・。お前、ソヒョンのことマジで姉ちゃんだとか思ってんのかよ?」
 
「なぁジフ、俺達だってお前はずっとソヒョンの事を好きだと思ってたんだ。
ジャンディがそう思うのも無理は無いだろ?実際お前の態度は紛らわしかったしな。」
 
 
 
イジョンとウビンが、今しがたのジフの発言に対しての疑問や、ジャンディのフォローを
戸惑いながらも口にするが、ジフの視線はこういう時に一番煩そうなのに
どうしたことか、苦々しい表情で一言も口を開かない男に向けられている。
 
 
 
「ジュンピョ。気付いてたんでしょ?」
 
「・・・・ああ。」
 
「流石、猛獣。野性の勘ってやつ?
・・・でも、じゃあなんで、この女を家に連れて来た?」
 
「それは・・・・。」
 
「お前の考えそうなことは分かるけど、俺を巻き込むなよ。・・・ハァ」
 
 
 
途端にまた黙り込んで俯いてしまったジュンピョをジッと見ていたジフだったが
突然「イタッ!」と小さく叫んだ後に俯いて、暫くして顔をあげた彼は
ふぅ、と軽く嘆息した後、それまでとは打って変わって穏やかな表情で話し出した。
 
 
 
「・・・ねぇ、あんた。もう、無闇に土下座なんかするの止めろよ。
あんたは多分、あの女にまんまと騙されたんだよ。」
 
「え?」
 
「「「 どういうことだ?? 」」」
 
「見たんだ。学園のプールサイドで、そいつがソヒョンに土下座してるとこ・・・・。
・・・・良い機会だから、お前たちには言っておくよ。
俺、多分これからはソヒョンのことを姉とも思えないと思う。
あの女、俺の事を所有物か何かに思ってるみたいだから、良い関係でいるのは無理。
あいつと同じ空間にいると、気持ち悪くなって吐いちゃうし・・・・。
もう、生理的に受け付けないみたいだから、今後はあの女関係の集まり、俺はパスね?」
 
!!!???
 
「これ以上は言いたくないんだけど、その子に聞いてみれば?
あの女に何を吹き込まれて、こんな事する羽目になっちゃったのか?ってさ。」
 
 
 
多分もう、ジフはこの件に関して一言も話すつもりは無いのだと
長年彼を見てきた幼馴染達は即座に気付いて、頷き合った。
それを見て満足したように笑ったジフは、そのままの表情でジャンディを見る。
 
 
 
「さっきはごめん。ちょっとイラついて、少し言い過ぎた。
視点を変えれば、あんたのお蔭でこいつ等にハッキリと話すことが出来たんだし
そういう意味じゃ感謝してるよ・・・イタッ・・・ウッ・・・あ、りがと・・・?」
 
 
 
何やら奇妙な事を口走った後に、(何で最後が疑問形?)と突っ込みたくなるものの
ジフの口から感謝の言葉が飛び出した事に、F3は目を見開いた。
 
 
 
「・・・ねぇ、もういい?
話が済んだんなら、皆帰ってくんない?」
 
「・・・・お前、茶の1つも出す気は無いのか?」
 
「押しかけて来た迷惑な奴等に出す茶・・・・イテッ!
・・・ちょっと待ってて。今、用意するから・・・・。
あ、そうだ。俺さぁ、猫飼ったんだ。お前らって動物大丈夫?」
 
 
 
猫と聞いた瞬間、「ひぇっ!!??」と叫び声をあげたジュンピョが
1人掛けのソファの上に両足を持ち上げて縮こまる・・・・。
 
唐突に話題を変えるジフに慣れているイジョンとウビンは
普段はツッコミたくなるその言動も、今回ばかりは救いの神に思えて
敢えてそこには触れずに、ジフの言葉に頷いて見せた。
 
 
 
「・・・ああ。ジュンピョ以外は大丈夫だ。・・・ジャンディ、お前も平気だろ?」
 
「あ、はい・・・。」
 
「ふぅん?じゃ、お茶と一緒に連れてくるよ♪ 
・・・でも、触んないでね?
特にイジョンとウビン。 絶対、手ぇ出さないでね?」
 
「「 ・・・あ、あぁ、分かった・・・??? 」」
 
 
 
ジフが不思議クンなのは今に始まった事じゃないと思いながらも
今日の不思議っぷりは、歴代上位を占めるほどに突き抜けている気がする・・・・。
 
男達はそう思うものの、さっきまでのとんでもなく不機嫌で
ツンドラ地帯並みの冷ややかな視線を向けられる事を恐れて、引きつり笑いで請け負った。
 
そんな彼らを最早空気扱いするかのように、突然立ち上がったジフは
スタスタと歩いてリビングを出て行ってしまった。
 
 
 
その後姿を見送った面々の中に
右手が何かを掴むように握り締められている事に気付く者はいなかった。